第4話 帰宅
「結論から言いましょう______」
次の日の朝、俺は病室で真剣そうな表情をした医者と話をしていた。
「ミサキさんには、怪我が治ってもしばらくの間入院してもらうことになりそうです」
「そうか………………それは大変だな」
「?………………なぜ、他人事なんですか?」
「?………………あ、俺か」
黒猫のことをミサキと呼んでいるため、俺がミサキということを忘れかけていた。
そうか。俺が長い間入院することになるかもしれないのか_______それはまずい。
俺はとにかく早く勇者を倒すための準備をしたいのだ。
「長い間とは、例えばどれくらい……………?」
「これからの検査の結果にもよりますが、最低でも二週間ほどは覚悟しておいてください」
「…………………最低でも二週間、か」
俺は今日にでも退院しようとしていたのだが、どうやらそうはいかないらしい。
そもそも今の怪我の状態は、外傷と骨折している右足が完治しており、右腕はまだ完治には程遠いが、ひびが入っている程度まで治っているのだ。
なぜここまで早く治せたかというと、昨日の昼食と夕食、今日の朝食によって少しだけ魔力が回復したためである。それによってほんの少しではあるが魔力による治療を進めることができ、ギプスが必要になるが日常生活を送れるほどまで治すことができたというわけだ。
恐らく医者は、このことを知らないために入院期間が延びると言っているのだろう。
ここはさっさと検査をしてもらって、治りかけているということを早めに知ってもらえば______
「今一番の問題は______心の方です」
「え?心?」
もしかして、俺が入れ替わっていることを悟られてしまったのか?
俺は不安になって、ミサキがいるであろうベッドの影へと視線を送った。
「先日食事を担当した看護師から聞いたのですが、幻聴が聞こえているのではないかと思いまして」
「え?いや、それは……………………それのことかぁ……………………」
俺はそれが原因で頭に異常があるのだと思われたため、入れ替わったと気づかれないことに安堵した。だが、逆にそれを弁明するためにはその勘違いを正してしまうことになってしまうため、説明することができなかった。
「治療後に頭もレントゲンで確認しましたが、異常はありませんでした。ですが、見えないところで後遺症が残るのはよくあることなんです」
「ふむ…………………」
異常がなかったのか………………逆に反論しづらくなってしまった。
「辛いとは思いますが、正直に言ってください。幻覚の自覚症状はありますか?」
「………………………」
「あのような怖い思いをして、心に傷を負うことは仕方がないことなんです。
大丈夫です。私たちがきっとミサキさんの力になります」
俺が沈黙してしまったことが答えになってしまったのか、医者は優しそうな目で俺を見つめてきた。
その視線にさらされた俺は、その視線を拒むように助けを求めて、ベッドの影を見つめた。
だが、ミサキも名案を思い付かないのか、首を横に振るように影を揺らすだけで何も言葉を発することが無かった。
「ふむ…………………」
うまくごまかすことができない。だったら、正直に話してしまえばいいのではないか?
俺は逆に割り切ることにした。
この状況を切り抜けるためには、本当のことにうまく嘘を織り交ぜて、話を退院する方向へと誘導するしかない。
そして、これ以上ボロが出る前に退院してしまえばいいのだ……………!
「実は、幻覚とかではなく、そもそも記憶があいまいで_______」
「記憶があいまい?なら、なおさら詳しく調べないと______」
「いや、思い出そうとすれば思い出せるんだが、実物を見たり何があったのか?と聞かれたりないと思い出せない。だから、入院生活から家に戻って日常生活を送れば、記憶も完全に戻るはずだ。
幻覚が見えているのではないかという話も、記憶との整合性をとるために言った独り言がそう聞こえてしまったのだろう」
「………………なるほど。そういうことですか」
納得したような医者の発言を聞き、何とかうまく言い訳をすることに成功したと俺は一安心した。
どうだ。結構無理やりだったが、なかなか筋の通った嘘だろう?
と、俺は自信満々な顔で影に視線を送ると、影が大きくうなずくようにゆらゆらと揺れた。
「女の子にしては少し変……………というか変わった口調だと思いましたが、そういうことだったんですね」
口調が変?言われてみればそうかもしれないな。以前のような体であれば問題なかったかもしれないが、この体でこの喋り方は変わっているというよりは、おかしいと言えるだろう。
だが、魂が混ざったとはいえ、この口調を変えられるかといわれると怪しいものがある。
というか、そもそも女の子っぽい口調ってどんな感じなんだ?
「しかし、記憶ですか…………………まあ、そちらの方は置いておくとして、まだ骨折や外傷の方は_______」
「あ、あと骨折もほとんど治った」
「_____え?」
「だから、退院させてくれ」
「………………………え?」
「退院を………………認めましょう」
骨折がほとんど治りかけたことを証明するために、細かい検査をした後、医者から告げられたのは退院を認めるというものだった。
「完治までには一か月以上かかると思っていたんですけど…………………。やはり、例の怪物による被害者は不思議なことが多いですね」
タブレットを見ながら医者は不思議そうにそう言った。
昨日から医者は、魔物による被害者は不思議なことが多いとよく言っているが、これは言い訳をするときに使えるかもしれない。
俺の言い訳リストに、『記憶喪失』に加え、『例の怪物のせい』が追加された。
「まあ、私はミサキさんの助けになることをするのが仕事ですからね。何も悪いところがないというのなら、信じましょう。
ですが、保護者の方に連絡先を渡しておくので、何か変わったことや気になったことがあれば遠慮なく連絡してください」
そう言った医者は、病院に呼び出された母親と、定期検診の日程やメンタルケアなどの話を始める。
その間暇だった俺は、ギプスの外れた左足を歩いて確認しながら、退院の準備を進めていった。
「着いたよ~」
「……………………うむ」
病院から逃げ出すことに成功した俺は、母の運転する車の助手席に座っていた。
助手席の窓から外を見渡すと、住宅街の中にある自宅が見える。
二階建てのそれなりに大きな家は記憶通りの姿をしていたが、近代建築の四角い家は前の世界で見かけたことが無かったため、いざ目の前にすると懐かしさと珍しさで変な気持ちになってしまう。
これからこの家で過ごすにあたり、そこら辺の気持ちの整理をうまくやっていかないといけないようだ。
「ごめんね、その腕だと開けにくいよね?」
車から出ずにそんなことを考えていると、それを見かねたのか先に外に出た母親が助手席のドアを開けた。
「いや、少し考え事をしていただけだ」
俺は病衣から私服に着替えた俺の体を見る。
まだ治りきっていない右腕はギプスで固定されて首から吊り下げられていたが、顔や腕などに巻かれていた包帯はすべて外され、元から傷などなかったかのようにきれいな白い肌があった。
「そうなの?でも、やっぱりやりづらいでしょう?」
そう言いながら母親は、出発する時と同じように俺のシートベルトへと手をかけた。
俺はシートベルトが当たらないように右腕を上げると、それを見た母親はスイッチを押した。
「…………………感謝する」
俺はするすると引き戻されているシートベルトを見届けると、車の外に出た。
春にしては少し眩しい日差しから目を背け、俺の影に視線を送る。
すると、自分の存在をアピールするかのように影が揺れた。
『す、少し酔いました…………………気持ち悪いです』
「……………………」
いや、ただ酔ってフラフラしているだけだったようだ。
「……………どうしたの?やっぱり体調がよくない?」
「おr……………いや、“私は”大丈夫だ」
「そう…………?ならいいけど」
車のドアを閉めた母親は心配そうにこちらを見た。
どうやら影を見ながら動かなくなってしまった俺を見て、まだ怪我の影響があると思われてしまったようだ。
いや、違うな。やっぱりと言ったということは、それ以前から気づいていたのだろう。
俺は病院から自宅までずっと考え事をしていたのだ。母親から何を話しかけられても上の空で返事をしていたため、それで気づかれてしまったのだろう。
俺が考え事をしていた原因は、母親が退院の手続きをしていた時に待合室でのミサキとの会話だった。会話の内容は勿論、これからの俺の振る舞いとミサキの扱いをどうするかである。
この話はミサキから持ち掛けてきたもので、彼女は俺にミサキとしてふるまってほしいことと、自分のことを拾ってきた猫として落ち着いた頃に紹介してほしいということを望んだ。
俺はそれを断ろうとしたが______
『本当だったら私は死んでいたんですよ。私はここにいるだけで魔王さんが私の代わりとして生きてくれれば、お母さんたちは悲しみませんから。
私は、猫としてみんなを見ることができれば、それでいいんです』
その言葉に何も言うことができなくなってしまったのだ。
恐らく彼女は、自分が死ぬことを受け入れていたのだろう。俺がこの体に入った時、ミサキの魂の反応が薄かったのはそのせいだったのだ。
俺の眷属として猫になった時、その状況を受け入れることができていたのも、俺の記憶を少しだけ引き継いだからではなく、その覚悟があったから______
「ただいま~」
「……………………」
気が付けば、俺は母親とともに玄関の中に立っていた。
後ろを振り返れば、ミサキのいる影と、ゆっくりと閉じていくドアが見えた。
もう逃げ場はないと言うように_____
俺に覚悟を強いるようにそのドアは重く、静かに閉まった。
「ほら、ミサキちゃんも!」
「……………?」
家の中をむけば、既に玄関から上がった母親がそこに立っていた。
「ほら、何か言うことあるでしょ?」
「?……………ああ、ただいま」
「お帰りなさい!」
母親は笑顔でそう言うと、少し低い位置にいる俺を抱きしめた。俺をもう二度と話さないというように。優しく、力強く抱きしめた。
だが、俺は母親を抱き返すことはできなかった。もしこの手が母親に触れてしまえば、もう二度と逃げることができないような気がしたのだ。
「ふぅ………………急にごめんね。お昼にしましょうか」
そう言った母親は、ダイニングへとつながる扉へと向かっていった。
いつからこんなに面倒なことになったのだろう。
魂が混ざったせいで、魔族や人族のように他人への興味を持てるようになったからか?
そのせいで、自分だけではなく他人の事まで考えてしまうようになってしまったからか?
自分のことだけでなく、他の人のことまで考えることがこれほど難しかったとは思わなかった。魂が混ざったせいで、本当に余計なことまで考えさせられるようになってしまった。
さっきまで心地よかったものが、これほど苦しいとは思いもしなかった。
案外、あの時の女魔族も同じようなことを考えて_________
「……………………何だこれは?」
「?どうしたの?」
俺の言葉に、扉に手をかけようとしていた母親が止まった。
俺は靴を脱ぎ捨て、ずかずかと母親の方へと向かった。
「昼食はあとでいい。それより先に話したいことがある」
「え、ええ。分かったわ」
俺は今まで味わったことのない感情に、我慢の限界が来た。
そうだ。俺はあの時、女魔族に一つのことだけを考えればいいと言ったのだ。なら、俺も勇者を倒すことだけを考えればいい。
その時、俺の魂が何か変わったような気がした。
ミサキと俺の魂が混ざった状態から、俺がミサキの魂を飲み込んだような。
いや、違う。
俺たちの魂が本当の意味で繋がり、混ざり合い始めたのだ。
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