第17話 慰め

 その日を境に、私は病院を訪れるのを完全にやめてしまった。

 基地にある寝室のベッドに蹲り、布団にくるまって現実から目を背ける。


 朝になると、キクリがいつも通りに私を起こしにやってきた。

 私の体を揺さぶって、ベッドから引きずり出そうとしてくる。


「起きなさい。起きなさいってば!」


 中々起きようとしない私を見かねて、キクリが無理矢理布団を引き剥がそうとしてきた。

 私は必死に布団を掴んで、それに抵抗する。


「なに芋虫みたいに丸まってんのよ。そろそろ起きないと、マジで怒るわよ」

「……起きたくない」

「はあ? 何言ってんの。朝ごはん出来てるからさっさと下に降りるわよ」

「……食欲ない」

「じゃあ無理して食べなくていいから、一緒に来て」

「……嫌」

「なんで」

「……何もしたくないから」

「どうして」

「……ごめんなさい」

「誰が謝れって言ったの。理由を話しなさいよ」

「……」

「…… ねえってば」

「……」


 沈黙を続ける私に、キクリが静かな声で尋ねてくる。


「…… アタシには、話してくれないの」

「……」


 私は答えなかった。否、答えれなかった。

 そんな私に怒りを覚えたのか、キクリが刺々しい声をあげる。


「もう知らない」


 キクリは布団から手を離すと、大きな足音を立てて寝室から出ていった。

 バンっと扉が強く締められる音を最後に、寝室が一気に静まり返る。


 私はキクリに対して罪悪感を抱きながらも、ベッドから動こうとせず、布団にくるまったまま目を閉じた。

 眠ろうとしても眠れなくて、無意味に時間を消費し続けていると、いきなり寝室の扉が開け放たれた。


「おうおうおう! おはようミルカ! 飯食うぞ飯!」


 この無駄にうるさくて耳を痛めつける声は間違いない、コウヘイさんだ。


 コウヘイさんは無許可で寝室に入ってくると、私を布団ごと持ち上げて抱えだした。


「え、な、なんですか……っ!?」

「飯だ飯! 腹ごしらえだ!」

「要らないです! 離してください!」

「いいから黙ってついてこい!」


 コウヘイさんは布団にくるまったままの私を肩に担ぎ上げながら、なぜか基地の外へ出て走りだした。


 私は必死に逃げ出そうと抗ってみるも、コウヘイさんの力が強すぎて振り解けない。

 どうやら、大人しく従うしかないみたいだ。


 コウヘイさんに連れて来られたのは、第六地区で最も人気なお店である矢田食堂だった。

 コウヘイさんは私を肩から降ろすと、強制的にテーブル席へと座らせてくる。


「まったく、せっかく朝食用意したのにこれじゃあ台無しじゃない」

「まあまあ、たまにはいいじゃないか。みんなで外食」


 文句を言うキクリを、ヒナツキさんが宥める。


 矢田食堂には今、第六部隊全員が集まっていた。大きなテーブルの席にみんなで腰掛け、私を囲んでくる。


「さあさあ食べるぞ! 今日はオレの奢りだ遠慮なく食え!」

「いやアンタ、アタシ達に奢れるくらい金あるわけ?」

「ない!」

「ならなんで言ったのよ!」

「一度言ってみたかっただけだ!」

「払えないのに言うんじゃないわよ! このアホ!」

「なんだと、今オレをアホつったか! オレは馬鹿だ間違えんな!」

「どっちも同じでしょ! そんなことも分からないの!?」


 キクリとコウヘイさんが、コントのような口喧嘩を始める。

 ヒナツキさんとミナトはそんな二人をガン無視して、厨房にいる矢田親子に注文をつけた。


 次々とテーブルに奇怪な料理達が運ばれてきて、それをみんな美味しそうに平らげていく。

 頼んでもいないのに私の目の前にもたくさんの料理が置かれていき、私は困惑した。


「あの、これはどういう……」

「朝食だよ。いや、昼食と兼用かな。とにかく今日は此処でみんなといっぱい食べようという話になってね」


 私の真正面の席に座るヒナツキさんが、レンゲで謎の食べ物を掬い上げながらそう言った。


「なんで私まで……」

「みんなの中に君も入ってるからだよ。君だけ置いていくなんてことはできないからね」

「でも私、食欲ないです」

「だったら別に食わなくていいわよ。そこで大人しく座ってなさい」


 コウヘイさんとの口喧嘩を終えたキクリが、頬杖を突きながら私に言ってきた。

 私は顔を伏せながら、ボソッと呟く。


「……私なんかいたって、邪魔でしょ」

「邪魔なら無理矢理連れて来たりしないわよ。なんでそんな卑屈なわけ?」

「……ごめんなさい」

「だからすぐ謝らないでよ。ホント調子狂うわね」

「まあまあそのへんにしときなさい」


 私とキクリのやり取りに、見かねたヒナツキさんが止めに入る。


「とにかく最近、君の調子が悪いようだからね。これは私達なりの励ましというか労いの一環なのだよ」

「……どうして私なんかに、そこまでしてくれるんですか」

「君にはいつも薬の実験を手伝ってもらってるからね。これくらいの労いはさせてくれ。とは言ってもただ食べるだけなんだけど」


 ヒナツキさんのその言葉に、ミナトが乗りかかる。


「食欲がなくても少しくらい食べなきゃ、体調までも崩しちゃうよ。なんでもいいからとりあえず食べよう」

「そうだぞミルカ! 辛いことがあったら食って寝て忘れろ。それがこの収容所の鉄則だ! さあ食え食え、笑え! 楽しくしなきゃ生きてる意味なんかねえぞ!」


 コウヘイさんがテーブルから身を乗り出し、お椀に入ったゲテモノ丼を私に手渡してきた。

 私は大人しくそれを受け取ると、箸を使っておもむろに食べ始める。


 一口、また一口と食べていくと、段々と箸が止まらなくなってきた。

 ゲテモノ丼は見た目が終わっているけれど、箸を進ませる謎の中毒性があるのだ。


 次第に私は、勢いよくゲテモノ丼を口にかき込むようになっていた。


「うおお良い食いっぷりだなミルカ! その意気だ!」


 コウヘイさんが近寄ってきて、ゲテモノ丼にがっつく私の背中を叩いてくる。

 咽せるからやめてほしい。


 私はあっという間にゲテモノ丼を完食すると、米粒一つなくなったお椀をテーブルの上に置いた。


 すると突然、私の目から涙が流れ始めた。


「ちょ、急にどうしたのよっ!」


 突然泣き出した私を見て、キクリが騒ぎ出した。

 他のみんなも、驚いた顔をして固まっている。


「うっ……えぇうう、わだじ、わたじ……っ」

「おいキクリ、お前泣かしたな。謝れ」

「はあ!? なんでアタシなのよ! どっちかっていうとアンタでしょ!」

「いーやお前だな! なんとなくお前だ!」

「なんとなくで決めつけんなし! アンタが背中を叩いたからじゃないの? 暴力最低」

「暴力じゃねえ!」


 私を間に挟んで再び口喧嘩を始めるコウヘイさんとキクリ。

 ヒナツキさんが仲裁に入ると、コウヘイさん達は渋々喧嘩を中断して席に座り直した。

 そのままみんなして、咽び泣く私を静かに見つめてくる。


 恐らく、私が何か言うのを待ってくれているんだろう。

 私はそれに応えるべく流れる涙を必死に拭い、口を開いた。


「……私、もうどうしたらいいのか、わからなくなってたんです。ハルちゃんが……私の妹が生きてて、嬉しいはずなのに……。なのに苦しいことばっかで。なんか、感情がぐちゃぐちゃになってきて……。生きてるのが、なんだか辛くなって……。辛く、て……っ」


 胸に溜まっていた思いを吐き出すたび、涙の勢いが加速する。

 話せば話すほど感情が溢れてきて、呂律が回らなくなっていった。


 泣くことしかできなくなった私に、誰も何も言わなかった。

 ただ黙って、私が泣き止むのをじっと待ってくれる。


 私は嗚咽を漏らしながら、泣き腫らした目でテーブルに置かれた料理を手に取り、やけくそ気味に食べだした。

 行儀の悪さなどお構いなしに、皿ごと持ち上げて謎の料理達を口にかき込んでいく。


 それを見たコウヘイさんが、「いいぞいいぞお!」と面白おかしく盛り上げだした。


「なんだ嬢ちゃん、珍しく良い食いっぷりじゃないか! いいぞ気に入った!」


 両手に料理を持ってやってきた店主のハマキチさんが、私の食べっぷりを見てゲラゲラと笑った。


「今日はヒナツキさんもいるのか。これはめでてえ。アンタらにはいつも世話になってんだ、安くしとくからどんどん食ってくれ!」


 店主のその言葉をきっかけに、第六部隊のみんなはさらに注文をつけていった。

 みんな、食欲旺盛である。


「今日は宴だ! 食って食って食いまくれ!」


 テーブルに運ばれてくる料理をみんなで爆食いしながら、馬鹿騒ぎ(主にコウヘイさんが)を始める。


 やがてその雰囲気は矢田食堂全体に伝染していき、食堂にいるお客さん達全員を巻き込んだ盛大な宴になっていった。


 宴の騒音は町の建物を吹き飛ばす音よりも大きくて、凄まじい熱気が矢田食堂から生まれていた。


「だっはっは! 飯最高!」


 コウヘイさんが知らない誰かと肩を組みながら変な踊りを披露し、店のテーブルや椅子を蹴り飛ばして壊す。


 店の備品が壊されたというのに、店主であるハマキチさんはそれを笑って許してしまい、あろうことか仕事を放棄してコウヘイさん達の踊りに混ざりだした。


 それに怒ったヤチルちゃんが、店で踊りまくる店主達の頭にオタマ攻撃を食らわせる。

 私はそんな寸劇を遠くで眺めながら、テーブルに追加された料理達を頬張った。


 ミナトもキクリもヒナツキさんも、それぞれ別の場所で誰かと話していて、私だけテーブルに残って運ばれてくる料理ばかり食べていた。


 みんな、私に深い事情を追及したり咎めたりはしてこなかった。

 彼らなりの配慮なのか、今の私にはそれがありがたかった。


「まったく、お父さんもお客さんも世話が焼けるよ」


 ヤチルちゃんが愚痴を吐きながら、私達のテーブルに注文した料理を提供してくれる。

 そのまま私の隣に座って、長い息をつきながら寛ぎだした。


「収容所の生活には慣れた? ミルカちゃん」

「え、あ、はい。慣れました」

「敬語はいいよー。そんなに歳変わらないでしょ。それに此処じゃ年齢なんてどうでもいいし」


 気さくな笑顔を私に向けてくれるヤチルちゃん。

 私はそんな彼女に今出来る精一杯の笑顔を返すと、再びお客さん達と変な踊りを始めた店主の方に視線を向けた。


「店主、元気ですね」

「元気すぎて困るわよホント。私はいつもそれに振り回されてばっかり」

「なんか、大変そうだね」

「本当大変だよ。昔からああなの、あの人」


 でも、と。ヤチルちゃんは向こうで客とふざけ合って踊っている店主を見つめて、くすりと微笑みながら言葉を紡いだ。


「おかげで毎日楽しいよ」

「……お父さんのこと、好きなんだね」

「ちょっとやめてよ好きとか。なんか父親に対してそれは気持ち悪いじゃん」

「あー、確かに」

「でもまあ家族だからね。大切だとは思ってるよ。他の家族とはもう、会えないし」

「……」

「それにこの店に来てくれるお客さんはみんな家族みたいなもんだよ。ちょっと、喧しすぎるけどね!」


 ヤチルちゃんはそう言って私にウインクすると、席を立った。


「ミルカちゃんも、いつでもウチに食べに来ていいからね。元気がなくなったらウチの料理食べに来て。歓迎するよ」


 私に手を振りながら、ヤチルちゃんは未だに客と踊っていた店主を引き連れて厨房へと戻っていく。

 口喧嘩しながらも楽しげに料理を作るその親子を眺めながら、私はつい羨ましいなと思ってしまった。

 私はあんなふうに、大切な家族と過ごせないから……。


 病室のベッドに一人でいる妹の姿を思い浮かべながら、私はゲテモノ丼をかき込んだ。

 食べて食べて、今だけでも辛いことを忘れようとする。


 宴は、一日中続いた。


「また来なよ嬢ちゃん。そん時は新作の試食を頼む」


 閉店作業をしていた店主が厨房から顔を出して、ゲラゲラと笑いながら私に言ってくれる。


 私は「はい」と笑顔で答えると、六部隊のみんなと共に矢田食堂を後にした。
















その翌日、店主は死んだ。


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