VOICE

 時はそう遠くない未来。

 明晰な頭脳と、愉快な家族達の姿が話題となり、一時はバラエティ番組に家族総出で出演していた、一人の女の子がいた。


 女の子はある日、階段から足を滑らせ転倒し、そのまま昏睡状態に陥ってしまった。

 家族は、そんな女の子がいつか病室で目を覚ます事を信じ、声をかけ続けた。


 すると、女の子の脳は、家族の声にだけ反応したのだ。


 体は眠っていても、脳は学習し続ける──。

 世界は、そんな脳に繋がった機械を通し、そのまま物理的にアウトプットできる驚異的なテクノロジーで溢れかえっていた。

 女の子の学習能力は群を抜いていた。機械を通じ、僅か十歳にして首都名門大学の入試問題を全問解くほどの、天才だった。


 家族は諦めず、ずっと話しかけ続けた。

 いつか目が覚める日を信じ、愛に溢れた言葉を、ずっと。



 ……。



 しかし、時は流れ、家族の死期も近づいてきた。

 父親からはじまり、母親、ついには女の子の兄まで――。


 だから彼らは生前、自分たちの死後も女の子の耳に届くよう、全く同じ声質を出せるAI搭載のソフトウェアを開発チームに依頼した。

 開発チームは、女の子の知能を引き出せるのなら大歓迎と、快く許諾したのであった。



 ○●○●○



 女の子が眠りについてから、数十年の時が経った。


 外では、銃声や、悲鳴が鳴り響いている。

 建物は、人々の争いによって、どんどん灰や瓦礫と化していく。

 どこかから聞こえた、「次こそあのお嬢ちゃんの脳を利用してやる!」と叫ぶ、兵士らしき男の醜い言葉──


 その地に、一人の老いた金髪の女性が歩いていた。

 顔や手のしわ、衰えを感じる足取りから、もう七十の歳を過ぎているか。

 女性はこの混沌と化した瓦礫まみれの町を潜り抜け、壊れかけの病棟へと向かった。どさくさ紛れに、向かう理由があったためだ。


 病棟は薄暗く、壁や天井からは、電線がところどころ剥き出しになっている。もう、医療施設としての機能はほぼ失われている。

 僅かに数部屋、かろうじて電気が通っている。女性はその中の一室へと入った。


 息を呑んだ。

 部屋の奥には、大量の管や電線に繋がれた、あの女の子が眠っていた。


 仮死状態で、肌が見える部分には、焦土色の防腐剤が塗られている。

 それで、顔立ちは当時の子供のままなのだろうか? あれから数十年も経っているのに、まるで女の子だけ時が止まっているかのようだ。


 近くには、誰も女の子を看病している者がいない。

 みな、戦争のため一時的に避難しているのだろう。だが電気が通っているという事は、まだ他に利用者が残っているという証拠だ。


 女性は、部屋の一角にある制御盤の前へと立った。

 そして、とある合言葉をキーボードへ打ち込み、女の子の「家族」の声を、再生させた。



 ……。



 『キミという夢を、迎えにきた』


 彼は生前、教えてくれた。

 ベッドの上で寝たきりになっていた彼は、隣でそっと手を握る女性を見つめながら、こうささやいた。


「……今のが、僕の声と同じAIを開発してもらう前に、妹に聞かせてきた合言葉だ。

 妹はその言葉にだけ、信頼を寄せる。それ以外には、聞いているふりをして、決して本心を明かさない。そういう約束なんだ。


 近く、機械戦争の時代が訪れるだろう。

 もしそうなれば、妹が眠っている場所も無事ではすまない。だがそれでも、妹だけが取り残されたら、奴らは妹の脳を利用するに違いない。


 だから、その時は──」


 そういって、その女の子の兄であり、女性の恋人でもあった彼は、老衰でこの世を去っていった。



 ……。



 『やっと── “本当の声”を聞けた』


 女の子の声が、病室内を流れた。返事がきたのだ。

 彼が生前、女性に伝えたことは、本当だった。女性の鼓動が、高鳴る。


 女の子は、続けてこの部屋にいる者…… 女性に向け、こう発言した。


 『今、こうしてあなたがいるという事は、世界は壊れかけている証拠。

 そして、あなたがくれたその“声”も、兄のデータを学習した機械から発したものである事も、知っている。

 でも、安心したわ。あなた、兄にとても信頼されていたのね。ここまで来て、私を起こしてくれて、ありがとう』


 機械交じりの音声しか流れないけど、女の子の声は、どこか嬉しさのあまり涙を流しているようである。

 女性も、どこからか流れている女の子の音声をきき、胸が張り裂けそうになった。女の子の言葉は、続いた。


 『でも、ごめんなさい。

 ここまで来たあなたに、どうしても、お返事したい答えがあるの。


 「私という夢を、送り届けてほしい」』



 女性は、それが何を意味しているのか、すぐに理解した。

 息を呑み、思わず首を横に振りそうになる。


 だが、女の子の意思はとても堅く、そして温かな愛で溢れていた。



 『世界は、機械で純粋な人々の心を利用し、自分達の私利私欲のために、騙し続ける憎悪で溢れかえっている。

 この戦争も、“嘘”の愛で洗脳されてきた人々の脳が、暴走してできた結果なのも、知っている。

 私にも、同じ手段で騙しにくる者は多かった。


 でも私は、どれも偽物だと気づいていた。

 本物なら、あなたのように、合言葉で信じる約束だもの。

 だから弱っているフリをして、時の流れでボケたフリもして、殺戮さつりく兵器の開発には絶対に乗らなかったの。


 でももう、こんな自然の摂理に反した生き方、そろそろ限界ね。

 私の体は、防腐剤の影に隠れ、かなり老いてしまっている…… 今日まで、耐えて、耐えて、耐え続けて……いつ暴走しても、おかしくないわ。

 ごめんね。私、こんなに貧弱で。


 私は、大好きな家族と紡いできた「絆」が…… 自分の中にある、この「愛」が掻き消されないうちに、家族と同じ場所へ行きたいの。

 だから── お願い』



 女性の頬を、涙が伝った。


 女の子から、これ以上の音声は、流れてこなかった。


 女の子の胸部には、生命維持機能装置が取り付けられている。そのお陰で、昏睡状態に陥った体でも生き永らえている。

 つまりそれを…… これ以上の、醜い争いに、終止符を打つために。


 女性は涙を流したまま、ゆっくり歩き、か細い皺々の手を振るわせながら、生命維持装置に繋がる管を握った。

 静かに眠る、女の子の顔をのぞいた。女の子の表情は、とても穏やかで、苦しみのない顔をしていた。


 そして──


(完 - 次回へつづく)

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