第5話 打ち明ける

「それで、話って何?」

 ダイニングのテーブルで俺と向かい合って座った母親は、そう切り出した。

「単刀直入に聞こう…………………もう気づいているんだろう?」

『ちょっ、何を言ってるんですか!?』

 影の中でミサキが焦っているが、俺はただ母親の顔を見続けていた。

 母親は、俺の言葉を聞くまで困ったような笑みを浮かべていたが、俺の言葉を聞くと、真剣そうな表情に変わった。

「……………………やっぱり。あなた、ミサキちゃんじゃないのね?」

『!?』

「やはりそうか」

 やはりとは言いつつも、母親がこの体を乗っ取っていたということに気づいていたという確信を俺は持てていなかった。

 だが、母親から俺に向けられる視線が、何かに縋るような不安と悲しみに満ちたものであり、事故で無事だった娘に向けるようなものではないということだけは気づいていた。

「いつ、どこで気づいた?」

「…………………………最初から、かな。何となくわかるのよ。母親だもの」

 そう言って彼女は微笑んでいたが、どこか悲しそうに見えた。

 それもそのはず、俺がミサキではないということは、ミサキが死んでしまったということを意味しているのだ。

「お前の考えている通り、俺はミサキではない」

「………………………そう。それじゃあ、ミサキちゃんは、もう_________」

 そう言った母親は、顔を手で覆った。

 彼女はこれから、娘を失った悲しみに泣いてしまうのだろう。事実、指の隙間から見える彼女の瞳は、うるんでいた。

 本来であればそのまま涙がこぼれていくはずだが、そうはならない。

「いや、本物のミサキはここにいる」

「『!?』」

 俺は左手を影に突っ込み、ミサキの首の後ろをつかんで持ち上げた。

「え?…………猫?……………どこから?」

『ちょっ!…………え!?なんで影の中に入れるんですか!?』

 母親は急に黒猫が出てきたことにより驚き、ミサキは影の中に隠れていたのに捕まえられたことに驚いていた。

 そういえば、俺が眷属の力を腕に宿せるということをミサキに言ってなかったか。

 記憶を引き継いでいるのだから知っていると思ったが、本当に少しの記憶しか引き継いでいないらしい。

「『………………』」

 呑気にそんなことを考えている俺とは裏腹に、ミサキと母親は見つめ合っていた。

 正確には、見ているのは母親だけで、ミサキは気まずそうに眼をそらしていた。今にも影に潜りたそうにしていたが、首の後ろをつままれているため大人しくぶら下がっていることしかできないようだ。

「何か言いたいことがあれば俺が伝えるぞ」

 母親と意思疎通ができないミサキに話しかけながら机の上にそっとおろすと、ミサキは床に飛び降り、影に潜ろうとする。

 だが_______

「待って」

 母親のその言葉にミサキは動きを止めた。

 たとえミサキが影に飛び込もうとしていても、俺が影を“固定”していたため逃げられる心配はなかったが、どうやらその心配は杞憂に終わったらしい。

 母親は立ち上がって動きを止めたミサキに近づき、そっと抱きかかえた。

「………ミサキちゃん、なのよね………………?」

 そして床に座ったままミサキを顔に近づけると、抱きしめながら涙を流した。

『お母さん………………』

 抱きかかえられたミサキは、それに応えるように母親の胸に顔を埋めた。

 ミサキはもう、この場から逃げる気はないようだ。




「そう。そんなことがあったのね」

 泣き止んでも床に正座したまま動こうとしない母親に、これまでの経緯を簡単に説明した。

「うむ。部外者で悪いが、これからよろしく頼む」

 俺は母親と、母親の膝の上に乗って大人しく撫でられているミサキを見ながらそう言った。

 俺からすれば、ミサキと魂が混ざって記憶も引き継いでいるため、これからこの家に住むことに対して違和感はない。だが、母親からすると、俺という存在は自分の娘の体を乗っ取った部外者なのである。

「そうね。でも……………」

「む?」

 母親はミサキを抱きかかえながら立ち上がり、俺のそばに立った。

 俺はそれに応えて立ち上がり、母親と向かい合う。

 すると____

「ミサキちゃんを助けてくれてありがとう。こちらこそ、これからよろしくね」

 そう言いながら、俺を抱きしめてきた。

 今までとは違う、感謝の気持ちが込められた抱擁に対して、俺の動きは一瞬止まった。

「………………………俺は、この体を_____娘の体を乗っ取ったんだぞ。なぜ、礼を言う?」

「あなたがいなければ、ミサキちゃんは死んでいたからよ」

 母親はそう言うと、抱きしめる手をさらに強めた。

「ミサキちゃんが病院に運ばれた時、私もその場にいたの。もう助からないほどの怪我をしてたのを見て、もう、本当に、二度と会えなくなるかと………………」

 そういうと、俺を抱きしめながら再び泣いてしまった。

 俺は左手を母親の背中に回し、慰めるようにそっと抱く。

 俺はミサキとしてではなく、魔王として初めて抱き返すことができたのだ。

「にゃ、にゃぅにゃー………………」

 俺と母親の間に挟まれたミサキも、鳴きながら慰めるように母親の胸をポンポンと叩いた。

『ちょっ、苦しっ!ここから出して………………!!』

「…………………」

 どうやら苦しかっただけらしい。

「影に逃げれば______いや、この様子じゃ無理か」

「………影?」

 俺はそう言いながら、母親の肩をそっと押し返し、ミサキが逃げられるようにする。

 隙間ができて動けるようになったミサキは、全身で息をしながら床に降り、母親の問いに答えるように影に逃げ込んでしまった。

「へー!急に出てきたと思ったら、そーゆーことだったのね」

 母親はそれを見ても怖がらず、その影に近づいてしゃがんだ。

「怖いとは思わないのか?」

「どうして?すごいじゃない!」

 そう言い放った母親は、影から頭だけを出したミサキを撫でた。

「ずいぶん肝が据わっているな。いや______」

 似たもの親子と言ったところか。

 俺はお腹の上で呑気にくつろいでいたミサキを思い出しながら、そう思った。

「そうだ。ところで______」

『!?』

 何か気になったことがあったのか、母親はミサキの首根っこをつかんで影から引き抜き、再び腕に抱いて振り返った。

「この子はミサキちゃんでいいとして…………あなたのことは何て呼べばいいのかしら?」

「俺のこと?」

 俺はその言葉に、落ち着かせるように撫でられながらも、驚いて体が強張っているミサキを見た。

 俺とミサキの正体を話すのは身内だけにしようと思いつつも、家の中で違う呼び方をされるとまた混乱が起きてしまいそうだ。

 だが、それでも答えは決まっている。

「俺のことは、魔王と呼んでくれ」

 俺はミサキのふりをして生きていくのではなく、ミサキの皮を被った魔王として生きていく。

 その決意を乗せた言葉だったのだが________

「じゃあ、“まおー君”ね!」

「…………まおーくん???」

 まおー君、か。まおー君、ねぇ……………。

「…………………………………………まおーくん?」

「あれ?もしかして、男の子じゃなかった?

 しゃべり方で男の子だと思ってたんだけど…………じゃあ、まおーちゃn______」

「まおー君でいい!!」

「え?そう?」

 危ないところだった。

 どちらかといえばこっち、というような二択から選んだだけでもはや選んだとは言えないが、最悪の事態は避けられたと考えるべきだろう。

「やっぱり男の子であってたのね?」

「ふむ………………」

 あれ?俺の性別ってどっちだっけ?

 この世界にきて始めて考えたが、俺には性別というものがあったのだろうか?

 そもそも俺は、生物の枠から外れた存在のため、男も女もなかったような気がする。

「いや、そもそも俺には性別がなかったような_______いや、何でもない」

 その事実を伝えようとしたが、それだと外見からあの不名誉な呼ばれ方をされる可能性があるため、これ以上言うのをやめた。

「なんだか新しく息子ができたみたいでうれしいかも~。じゃあ改めて、これからよろしくね、まおー君!」

「う、うむ。よろしく頼む」

 そう言った母親は、にこにこしながら俺の頭を撫でた。

 母親からすれば、自分の娘の中に見ず知らずの男が入っているという状況なのに、母親として思うところはないのだろうか。

 そう思いつつも、それに言及すると何か墓穴を掘りそうなため、ここは適当に流すことにした。

「なら、俺はミサキの兄だな」

「そうね。ほら、ミサキちゃんもお兄ちゃんによろしくって言いなさい?」

『ちょっと待ってよ、お母さん!!私の方が先にこの世界にいるんだから、私の方がお姉ちゃんでしょ!!!』

 ミサキはそんな母親の言葉が不満だったのか、にゃーにゃー鳴いていたが、俺が母親にその言葉を翻訳することはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る