紅葉に散る、慟哭からの脱出。
時は晩秋。
黄色い仄かな日差しが、紅葉に彩られた木々から覗く。
私は今日、この故郷から引っ越すことになった。夫と離婚したのだ。
性格の不一致、というのかな。分からない。そんなフリをして、強がっている自分が、とても嫌になる。でも、社会的に優遇されているのは私だ。なぜなら子供を連れているから。
親権を勝ち取り、まだ齢一つにも満たない赤子を、これから引っ越し先で一人で育てていく事になる。
大変なのは分かっているけど、今より幸せになってみせる。そんな思いで、私達はタクシープールの様な所に辿りついた。
バス停の標識を見る。ノルウェー、マリスポリタン 行。
そんな場所があるんだ。なんだか楽しそう。当時の私は、そう思ったのかもね。
他にも、そのバス停付近でがやがやと待つ人々の一部は、豪華絢爛な衣装を身にまとっていた。ドレスや、騎士の衣服、そして神官のような白いロングコートなど。あとはスーツをびしっと決め、暖かそうなジャケットを羽織った現代的なファッションの人が、ちらほら。
きっと、これから来るバスが向かう先に、舞踏会が開かれる場所があるのかな?
なんて思いながら、私はふと、元夫が一人歩いていく姿を見つめた。
元夫は、赤に塗られたボロボロの車へと乗り込んでいった。
バス…… なのだろうか? にしては、よくアジアの新興国で見かけるような、あの少し丸みを帯びた頑丈そうな大型車ではある。
スリランカ行き…… 車体にはそう日本語で書いてあった。
ほかにも、そのオンボロの車全体には、よく分からない文字がつらつらとペイントされていて、なんだか独特な雰囲気だ。そう思った、矢先だった。
ドーン! ドーン!
なに!? 今の爆発音は。
私は驚き、子供を抱えたままその音がした方向へ振り向くと、そこから大勢の人々が逃げ惑う様に走ってきた。悲鳴が上がっている。
その更に奥を見ると…… 迷彩服に、顔半分をストールで覆い隠した屈強な男達が、こちらへ走ってきているではないか。しかも、彼らはサブマシンガンや手榴弾を持っている。それを乱射してきたのだ。
「うそ! なんで!?」
逃げなきゃ! 逃げなきゃ!
私も、皆に合わせその場から逃げ出した。赤子をギュッと大切に抱えながら、行き先の分からない方向へ走る。とにかく走る。
死にたくない! 殺されたくない!
どうして、あんな事が起きているの!?分からないけど、今は逃げることしかできなかった。
もう、バスを待っている場合ではなかったのだ。
がしっ
「そっちは危険です! さぁ、早く私の車へ!」
突然の出来事だった。私の腕を、見知らぬメガネ姿の男性が掴んできたのだ。
「え!? なに!?」と、私はもうパニック状態であった。それでも男性は冷静な面持ちで、私と子供を引き連れて車へと乗せた。ガンメタリック色のスポーツ用多目的車か。
●○●○●
私達を乗せた車は、すぐにこの場からアクセル全開で走り出した。
周囲の銃声や悲鳴も目にくれず、男性はハンドルを握り、蛇行した紅葉の道を走らせる。私は後部座席へ座る傍ら、恐る恐る尋ねた。
「あなたは、だれ?」
「私は、もともとジャーナリストを務めていまして。今はこの町にいますが」
との事だ。名前を告げていないから、ここからはジャーナリストさんと呼ぼう。
ジャーナリストさんは、続けて私と子供をチラッと見てから、こう告げた。
「あなたは今、先程のテロリスト達に命を狙われています。理由は、あなたが抱えているそのお子さんを、誘拐するためです」
「えぇ!? なんですって!?」
信じがたい情報に、私の顔が一気に青ざめた。
じゃあ、さっきのあの爆発音と、一般人たちへの乱射はなんだったの? ターゲットを狙い、攫うための、邪魔者の排除だったってこと? わからない。考えれば考えるだけ無駄であった。
でも、どうして私達が?
「やはり追いかけてきたか」
ジャーナリストさんが低いトーンで、そういってバックミラーをチラッと見た。私は後ろを振り向いた。
一台の車がこちらへ追いかけてきたいた。
元夫が乗り込んでいった、あの赤いオンボロ車ではないか! しかも、その車体の窓からは迷彩服のテロリストが数人顔を出し、サブマシンガンの銃口を向けている!
「奴らの黒幕は、あなたの元夫です。スリランカ行きなんて嘘ですよ」
「なっ!」
次から次へと、ジャーナリストさんの口から衝撃的な事実が明かされた。そんなこと、離婚するまで全然知らなかった。やつは、そんな悪党だったの?
気が滅入りそうになった。泣きたくなった。
そんなこと知っていたら、結婚なんてしなかった。子供の父親が、あんななんて……
ドン! ドン! ドン!
そのとき、何かでルーフを叩きつけられる音が鳴り響いた。
私は悲鳴を上げた。子供を必死に抱きかかえた。
バン!
ルーフが、呆気なく壊された。大きな穴を開けられたのだ。
「もう逃がさないぞ! よこせー!!」
そう。元夫である。
彼はこの車に飛び移り、ルーフを破壊し、鬼の様な形相で顔を
「いや! こないでー!!」
私が悲鳴をあげようとも、元夫は手を伸ばしてくる。
明らかに、子供を狙っている。
私は子供を渡したくないとばかり、泣きながら必死に抱えた。元夫に掴まれようとも、必死に抵抗した。すると運転しているジャーナリストさんが、
「お子さんは、嫌がっていません。下手に引き離すと可哀想ですよ」
といい、急カーブでドリフトを行ったのだ。
キキキーッ!!
「おわっ!!」
元夫は、その遠心力によって、車体から見事振り落とされた。
私も今のカーブで、少し体勢を崩してしまうが、それでも無事であった。子供も、まだ状況が理解できない赤子だからか分からないけど、元気だ。
私達は間一髪、元夫の毒牙から救われたのである。
車はなおも走行を続けた。
●○●○●
「このやろう! 捕まえたぞ!」
「大人しくしていなさい!」
車体から振り落とされ、茶色い落ち葉の山へ埋もれていた元夫の身柄を、スーツ姿の男女が拘束する。マークされていたのだろう、突然の出来事であった。
私達はすぐ近くの山奥へ停車し、車から降りた。
どうやら元夫が捕まった事で、テロリストたちも鎮圧されたようである。悲劇は、ようやく幕を閉じたのであった。
「あなたがすべきは、そのお子さんの『笑顔』と『平和』を守る事です。その平和を脅かすような愚か者を、こうして排除していくのが、私たちの仕事ですから」
ジャーナリストさんはメガネをくいっと上げながら、そういった。
さっきまで、生きた心地がしなかった。
でも、本当に、助かったんだよね……? 私たち。
現場周辺には、テロリストたちの仕業による騒ぎの爪痕が、多く残っていた。
激闘の形跡、一部は黒い煙をあげ、山火事が発生している。その中で、無事に生き残っている人達が何人かいた。
私は、その凄惨な光景に大粒の涙を流し、膝を落とした。
その間、子供は興味津々な表情で、周囲の光景を見渡していたのであった――。
(完 - 次回へつづく)
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