第21話 逃げないで

 ボロアパートから少し離れた場所にある路地裏で、ミルちゃんは仰向けに倒れていた。


 弾丸によって欠けた頭の中から、大量の血が流れ出ている。

 あんなに真っ白で綺麗だったワンピースが、真っ赤な血に染まって汚れてしまっている。


「自殺だね」


 銃声を聞きつけてやってきたミナトが、私の後ろから告げてきた。


 私は状況を受け入れ切れなくて、乱雑に自分の頭を掻きむしった。


「この顔どこかで見たことあるね。たしか、そう、管理人の一人だ。この銃も管理人用だし。間違いないね」


 ミルちゃんの体を観察しながら、落ち着いた様子でミナトが語る。


「どうして……。なんで」


 私は震える声で、ぴくりとも動いてくれないミルちゃんに話しかけた。


「友達になったのに……なれた、ばかりなのに。ちゃんと、まだ話したいこと、いっぱいあったのに、おかしいよ、こんなの。どうして、なの……」

「ミルカ……?」


 混乱する私を見て、ミナトが訝しげに首を傾げる。


「友達、だったの?」


 私は涙を流しながら、何度も頷いた。


「あんなに、笑ってくれたのに……。手を繋いで一緒に、いっぱい……」


 私は覚束ない足取りで、ミルちゃんの死体に近づいた。


 まだ乾き切っていない血溜まりに突っ込んで、両足に大量の血が付着する。

 ねばっとした血の感触を味わい、私は今までにない吐き気を催した。


「これ以上何も見ない方がいい。今の君には無理だ」


 ミナトが私の前に立ち塞がり、視界を遮ってミルちゃんの死体を見えなくしてくれる。

 私はミナトの懐に顔をうずめると、泣きながらくぐもった声をあげた。


「どうして、自殺なんか……」

「多分、エボルシックを発症したからだよ」

「……え?」


 ミナトの顔を見上げる。ミナトは優しい目で私を見つめながら、告げてきた。


「さっき偶然見えたんだけど、あの人の脇腹、少しだけ異形化してたんだ。まだ初期も初期の段階だった」

「エボルシック? なんで、どういうこと。そんなはず」

「発症して間もない奴が収容所に来て自殺するのは、よくあることなんだよ。この人が異形化の痛みに耐え切れなかったからそうしたのか、エボルシックを発症した現実に耐え切れなかったからそうしたのか、どっちなのかは分からないけどね」

「ミルちゃんが、エボルシックに……? 管理人が、なんで」

「エボルシックはそういう病気だよ。老若男女問わず、人間なら誰だってなる可能性がある。管理人だって人間なんだから、発症するさ」


 両足の力が抜けて、その場に崩れ落ちる。ミナトは一人で立てなくなった私を抱き上げると、何も言わずに私の頭を撫でてくれた。


 ミナトに慰められながら私は血溜まりの地面を見つめ、ボロアパートにいたミルちゃんの様子を振り返った。


 ――遅いんですっ! もう無理なんです! 何もかも……っ。


 ―― それだけで、私は報われた気がするの。これ以上の幸せは、もういらない


 ――さようなら。


 思えば不審な点は、いくつもあった。ミルちゃんの言動を照らし合わせれば合わせるほど、そうだとしか思えなくなっていく。


 ミルちゃんはエボルシックを発症したことに絶望し、死を選んだのだ。


「……気付けなかった」

「これは俺の推測だよ。それが本当かどうかは分からない。本人しかね」

「……もう聞けない」

「そうだね」


 私は再びミナトの懐に額を押し当てると、呻き声をあげて血溜まりの地面に涙を落とした。


 ああなんて、私は馬鹿で間抜けで愚か者なんだろう。

 友達なのに、何も気付いてあげられなかった。情けなくて涙が止まらない。


 ミナトの懐で散々に泣き喚いていると、後ろから複数人の足音が聞こえてきた。

 振り向くと、目前に数十人の管理人達が立っていた。


 その集団の真ん中には、ゴシックな黒いドレスを着た美少女が立っている。

 シャルロッテ・コーデリオン。ミルちゃんの姉だ。


「ごきげんようお二人とも」


 シャルロッテは管理人達の中から一歩前に出ると、スカートの裾をたくし上げながら私達にお辞儀した。

 姿勢を正してスカートを整えると、視線を地面に倒れているミルちゃんへと落とす。


 数秒、ミルちゃんの死体を見つめた後、シャルロッテはすんなりと顔を上げて私達に視線を戻した。


「我々管理人の一人がお見苦しいところをお見せしましたね。遺体の処理や掃除は我々がしますので、あなた方二人は立ち去ってくれて構いませんよ」


 シャルロッテが気持ち悪い笑顔を浮かべて、私達に言い放つ。


「それと、この件はどうか内密にお願いします。管理人が自殺したなどという情報は、収容所に必要ありませんので。これは管理人としての命令ですので、従ってくださいね。遺体がもう二つも増えるのは我々としても処理が面倒なので」


 事務的に、淡々と命令してくるシャルロッテ。

 私はそんな彼女を見ていると、胸の奥からとてつもない怒りの感情が湧き上がってきてた。


「どうかしましたか? 早く立ち去ってください。でないといつまでも作業を始められないので」

「了解です。行くよミルカ」


 ミナトがシャルロッテの命令に潔く従い、私の背中を軽く押して路地裏から立ち去ろうとする。


 その瞬間、シャルロッテは後ろに控えていた管理人達に死体の処理をさせ始めた。

 シャルロッテ自身はその死体に一歩も近づこうとせず、足に血が付着しないよう血溜まりの地面を露骨に避けている。


 部下が死体の処理をしているところを笑顔で眺めている彼女を見て、私は我慢できずに足を止めた。


「なんで……っ!」


 シャルロッテを睨み付けながら、大声をあげる。するとその声に反応し、シャルロッテがスカートを翻しながらこちらに振り向いてきた。


「どうかしましたか?」


 感情を乗せず至って事務的に、シャルロッテが私に微笑んでくる。


 収容所のみんなとはまた違う。もっと異常な人間味のない作り笑いに、虫唾が走る。


「なんでそんな、冷たいの。実の家族なんだよね。姉妹なんだよね。そこに倒れているのは、アンタの妹だよね!」

「ミルカ、だめだ」


 ミナトの制止を振り切って目の前にいるシャルロッテに近づきながら、私は尚も叫んだ。


「妹が死んだのに何とも思わないの? もっと間近で、アンタの妹がどうなったか見てあげてよ! ミルちゃんがアンタのことどう思ってたか知ってる? あんなに、あんなに慕ってくれてたのに、アンタは何とも思ってないわけ? ふざけんなクソ姉! ミルちゃんの気持ちを何だと思ってるの! クソっ、クソ!」

「ミルカ、駄目だ!」


 シャルロッテの体に飛び込もうとする私を、ミナトが羽交締めにする。

 私は怒りを抑えきれず、ミナトに抱えられた状態で暴れ回りながら、必死に叫び続けた。


「なんでミルちゃんと一緒にいてあげなかったの! なんで妹が死んでそんなケロっとしてるの! ふざけんなっ!」

「……」


 シャルロッテは満面の笑みを浮かべたまま私の言葉を聞き流し、こちらに背を向けた。


「今の話は全て聞かなかったことにしましょう。ですからどうか、早々に退去を」

「了解です」


 シャルロッテから再び命令が下されると、ミナトは私を担ぎ上げて路地裏から立ち去っていった。


 私はミナトの肩の上で暴れながら、喉が枯れるのもお構いなしに叫び続けた。


「うわぁぁぁ! あぁ! あぁぁぁぁ!」

「もうやめようミルカ。下手に反抗したら殺される。俺達には収容所しか居場所がないんだから、管理人には逆らっちゃいけない。それが収容所で絶対守らないといけない、規則だ」


 ミナトの忠告を受けても、私は中々叫ぶのをやめれなかった。


 私が何を叫んでも、シャルロッテの耳には何一つ届かなかった。


 シャルロッテ達の姿が完全に見えなくなると、私はようやく叫ぶのをやめて項垂れた。

 虚しくて、涙と喉が両方枯れ果てる。



        ※ ※ ※



「家族ってなんだろう」


 疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだん第六部隊基地の入り口にある小さな階段に座り込み、私は顔を伏せながら呟いた。


「家族の在り方は人によって違うよ。同じなのは血の繋がりだけ」


 隣に座るミナトが、平坦な調子で答えてくれる。

 私は顔を上げて、視界の隅でミナトの姿を捉えた。後ろめたさのせいか、彼の顔を直視することができない。


 ミナトは自分の膝上で頬杖を突きながら、騒がしい町の光景を眺めていた。


「さっきはごめんなさい。私のせいでミナトに迷惑かけた。あのまま暴れてたら、取り返しの付かないことになってたよね。本当に、ごめんなさい」

「いいよ別に、生きてるし。俺もアイツらのことはいけ好かないと思ってるしね」

「……私、ダメだ。頭がグチャグチャになってて、何がしたいのか分からない。なんで私、生きてるのかな」

「生きたいと思ってるからだよ。死にたいならとっくに死んでる。でも君はまだ生きてる。君の中に生きたいという気持ちがまだある証拠だ」

「……どうして、生きたいのかな」

「心残りがあるからじゃないかな」

「心残り……?」

「そう、心残り」


 ミナトは視線を私に向けると、人差し指で私の首元に巻かれたマフラーを差し示した。


「ハルカちゃんのことだよ。ずっとそのことで悩んでるだろう。だから他人の家族のことに首を突っ込んだり、家族のことばかり考えてる」

「……」

「今からでも会いに行ったらどうだい、君の妹に」

「……行かないよ。行っても、拒絶されるだけだし。私にはあの子に会いに行く資格なんてない」

「会うだけのことに、資格なんて要らないでしょ。君は拒絶されるのが怖いだけだ。怖いから逃げて、目を逸らして、何がしたいのか分からなくなってる。いや、そう思い込んでるだけだね。本当は自分が何をしたいのか、分かってるんだろう?」


 ミナトの指摘に、私は黙り込むことしかできなかった。

 正論を突き付けられてそうするしかなかったことが、何よりの答え。


 認めるしかない。今の私は、自分やハルちゃんから逃げているだけなんだ。


「俺さ、家族全員がエボルシックを発症して、一緒に収容所に連れて来られたんだよね」


 ミナトは突然、私に身の上話を聞かせてきた。


「もう五年も前のことだ。まだ十歳だった俺と、四つ下の六歳の妹、父と母の四人同時に収容所送りにされた。それで、父さんと母さんと妹は同じ地区に配属されたんだけど、俺だけ違う地区に飛ばされちゃってさ」


 収容所の地区配属は、エボルシッカーの数が少なくなった地区に配属するよう決められてる。矢田親子のように運よく二人一緒に配属されることもあれば、ミナトの家族のようにバラバラにされることだってある。


 家族だからといって一緒に同じ地区へ配属、なんて配慮は私達バケモノ相手にしてくれないのだ。


「当時の俺は自分のことで精一杯で、中々家族の元へ会いに行こうとしなかったんだ。何ヶ月か経ってようやく家族と再会したんだけど、その時にはもうみんな末期症状に至ってバケモノになってた。……みんな、エボルシックに耐性がなかったみたいでさ。それで俺は自分の手で、家族を殺す羽目になった」

「……平気、だったの?」

「うん、びっくりするくらいね。なんとなく殺さなきゃって思ったら、体が勝手に動いてた。その時はアドレナリンが出まくってたせいか、あんまり悲しくもなかったよ。でも時間が経つにつれて、沸々と悲しみと後悔が押し寄せてくるんだ。別れの言葉くらい言いたかったなとか、もっと早く家族に会いに行ってたらなとか。そんな感情が後々芽生えてきて、今でもそれがずっと心残りになってる。だから……」


 ミナトはいつになく真剣な眼差しで、私を見つめてきた。


「君には、俺と同じような気持ちを味わってほしくない。大切な家族が生きている間に、もう一度だけでも会いに行くべきだ」


 ――家族のこと、大切にしてね。私みたいに逃げないで、ちゃんと向き合ってね。


 私の頭の中で、ミルちゃんの言葉が再生される。


 ミルちゃんは私に、自分と同じように後悔して欲しくなかったんだ。

 それなのに私はこんなところに座り込んで、燻り続けている。

 ああやっぱり、私はなんて馬鹿で間抜けで愚か者なんだろう。


 拒絶されるが怖いからって、迷っている場合じゃない。

 私だけは、後悔しちゃいけないんだ。


「ミルちゃん。私、頑張るよ」


 私は勇気を振り絞って階段から立ち上がると、首元に巻いたマフラーを握り締めた。


「ありがとう、ミナト」

「行くの?」

「うん、家族に会ってくる」


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