第18話 気持ち悪い
店主のハマキチさんは、営業中に突然エボルシックの末期症状へと至り、近くにいたコウヘイさんによって殺された。
その知らせを聞いた途端、私は一人で基地を飛び出して矢田食堂へと走った。
繁華街の通りを抜けて、息を切らしながら矢田食堂に辿り着く。
するとそこには、昨日と変わらない賑やかな光景が広がっていた。
店の外にあるテーブルで謎の料理を食べて馬鹿騒ぎしているお客さん達に、忙しそうに料理を提供しているヤチルちゃん。
活気に満ち溢れた光景を前に、私は拍子抜けする。
私が聞いた知らせは、誤報だったんだろうか。
一瞬だけそう思う私だったが、すぐに店主の姿が見当たらないことに気付き、違和感を覚える。
キョロキョロと周囲を見渡しながら店主の姿を探し回っていると、そんな私の前にコウヘイさんがやってきた。
「おおミルカ、なんだお前そんな息切らして。腹が減ってぶっ倒れそうなのか?」
「コウヘイさん、あの、店主は……。ハマキチさんは、どこに?」
「ん、ああ。店主はもういねえよ。さっきオレが殺した」
「……え?」
私は固まる。
「今、なんて?」
「だから、死んだんだよ。此処で末期症状になっちまったから、近くにいたオレが殺した」
まるで他愛のない話でもしているかのように、コウヘイさんはあっさりと私にそう告げてきた。
私は脳の処理が追いつかず、呆然と立ち尽くしてしまう。
「おーいどしたミルカぼーっとして。こんなとこに突っ立ってないで何か食えよ。あそうかお前、働いてねえから金ないんだったな。仕方ねえ。今日はオレが奢ってやる……ってオレも金なかったんだ! だはは!」
「……して」
「ん、なんか言ったか」
「どうして、そんなに平気な顔していられるんですか」
私は震える両手を握り締めながら、高笑いするコウヘイさんのことを睨んだ。
コウヘイさんは私の険しい表情を見て、片眉を吊り上げる。
「なんだよ睨むなよ。金ないのはお互い様だろお。まあ……一食ぐらいなら奢ってやれるからそれで勘弁してくれや。特別大サービスだぜ」
「そんなこと言ってるんじゃないんです」
「じゃあなんだよ」
「店主が死んじゃったんですよね」
「そうだな」
「コウヘイさんが店主を、殺したんですよね」
「そうだ」
「じゃあなんで……なんでそんな平気そうな顔してるんですか!」
気が付くと私は、コウヘイさんを怒鳴りつけていた。
まだ呼吸の整っていない体を使って、必死に叫ぶ。
「この店の常連だったんですよね! 店主と仲良かったんでしょ! それなのに、なのに……死んじゃって。殺しちゃってどうしてそんな普通にしてられるんですか!」
「お、おいなに怒ってんだよ」
「なんで死んじゃって涙一つ流さないんですか! 殺しても何も思わないからですか! だからなんですか! 意味わかんない! ほかのみんなもそう。なんで普通にご飯食べて騒いでるんですか! おかしいよこんなの!」
「ちょっと落ち着けって。な?」
コウヘイさんが苦笑いを浮かべながら、荒ぶる私の肩に触れてくる。
私はその手を振り払い、尚も叫んだ。
「なんで、悲しまないんですか……っ! なんでそんないつも通りでいようとするんですか!」
「おい、もういいから……」
「親しい人が死んだら悲しくないんですか! バケモノになったからどうでもいいんですか! みんなにとって命って、他人って友達って家族って……そんなものなんですか!」
「いいから落ち着けって言ってんだろっ!」
コウヘイさんが、私の声よりも大きな声で叫ぶ。
その怒号で我に帰った私は、食堂にいるお客さん達の視線に気が付いた。
みんな、真顔だった。楽しく笑い合っていたさっきまでの雰囲気を断ち切って、虚ろな目で私のことを見つめてくる。
私はその状況に確かな恐怖を抱いて、一歩後ずさった。
「みんな分かってんだよ、んなこと」
コウヘイさんがいつになく小さな声で、私に言う。
「おかしいことくらい分かってんだよ。でもそーしねえとこんなクソみたいな世界で生きけねぇんだ。毎日見知った奴が本物のバケモノになって、死んでいく。そのたびに泣いてたら、身がもたねえだろ。みんな割り切って、無理して笑って、こんなクソみたいな世界でも楽しく生きようとしてんだ」
「なんでそんな、こと……」
「それが収容所で生きていく上でのコツなんだよ。辛いことや悲しいことは、食って寝て忘れる。店主が死んじまって、悲しくないなんて思ってる奴は此処にいねえよ。悲しいから、辛えから、笑って忘れようとしてるだけだ」
私は涙目になりながら、コウヘイさんに尋ねる。
「苦しいなら、どうしてコウヘイさんは店主を殺したんですか」
「それがオレの仕事で、そうしねえといけねえからだ。オレなら躊躇わずにみんなを殺すことができる。傷付く奴が少なくて済むんだよ」
「意味、分かんない……」
「……オレのことはいいだろ。とにかくみんなは死ぬのが怖くねえわけでも、誰かが死んで悲しくないわけじゃねえんだ。みんなそれを閉まって、楽しく生きようとしてんだよ」
「なんでそんなことする必要あるんですか! 悲しいなら悲しいって言えばいいじゃないですか!」
「だからそーしねえと生きてけねえからってさっきから言ってんだろ! んなことで悲しんでたら、ずっと此処は地獄みたいな空気になんだろうが! ただでさえクソみたいな世界で、そんなことしてどうなるんだ! アァ? 正論ぶちかましてんじゃねえぞ!」
「こらこら二人共、そんな辛気臭い顔して喧嘩しないの。せっかくの料理が不味くなっちゃうよ。これじゃあ商売あがったり」
厨房にいたヤチルちゃんが出てきて、言い争う私とミナトの間に入った。
ヤチルちゃんはぎこちない笑みを浮かべながら、私とコウヘイさんの憤った顔を交互に見やった。
「とにかく二人とも落ち着いて、ね? 」
「……ああ、すまん。つい昂っちまった」
コウヘイさんが頭を掻きながら、いつもの馬鹿みたいな顔に戻っていく。
私にはそれが、気持ち悪く見えて仕方なかった。
「ほらミルカちゃんも、いつまでもそんな顔してないで座って座って。お腹空いてるでしょ、何食べたい?」
ヤチルちゃんが私の背中を押して、テーブル席に促そうとしてくる。
彼女の笑顔を見つめながら、私は尋ねた。
「なんでそんなに、無理して笑ってるの」
その言葉で、私の背中を押してくるヤチルちゃんの手がピタリと止まった。
下手くそな笑みを崩し、わずかに両目を痙攣させながら私に言う。
「……だってこうしないと、お店の営業できないじゃない」
「……なに、言ってるの? そんなの休めばいいじゃない。今日くらい。誰も責めないよ。なんでそんなことで、偽る必要があるの」
「矢田食堂は、年中無休なんだよ。休ませちゃ駄目なの。此処は、この店は、私とお父さんの、居場所なんだから……。それを私が壊しちゃ、いけないの」
「だから、泣かないの?」
「そうだね、泣かない」
「それでいいの?」
「今はね。でも大丈夫だよ。店が終わったら、ちゃんと泣くから。だから、ね?」
ヤチルちゃんはそう言うとまた、ぎこちない笑みを浮かべだした。
居た堪れなくなった私が彼女に何か言葉をかけようとしたその時、ミナトが矢田食堂へとやってきた。
どうやら、基地を飛び出した私のことを追いかけてきたらしい。
ミナトは食堂を見渡して瞬時にその険悪な雰囲気を察すると、急いで私の方に歩み寄ってきた。
私の手を取り、踵を返して颯爽と歩き出す。
「帰ろう。君は今、此処にいちゃいけない」
「……でも」
「いいから」
「……うん」
私はミナトに連れられて、矢田食堂を出た。
私達がいなくなった途端、食堂にいるみんなは一斉に笑い出し、元の賑やかな雰囲気を取り戻していく。
ヤチルちゃんも同様に笑いながら厨房へと戻っていき、せっせと注文された料理を作っていた。
みんな、笑っている。笑えなかったのは私だけ。
離れた場所から矢田食堂の光景を見つめて、私はその異常な雰囲気に恐怖した。
「みんなを悪く思わないであげて」
ミナトが優しい声で、私に語りかけてくれる。
私は偽物の笑顔を振り撒くみんなから目を逸らすと、ミナトに手を引かれながら覚束ない足取りで土の道を歩いた。
頭が痛い。胸が苦しい。気持ち悪い。もう何もかもから、逃げ出したい。
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