第6話 登校、そして邂逅

「行ってきまーす」

 次の日の朝、制服に着替え、教科書諸々の入ったカバンを抱えた俺は、玄関からその言葉を口にした。

 記憶の中では普段何気なく口にしていた言葉でも、実際に口にしてみるとなかなか感慨深いものが_______

「あー!待って待って!お弁当忘れてる!!」

「…………………」

 感傷に浸っていたのに急に現実に引き戻された俺は、廊下から急いで駆けつけてきた母親から保冷バッグに入れられた弁当を受け取った。

「あ、その手じゃ入れにくいよね?入れてあげるから、ちょっと腕上げて」

 受け取った保冷バッグを再び母親に返し、肩にかけているバッグを開けやすいように腕を上げた。

「これで良し。あ、あとこの子も」

 と言いながら母親が差し出してきたのは、エプロンの前ポケットから取り出したミサキだった。

 疲れたような、それでいてふてくされたような表情をしたミサキに同情の視線を送り、左手で優しく受け取った。

『事故があったからしょうがないけど、これは流石にやりすぎです!』

 そう俺に言い残したミサキは、俺の手に収まるや否や、影に飛び込んでいった。

「それじゃあ改めて、行ってきます」

「行ってらっしゃい。気を付けてね。ミサキちゃんも、行ってらっしゃい」

 外に出るために扉を開けると、外の光によってできた影の中から、しっぽが揺れているのが見えた。

「さて、行くか」

 扉が閉まるまで手を振っていた母親を見送ると、影とともに通学路を歩いていく。

『道は“覚えて”るんですか?』

「勿論。それより、そっちは疲れてないのか?ずっと母親に構われっぱなしだったんだろう?」

『勿論………………疲れましたよ』

 感動(?)の再開の後、母親はミサキと片時も離れたくないのか、エプロンについている大きなポケットにミサキを入れながら生活するようになった。記憶の通りであれば、母親がエプロンをつけるのは料理する時くらいだったのだが、エプロンのポケットに入れることを思いついてからはずっとエプロンを身に着け、暇さえあればポケットの中にいるミサキを撫でているのを見かけるようになった。

「それにしては、母親とずっと一緒で嬉しそうだっ_______」

『う、うれしくないです!!仕方なくですよ!!!』

 そんな状態のミサキを見かねた俺は、母親がトイレに行ってミサキを置いていった際に、影でこっそり逃げて少し休めば?と提案したのだが、心配かけたからこれくらいは、と頑なに断られていた。

 まあ確かに、何も言わずにいなくなってしまえば、事故にあった時のように母親が不安になってしまうかもしれないし、それを考えてミサキは“仕方なく”ずっと一緒にいるのだろう。

「ままならないものだな…………………」

『…………………?』

 ミサキと母親がこんなにもくっついて生活している気持ちは理解できる。

 いや、正確には、この体に入ってから理解できるようになった。

 ミサキと母親は、もう二度と会えないと思っていたからこそ、会えなかった時間を取り戻すように、お互いに寄り添い、傷をなめ合っているのだろう。

 だが、その傷が癒えるのが同時とは限らない。

 ミサキの傷が癒えても母親の傷がまだ癒えていない中、真実を言いづらかったのかもしれない。

 本来であればミサキの能力によりこの家と俺の影をつなぐことができるため、母親のもとを離れてわざわざ俺の影にいることはないのだが、傷の癒えたミサキは学校に行くからという優しい嘘までついて母親と離れる理由を作ったのだ。

 人間特有というよりも、これはミサキ個人の性格によるものなのだろう。俺が母親との関係で葛藤していたのは、自分がしたいことを優先せず、誰かのために我慢してしまうミサキに引っ張られてしまったのだ。

 ミサキは今、俺と同じように自分のしたいことと他人のためにやらなければいけないことの狭間で迷っていたのだ。

 ミサキは自分のしたいことを犠牲にしても他人を傷つけたくないのだろう。一度混ざりあい、精神を揺さぶられた俺だからこそ分かってしまう、ミサキの性格だった。

「ちなみに、いつから一緒にいるのが嫌になったんだ?」

『だ、だから________いえ、朝起きた時です』

 なるほど。ミサキの傷は母親とともに眠ったら癒えていたのか。

『いやぁ、お母さんの寝相があんなにひどいとは思いませんでしたよ。まさか、食べられかけるとは_________』

「ただ嫌気がさしただけなのか…………?」

 俺はミサキの傷が癒えたのか母親と一緒にいるのが嫌になってしまっただけなのかよくわからなくなってしまう。

 なぜミサキが猫の姿になったのか考えもしなかったが、彼女が自分の体に猫の姿を映し出したのは、彼女の性格からくる願望が原因なのかもしれない。

 自分を犠牲にしてまで他人を優先してしまうという性格を持ちつつも、そのような生き方を苦しいと思っていたからこそ、彼女は猫の姿を選んだのだ。

 猫のように、自由気ままで他人のことを考えず、それでも猫のように周りを癒して誰も傷つけることのない、優しすぎる願いがその姿に秘められているのかもしれない。

 俺はこの体になってからずっと“そこにあった”思いの正体が、何となく理解できた気がした。

『…………………どうしたんですか?』

「いや、少し考え事をな」

 気が付いたら、ミサキの通っていた高校の校門前まで来ていた。

『それにしても、じろじろ見られてますねー』

「?」

 考え事に夢中で気が付かなかったが、学生たちに見られていたようだ。

 歩きながら周りを見ると、進行方向は同じだが、確かに俺は注目を浴びていた。

 俺の何に目を引かれているのだろうか。

「ああ、この怪我した腕か」

 俺は目を引くギプスで固定され、吊り下げられた右腕に目をやった。

 魔力による治療によって明日までには完治するだろうから、目立つのもそれまで_______

『いや、その髪の色ですよ』

「ん?ああ、これか」

 制服を着た女子高生がこのような髪の色をしているというのは、確かに目を引くだろう。

『…………………人目が気にならないんですか?』

「そういえば、少し気になるかもしれんな……………………特にこの寝癖が」

 俺は昨日よりもくせ毛がひどくなった髪を撫でる。

 元々癖のある髪質なのだが、朝起きたら寝癖がついており、その寝ぐせを母親が治そうとしたらさらにひどくなってしまったのだ。

『いや、それよりも髪の色の方が………………』

「?寝ぐせはどうにかできるかもしれないが、髪の色はどうしようもないだろう。努力しても変えられないことを気にしてどうする」

『…………………いいこと言うんですね。でも______』

「でも、なんだ?」

『もう少し人目を気にして、声のトーンを落とすとか…………………』

「あ」

 俺は後者の玄関に入ったところで、外見の物珍しさではなく、何か変なものを見ているような視線にさらされていることに気が付いた。

 俺はまた幻覚や幻聴を疑われてしまうのか。

 せめて学校生活は目を付けられないようにミサキっぽく過ごそうと思っていたが、仕方ない。

「もう遅いから諦めよう」

『あきらめるんですか!?』

「ああ。また失敗したってことはまたすぐにぼろが出るだろうし、別にいいだろう」

『いやいや、努力しましょうよ!努力できることは気にするんですよね!?さっきのセリフで感動した時間を返してください!!』

「ふっ、悪いが、俺は勇者を倒す以外で努力をすることはできん。そんなことに労力を割きたくはないからな」

 あれ?なんか寝癖とかどうでもよくなってきたな。別にぼさぼさでもいいか。

「それに、まだ入学してから一か月くらいしか経っていないんだぞ?別にキャラが変わっても問題ないだろう」

『いや、問題大ありですって!これでも一か月間クラスになじめるように努力したんですよ!』

「たったの一か月だぞ?そんなの上辺同士の付き合いじゃないか」

『あああああああ!!!!!私の努力がぁああああ!!!!!』

 こんなに必死に止めようとしているのなら、ボロを出しても怪しまれないようなキャラづくりとか、そっち方面で努力をしてやるべきなのだろうか。

 無意識に動いてしまう影を抑えているようだったが、ミサキの感情の高ぶりでだんだんと揺れが大きくなっている影を見て、俺はそう思った。

「ふむ、不思議ちゃんか…………いや、中二病キャラの方がいいか…………?」

『やめてー!!!!!!その体でそれをやられると共感性羞恥がぁーーーーー!!!!』


「その、誰と話しているかは分からないけど……………ちょっとどいてもらえるとありがたい…………かな?」


 そろそろ影の揺れがごまかしきれなくなってきたところで、男子生徒が話しかけてきた。

 どうやら、下駄箱の前で立ち尽くしていた俺が邪魔になっていたらしい。別に立ちふさがっていたわけではないが、“何か”と話している俺に対して近づけるものはいなかったようで、生徒たちは俺の周りを避けるように迂回していた。

「ああ、すまない。ちょっと事故の後遺症でね……………っ!?」

 声が聞こえた方へ振り返ると、そこには髪が金色の男子生徒が立っているのが見えた。

 俺はそいつを一目見て、ただ驚いた。

 別に、金髪だったとか、黒色をした眼にうっすらと金色の輝きが見えているとか、イケメンだったとかそういうことではない。そいつを一目見た瞬間、ただそいつから、魔力と“別の何か”を感じ取ったからだ。

 恐らく、こいつも俺と同じように別の世界からやってきた奴だろう。

 それも_________

 こいつは俺と因縁があるやつだ。

「事故?ということは、君が怪物の被害にあったという……………なるほど。だから、m__w___t__」

 それで、の後は言葉として聞き取れなかった。だが、その言葉に聞き覚えのある俺には、その先の言葉が簡単に予想できた。

 彼が言ったのは_______

「_______だから、魔力を感じたのか、ねぇ?」

「!?聞こえて………………いや、知っていたのか?」

 目の前の男子生徒は驚いた表情をしていたが、すぐに冷静さを取り戻すように聞き返してきた。

 俺は魔力が体から漏れないよう無意識に制御できるため、どんなに近づかれても魔力に感づかれることはない。そしてそれは、俺の記憶を少し引き継いでいるミサキも同様である。

 だが、先ほどの話し合いで感情が高ぶったミサキは、ほんの少しだけ魔力が漏れてしまっていた。男子生徒はそのわずかな漏れ出した魔力を感じ取ったようだ。

「いいや、知らないよ。さっきまでの俺を見ていればわかると思うが、後遺症で幻聴が聞こえるようになってしまってね。まあ、耳が良くなったってところかな?」

「…………………そうだったのか」

 俺の適当すぎる言い訳に、男子生徒は少しいぶかしげな表情をしたものの、後遺症、幻聴というパワーワードに納得せざるを得なかったようだ。

「ところで、だから魔力を感じたとは、どういう意味なんだ?」

「えっ!?い、いやあ…………そ、そう!ゲームの話なんだけど_______」

 俺はとぼけたふりをしながら時間を稼ぎ、男子生徒の魔力に意識を集中させる。

 そして、魔力の流れをさかのぼっていくと、そこにあったのは忌々しい光の力。


 間違いない。

 こいつは、こちらの世界で生まれ変わった勇者だ。


「______それで、その中にあった設定なんだけど_____」

 まさか、同じ高校に通っていて、こんなにも早く出会うとは思いもしなかった。

 俺が勇者と戦うことができるように女神が用意してくれたと考えれば必然なのだろう。だが、勇者が生まれ変わった人間と同じ高校に通っていたミサキが魔物によって死にかけ、その体に俺の魂を入れたのだ。偶然にしてはあまりにも出来すぎている。もしや、あの女神はマッチポンプをしかけてミサキに魔物を襲わせたのでは_______

「???」

 俺はこの偶然について女神がどれくらい干渉しているのか考えていたが、どこかの何者から否定するような気配を感じたため、途中で考えるのをやめた。

 意外と偶然に頼っていたところがあったのかもしれない。

「_______だから別に、僕は中二病ってわけじゃ……………って聞いてる?」

「ああ、聞いていたとも。君は俺から魔力を感じて、魔力の才能を持っている奴だと思った。だが、俺が怪物に襲われた被害者だと気づいて、その魔力が怪物に襲われた時に付いた魔力の残滓だと思ったから、それで魔力を感じたのか、と言ったのだろう?」

「っっ!っ!?…………………それも、幻聴かい?」

「勿論、幻聴だとも」

 勇者はにこやかに微笑んでいる俺にひるんでいたが、すぐに冷静さを取り戻したかのように質問してきた。だが、それでも冷静さを保てないくらい表情は引きつっており、俺が何者なのか分からず相当混乱しているようだった。

 どうやら、逆に怪しすぎるくらいまで割り切る作戦は成功したらしい。

 別に俺は、勇者に魔力を持っているということがばれてもいいのだ。だが、まだ今の力では勇者に勝つことはできないため、俺の正体が魔王ということがばれるのだけは避けたかった。

『すみません、多分私のせいでばれてしまいましたよね?』

「いや、仕方ないだろう」

 ミサキが謝ってきたため、俺はそれに対して口に出して返答した。

「何か言った______ああ、幻聴か」

「うむ。理解が早くて助かるよ」

 後遺症による幻聴が聞こえると言っておけば、ミサキとの会話が怪しまれないため、幻聴が言い訳として都合がよすぎる。

 これからも積極的に使っていくとしよう。

『何度か遠目で見たことがありましたけど、彼って何者なんですか?』

「後で時間があるときに話そう」

 どうやら、ミサキも“幻聴”の便利さに気づいたようで、隣に勇者がいるにもかかわらず話しかけるのに抵抗がなくなったらしい。

 隣にいる勇者を見ると、何やら頬が引きつっていた。

「はぁ………………いろいろ大変そうだし、“力になれること”があるかもしれないから、遠慮なく言ってよ」

 だが、ため息一つで気持ちを切り替えたのか、引きつった笑みはすぐに消えていた。

「そうか。じゃあ______」

 俺は靴を脱いで指をさす。

「______怪我でやりにくいから手伝ってくれないか?」

「……………………………え?」

 勇者の考えていた“力になれること”とは違ったのか、俺の言葉を聞いて少し固まった。勿論俺もその言葉に込められていた意味を知っていたため、その反応は予想通りだった。

「わかった。靴を履き替えるからちょっと待っていてほしい」

 それでも彼が固まっていたのは少しの間だけで、俺の目の前に彼の下駄箱があったのか、そこで上履きに履き替えて俺の靴を持った。

「それで、どれが君の下駄箱なんだい?」

「俺の下駄箱か…………………俺の下駄箱って、どこだ?」

「え?」

「いや、事故の後遺症で記憶もあいまいでな」

「…………そうなのかい?何組なのかが分かれば探せると思うんだけど……………」

「組か?組は確か___『一組ですよ』___一組だったかな?」

「一組はこっちだね」

 そう言って歩き出した勇者に俺はついていく。すると、何やら見覚えがあるような気がする下駄箱があった。

「ここだな」

 俺はそこから自分の名前を探し出し、勇者に自分の下駄箱を指さした。

「へえ、加藤ミサキさんっていうのか………………加藤?いや、まさか_______」

 彼は俺の名前を見て何やらぶつぶつつぶやいていたが、何のことなのかさっぱりわからない。

「ああ、ごめんごめん、ちょっと聞き覚えのある名字でね」

 記憶によると加藤は別に珍しくもない名字だった気がするんだが………………って、自分の下駄箱の位置も覚えていないのに何でこんな知識はあるんだ?

「あ、そういえば自己紹介がまだだったね。

 僕の名前は、黒井ツバサ。よろしくね。えっと………加藤、さん」

「ふむ、よろしく」

 自分の名前が知られてほんの少し不安になったが、勇者の名前を知ることができたのはかなりの収穫だ。

 なるほど、黒い翼、ね。覚えたぞ。

 覚えやすい名前で助かったと思いつつも、よく考えると光の力を持っている勇者にふさわしくない名前だということに気づいた。

「どうぞ」

 勇者改め黒い翼は、俺の靴と上履きを入れ替えると、上履きを俺の足元にそっと置いた。

「感謝する。それで、黒い翼。もう一つ頼みがあるのだが」

「黒いつばっ?………………な、なんだい?」

「教室の場所もわからないからそこまで案内してくれないか?」

「………………分かった。案内するよ」

 そう“快く”答える彼の肩には二つのカバンがかけられていた。

 片方は彼のもので、もう片方は俺のカバンだった。俺が上履きを履くために床に置いたかばんをさりげなく持ってくれたようだ。

 この外見とやさしさを見るに、女性人気が高いに違いない。

「すまないな、雑用みたいなことをさせて」

「そんなことないから、遠慮なく言ってよ」

「じゃあ………………帰りもお願いしていいか?」

「えっ!?……………も、勿論」

「………………ふっ、冗談だよ」

 何か別の勘違いをして固まってしまった勇者を置いて、俺は階段へと向かっていった。

「その、加藤さん………………一年生の教室は一階だよ」

『くっ…………………くふっ』

「…………………冗談に決まっているだろう」

 影の中で笑いをこらえるミサキをにらみながら、俺は勇者にそう答えた。

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