第19話 管理人さん
ズシリ。ズシリ。ズシリ。異形化の際に起こる脇腹の痛みを擬音で表すと、そんな感じになる。
私は今、悪臭広がるボロアパートの中でその激痛に耐えていた。
以前一日だけ過ごしたことのある、末期症状へと至った隣人によって破壊された、あのアパートでだ。
ボロアパートの中やその周辺には、私以外誰もいない。
相変わらず大量の埃とカビに侵食された土地。
そこに建つボロアパートは末期症状者によって屋根や壁が破壊され、かろうじて全壊せずに済んでいる状態。
外から丸見えの屋内には瓦礫の山が積み上がっていて、もはや家というよりただの廃墟となってしまっている。
そんな場所にどうして私は居るのかというと、一人になりたかったからだ。
第六部隊のみんなには、何も言わずに基地を出た。
みんな優しいから、言えばきっと止められるし怒られるだろうと思って、そうすることにした。
要するに、家出だ。いや、居候の身だから厳密には違うかもしれない。
ともかく私は一人になりたくて、アテもなく第六地区中を彷徨い、そしてこのボロアパートに辿り着いた。
異形化の痛みが引いてくると、私はボロアパートの床に積み上がった瓦礫の山上へと登った。
硬い瓦礫の上に仰向けの状態で寝転び、穴の空いた屋根から収容所の天井をぼーっと眺める。
そうして無意味な時間を過ごしていると、不意に誰かの足音が聞こえてきた。
どうやら私以外にも、こんな腐った場所にやってくる物好きがいたらしい。
警戒しながら物音のする方向を見やると、見知った人物が目に入った。
赤い短髪に華奢な体格。収容所の管理人である、ミルフィーノだった。
いつも完全に気配を消している彼女が、今日は珍しく足音を立てて歩いていた。
私はアパートに現れたのがミルフィーノだと分かると、思わず安堵の息を漏らした。
エボルシッカーじゃなくて良かったと、心の底からそう思ってしまったのだ。
「こんにちは、管理人さん」
瓦礫の上から話しかけると、ミルフィーノはすぐさま私の存在に気がついて視線を向けてくれた。
私の顔を見るなり、訝しげに顔を顰める。
「どうしてアナタが此処に」
「管理人さんこそ。もしかして、私を処分しに来たんですか?」
「なぜそうなるんです」
「だって私、まだ仕事見つけてないので」
「違いますよ。此処でアナタと会ったのは単なる偶然です」
「そう、なんですか。じゃあどうして」
「……アナタには関係のないことです」
ミルフィーノがため息をつき、踵を返してアパートから立ち去ろうとする。
私は「待ってください」と言って彼女を呼び止めると、隣に空いた瓦礫をぽんぽんと叩いた。
「あの、良かったら少しだけお話しませんか」
「……はい? なぜです」
「単純に、管理人さんと話がしたいなって、そう思って。だめですか?」
「……」
ミルフィーノは顔を俯かせると、しばらくの間口を閉ざした。
何かと葛藤しているかのように難しい顔を作り上げて、額に手を当てる。
やがて面倒臭さそうにため息をつくと、瓦礫の山をよじ登って私の隣に座ってくれた。
まさか本当に付き合ってくれるとは思わなかった私は、驚きを隠せなかった。
今日のミルフィーノはどこかおかしい。
普段の彼女なら、私の誘いなんて絶対に断っていただろう。おかしな点はそこだけじゃない。
服装もいつもと違っていて、スカート丈の白いワンピースという大変可愛らしい格好をしていた。
普段の黒スーツ姿とは、真逆のスタイルだ。
「その服、凄く似合ってますね」
「……そうですか」
「普段からこういう服、着ないんですか?」
「私服で仕事をするわけにはいきませんから」
「ということは、管理人さんは今日仕事がお休みなんですか?」
「えぇ、まあ。そんなところです」
「休日にこんなところに来るだなんて、変ですね」
「アナタがそれを言いますか」
「あはは。確かにそうでした」
後ろ髪を掻きながら、照れ笑いを浮かべる。
するとミルフィーノはジト目になって、そんな私のことを睨んできた。
「どうかしました?」
「いえ、今日のアナタはまた一段と減らず口が多いなと思いまして」
「そうですかね」
「ええ。それに情緒も不安定のようです」
「……」
「何か私に言いたいことがあるのでしょう。くだらない前置きなんて必要ないですから、さっさと話してください」
「……でも」
「はやく」
「はい……」
私は二、三度呼吸を挟んだ後、重たい口を開いた。
「前に管理人さんが言ってたこと、私にもよく分かったんです」
私は両腕で膝を折って体を丸めると、瓦礫下の汚い床を見つめた。
「ずっと感じてはいたんです。誰かが死んでも笑っていられるエボルシッカーのみんなも、平気で誰かを殺せるミナト達もおかしいって。でもみんなと過ごしていくうちに慣れてしまって、段々と違和感を感じなくなっていきました。それが普通なんじゃないかって思えるくらい……。でも、違った。大切な人の死を想像して、改めて気付いたちゃったんです。みんなが異常だってこと」
一度話し出すと、私の口は止まらなくなっていった。
胸に溜め込んでいた辛い気持ちが、一気に吐き出されていく。
「気付いた瞬間、此処で生きてける自信が一気に持てなくなりました。私はきっとそんなふうになれないんだろうなって思うと、なんで自分が生きてるのかも分からなくなりました。どうせもうすぐ死ぬのに、なんでこんな辛い思いをして生きる必要があるんだろうって……。そんなことを思いながら笑って過ごしているみんなを見ていると、怖くて仕方がなくなりました」
震える自分の体を抱き締めながら、切実に語る。
「私はみんなみたいに強く生きれません。みんなみたいに、異常にもなれません。私は、弱いんです」
「……だから、どうしたいんですか」
「分かりません。分からないから、こんな話を管理人さんに聞いてもらいたかったのかも知れません」
「どうして私に?」
「こんなこと、みんなには言えないですよ。言ってもきっと分かってもらえないでしょうし……。だけど管理人さんなら、みんなと立場の違う管理人さんなら、何か良い答えをくれるかなって、そう思ったんです」
期待を込めた眼差しを、ミルフィーノへと向ける。
するとミルフィーノは私から目を逸らし、大きなため息をついた。
「アナタは管理人のことを……いえ、私のことを随分と過大評価しているようですが、私はそれほど大した存在ではありませんよ。弱くてちっぽけな存在で、アナタの悩みに答えてあげられるほど賢くもありません」
ミルフィーノはそこで一旦言葉を打ち切ると、憂いた目で収容所の天井を見上げだした。
私も吊られて、天井を見上げてみる。
「私達コーデリオン家は全員、収容所を管理し、エボルシックを秘匿する仕事に就くんです。そのために幼い頃から、毎日過酷な訓練を受けさせられてきました」
天井を見上げたまま、ミルフィーノは突然身の上話し始めた。
戸惑いながらも、私は黙ってその話に耳を傾ける。
「私には、昔から自由がなかったんです。物心ついた頃には既にナイフや銃の扱い方、人を殺す方法を学ばされました。知識本以外の娯楽を与えられたことはありませんし、遊ぶ時間なんて一秒たりとも与えられたことはありません。管理人として生きることが私の役割であって、それ以外は必要ないとされ、育てられてきたんです」
ミルフィーノの生い立ちは、一般の家庭環境から明らかに逸脱していた。
普通の家庭に生まれ、育てられてきた私には考えられない人生だ。
「私、地上のことはあまり知らないんです。知識としては知っていますが、実際に見たことは数回しかありません。初めて地上を見に行った時、私は私自身が不自由であることを知りました。私と同じ年齢くらいの女の子達のキラキラした姿を見て、羨ましいと思ってしまったんです。私もあんな風に自由に生きたいと、それからずっと頭の中で考えるようになりました。どうして私はコーデリオン家に生まれたんだろうと、この血筋を恨んだこともありました。どんなに嘆こうが変わらないというのに、虚しいですよね」
同意を求められて、私は反応に困った。
易々と肯定できるほど、私は彼女の人生より自由のない日々を送ったことがないからだ。
「だからこそ、理解できないんです。普通の生活を送っていたはずの彼らが、突然その生活を奪われたというのに、笑っていられるのが。自由があったのに、それを奪われたことがどれだけの苦痛か……。自由がなかった私でも、それが計り知れないものであることくらいは分かります。バケモノになる病気を患って、自由を奪われてまでこんな場所で生きようとする意味が、私には理解できません」
「……」
「私は弱いんです。彼らみたいに生に執着することもできませんし、誰かを殺して平気でいられる精神力もありません。管理人として、向いてなかったんです」
ミルフィーノは両手を胸の前に掲げると、その手のひらを見つめだした。
彼女の両手は、微かに震えていた。
「この手で誰かを撃ち殺すたび、震えが止まらなくなるんです。何度撃っても撃っても慣れなくて、血だらけで動かなくなった死体を見るたびに吐き気がします。毎日のように撃ち殺した死体が出てくる夢を見て、いつしか眠るのが怖くなりました。私はこの生き地獄から、ずっと逃げ出したかった。ずっと、ずっと……普通の生活を送りたかった。普通に学校に通って、みんなと勉強して、遊んで。普通の家族に囲まれて、誕生日にはプレゼントを貰って。幸せに、生きたかった……」
恐怖と悲しみが入り混じった声音で、ミルフィーノは切実に訴えた。
私にではなく、理不尽な世の中に対して。
「すみません。取り乱しました」
ミルフィーノは震える両手を力強く握り締めると、暗い表情で虚空を見つめだした。
もの悲しいその姿に、きゅっと胸が締めつけられる。
どうにか彼女を励ますことはできないかと考えてみたけれど、何も浮かんでこなかった。
代わりに口から出てきたのは、彼女の生い立ちに関する素朴な感想だった。
「管理人さんって、全員管理人さんの親族だったんですね」
「……血の繋がりはありますが、遠縁がほとんどです。家族と呼べるほど、関係性は深くはありません。ただの仕事仲間です」
「仲良い家族はいなかったんですか」
「一人だけ、いました。あちらがどう思っているか分かりませんが」
「親ですか?」
「姉です。二つ上の。名前は、シャルロッテ・コーデリオン」
「あ、確か貨物車にいた……」
ゴシックな黒いドレスを着た、あの少女のことだろう。
言われてみれば目の形とか顔の輪郭とか、ミルフィーノと似ている気がする。
「シャル姉様は凄い人です。まだ若いのに収容所統括指揮を任されてるんです。強くて凛々しくてどんなことがあってもブレない、自慢の姉です」
「尊敬してるんですね」
「はい、してます」
ミルフィーノは力強く首肯すると、着ている白いワンピースの布を摘み上げた。
「このワンピース、姉様から貰ったものなんです。お下がりで、姉様からしたら要らないものを捨てる感覚だったんでしょうけど、私にとっては大切な物なんです。姉様から頂いた唯一の、宝物なので」
見たところ、白いワンピースにはシミどころか皺一つない。
とてもお下がりで貰ったとは思えないくらい綺麗で、ミルフィーノの体によく馴染んでいる。
「大事にしてるんですね。素敵です」
私が褒めると、ミルフィーノは少しだけ頰を赤く染めて照れ臭そうに顔を逸らした。
「姉様とは幼い頃、一緒に風呂に入ってベッドで寝たりしていました。私が家族みたいなことをできた相手は、姉様ただ一人だけです。でもそんな姉様とも、時が経つにつれて段々と疎遠になっていきました。朝しか顔を合わせることがなくなり、ちゃんとした会話もしなくなって、いつしかただの仕事仲間になりました。姉様は多分、私と風呂で体を洗い合ったことも、一緒にベッドの中で温め合ったことも覚えてないでしょう。私だけ覚えていて、私だけ、心残りで……もう取り返しがつかないくらい、ずっと……」
「……後悔、してるんですか?」
ミルフィーノは黙って、首肯する。
「もっと、甘えれば良かった。もっと素直に、姉様に話しかければ良かった。もっと、家族らしいこと、したかった……」
「まだ遅くないですよ。今からでも」
「もう遅いです」
「でも」
「遅いんですっ! もう無理なんです! 何もかもっ」
ミルフィーノは悲痛に満ちた声を叫ぶと、自分の両手を恨めしそうに見つめだした。
「私の人生は、汚れてるんです。誰かを監視して処理するだけの、腐った人生なんです。私に普通の人生なんてない。あるのはこの血濡れた手だけで、家族も、学校も、友達も……私には、何一つない」
絶望した顔で、瓦礫の上に縮こまるミルフィーノを見つめて、私は咄嗟に思ったことを口にした。
「ないなら、これから作ればいいじゃないですか」
その言葉を聞いて、ミルフィーノは無言で私のことを睨んできた。
簡単に言うな。アナタに何が分かるの? と、その顔には書いてある。
私は彼女の圧に臆しながらも、我慢できずに次の言葉を言い放った。
「今までの人生がそうだったとしても、これから作ればいいんですよ」
「……簡単に言わないでくださいよ。そんなの、できるわけないじゃないですか」
「簡単ですよ。管理人さんなら」
「無理ですよ。私にそんな自由なんか、ないです」
「ありますよ。私がそうさせます」
「は? 何を言って……」
困惑するミルフィーノに、私は勇気を振り絞って告げる。
「私と、友達になってください」
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