第21話 親と子、それぞれの想い




「コナ。すまなかった」


今度は祖父がコナに向かって頭を下げた。

祖母もその横に座り、同じように頭を下げた。


「いえ。感謝しかないです」


コナの声に祖父母はゆっくりと顔を上げる。

丸くした目はゆらゆらと揺れていた。


「俺が今、生きてるのはおじいちゃんと

おばあちゃんのおかげだから。

捨てようと思えば捨てられたはずの俺を

…育ててくれて、ありがとうございました」


お礼が言いたかった。

東京に出てひとりで生活するようになってから痛いほど祖父母のありがたみがわかった。

愛情は注がれていないとずっと思ってきたが、情がわかないように厳しくしていたことも愛のカタチだと思えた。


「立派になった。でもなコナ。それはわしらの力じゃない。コナの力だ」

「おじいちゃん…」

「お前は、どんなことにも負けない。

この先もだ。

だからわしらのことは忘れて自分だけの人生を生きなさい」


はい、と言ってコナは泣いた。

下を向くとささくれ立った古い畳。東京へ出て行った日からここはなにひとつ変わっていなかった。


「コナにまた繋いでもらったんだ。

おじいちゃんとおばあちゃんのことは任せなさい。

コナにはおじいちゃんが言ったように自分だけの人生を生きてほしい」


佳樹よしきにすれば20年の時を経てやっと会えた親だ。

できる限りの親孝行をしたいのだろう。

四季しきを連れてきたのも、今の自分がしっかりと立っていることを見てもらいたかったのだ。


「お父さん、お母さん。

これが私の息子の四季です」

「初めまして。山城四季やましろしきです」


コナと祖父母を見て目を潤ませていた四季が

祖父母に頭を下げて挨拶した。


「四季。良い名前だな」

「こんな大きい子が。私らがいなくなったのに、佳樹、よくがんばったね」

「四季の下に弟もいるんだ。

今、大学に通っている」

「そうか。何もしてやれんですまない」


祖父母は四季の顔をじっと見て、小さい頃の

佳樹に似ていると言った。


「四季の顔は妻に似てるんだけどな」


祖母が押し入れを開けてアルバムを数冊出してきてテーブルの上に置いた。

一冊目をめくっていくと、確かに幼い頃の佳樹に四季は良く似ていた。


「俺、お母さん似だと思ってたよ。背格好はお父さんに似てるって言われたことあるけどなあ」


四季が驚いた声を出すと、やっとみんなの固かった表情が緩んだ。

二冊目は佳樹の中学から高校にかけての写真。

もう今の佳樹の顔になっていた。


「小さい頃は丸っこいからな」

「え。ねえコナ。俺の顔丸い?」

「あはは。丸い方かな」


コナの笑顔を見た祖母がエプロンの裾でそっと涙を拭っていた。


「これは?」


三冊目のアルバム。佳樹は大学から東京に出たのでそれ以上の写真はないはず。

祖母がシワの深い手で三冊目のアルバムの

背表紙を撫でた。


「これは、コナのだ」

「俺の?」


写真など撮ってもらった記憶はない。

学校の遠足や修学旅行などでカメラマンが撮った写真も買ったことなどない。


コナが首を傾げて、三冊目のアルバムをめくった。


一歳のコナが庭で遊んでいる写真。

スコップとバケツを持って土遊びをしている。

三輪車に乗っている写真や、花を摘んでいる

写真。

しかしどれも正面を向いていない。

隠し撮りのような角度の写真ばかりだった。


幼稚園や小学校の運動会の写真があった。

コナの記憶では運動会や音楽会、普段の参観もそうだが、祖父母は一度たりとも来たことがない。

それなのに運動会や、その後には音楽会の

写真。

しかしこれも遠くから撮っているみたいで、真正面からのものは一枚もなかった。


「見に来て…くれてたんですか?」


コナがアルバムから顔を上げると、祖父母はうん、と頷いていた。

入学式や卒業式の写真もあった。コナに気づかれないように祖父母はこっそりと行っていたのだ。


コナの目から涙があふれる。アルバムを濡らさないように両手で顔を覆った。

コナの涙を見た祖父母も下を向いて泣いていた。


「…ありがとう」


一歳から育てていたのだ。

我が子同然に可愛かっただろう。

しかしそれを押し殺して祖父母はコナを厳しく育てた。

それも全てコナがひとりで生きていけるように。

ここを忘れて、二度と帰ってこないように。


祖父母の思いを知ったコナは胸が苦しかった。

運動会や音楽会だけではない。常に祖父母は

コナに気づかれないように見守っていたのだ。

血の繋がらない孫を。可愛がることが許されない孫を必死で守って育ててきたのだ。


閉じたアルバムの背表紙にコナの涙が落ちる。

祖母が唇を噛み締めて、コナに、ありがとうとつぶやいた。




帰りの飛行機の中、佳樹が四季とコナに今後のことを聞こうと考えていた。


佳樹に対して父親という感覚が持てなくて、

会社を継ぐ意味を見出せずに家を出た四季。

佳樹は四季が今ホストとして働いていることもあおいから聞いていた。


そして東京へ出てきて住み込みの働き口を見つけて働いているコナ。

ゆりの息子ということもあり、一度は自分の子

として育てる決心をしていた。

その二人の今後が佳樹には父親として気になっていたのだ。


両親に四季とコナを会わせることができた。

今が一区切りだと佳樹は感じていた。


「今まで父親らしいことを何ひとつしてやれなかった。

二人とも、本当にすまない」


四季とコナはじっと前を向いていたが、しばらく経って四季が口を開いた。


「お父さんとの…記憶がないんだ。家にはいつもお母さんと弟と俺の三人だったから」

「申し訳なかった」

「仕事が忙しいことはわかってた。でも本当はわかってなかった」


母親もひとりで四季と弟を育てていたようなものだ。

常に情緒不安定だった母親に、四季はいつしか近寄らないようになっていた。

そんな四季に母親も距離を置くようになる。

誰にでも愛想のいい弟ばかりを可愛がるようになっていった。


「自分で働いて生活するようになって、初めて仕事っていうものが理解できた。

穴を開けることは許されない、

自分にしかできない仕事は他の人に任せられない。

お父さんは自分で会社を興したんだから俺以上にそういう忙しさがあったんだよね」


佳樹が家に帰れないほど働いていたのは家族のため、社員のためなのだ。

責任という重いものを佳樹はずっと背負って働いてきたのだ。


「お母さんはまだ…お父さんのことを本当は

理解してない。

それも…今ならわかる。

でも、お母さんもきっとわかってくれると思うよ」


四季にそう言われて佳樹は何も言えなかった。

若い頃ほど忙しくなくなった今でこそ、帰る場所のありがたみや妻の存在の大きさを感じられるのだがゆりのこともあったのかもしれない。

妻を大切にしてきたか、と問われたら佳樹は首を縦に振ることができなかった。


「お母さんには…苦労ばかりかけた。

子育てのことや、私の気持ちの問題も」

「お父さん。お父さんはゆりさんのことが本当に好きだったんだね」


佳樹が四季の母親を愛していないわけではないが、佳樹にとってゆりは特別な女性だったのだ。

恋をして初めて、四季にはそのことも理解できた。


「怒ってるんじゃない。お父さんの気持ち、わかるよ」

「四季…」

「ゆりさんのことも、仕事が忙しくて家に帰って来れなかったことも今ではわかる。

でも俺は、やっぱりお父さんの仕事は継げない。

嫌とかそういうことではないんだ」


四季はホストという仕事に誇りを持つようになっていた。

まだ三年も働いていないが、いろんなことを乗り越えてその分仕事が好きになっていた。


佳樹の仕事も誰かに喜んでもらっているのだろう。

しかし客の喜びを直に感じられるホストという仕事が四季は大好きだった。


「お父さんが嫌いなわけでもない。

この世界で成長したいって思ってる。

好きな仕事を続けていきたいって」


うん、と佳樹が頷いた。佳樹にすれば今まで何一つしてやれなかった分、息子に会社を継がせたかったのだ。

それは道具としてではなく四季の将来を考えてのことだ。

自分がある程度の土台を作っておけば継いだ

四季は自分ほど苦労しなくても済む。

それは佳樹の親心だった。


しかし佳樹が思っていた以上に四季は強くなっていた。

自分の力で自分の道を切り開いていく力を持っている。

母親のこともいい意味で割り切れている。

佳樹は四季のことをたくましく感じて素直にうれしかった。


「わかった。自分の人生だ。好きなように生きなさい」

「うん。ありがとう」


何か困ったことがあったら、と佳樹は言いかけたがやめておいた。そういうことではない。

自分の両親がコナに注いだ愛情は、甘やかすことではなかった。あれが本物の愛情だと佳樹は学んだのだ。


「コナは?どうする?」


返ってくる答えはわかっていたが佳樹はあえて聞いた。


「俺も、今の仕事を続けたいです」

「そうか」


枝折しおりと二人でずっとbranchをやっていきたい。

それがコナの夢だった。

branchの雰囲気が好きだと通ってくれる客。

自分たちに会いにきてくれる客。

ひとりぼっちだった自分を救ってくれた世界。

コナは人と人の繋がりを大切にしたいと思っていた。



飛行機がそろそろ羽田空港に到着する。

小さな窓から白い日差しが差し込み、三人を照らす。

何か話しながら仲良さそうに外を見ている四季とコナの横で佳樹は晴々とした表情をしていた。






篤子あつこのおなかが大きくなってきた。

予定日は二ヶ月後。臨月でまたぐっと大きくなると妊婦検診で言われて篤子は驚いていた。


「これ以上大きくなったら歩けないわ」


体重はそこまで増えていないのだが、体が重くて仕方がない。

かといって枝折に頼るわけにもいかない。

篤子は仕事に行かない分、家のことを手を抜かずにやっていたが重くなっていく体はなかなかいうことを聞かなかった。


玄関の鍵が回る。いつもならすぐにドアが開くのにだいぶん時間が経ってからドアが開いた。


「おかえり。おつかれさま」

「篤子、まだ起きてたの?寝てなさいって言ってるのに」

「昼寝ばかりしてるから眠くないのよ、って

枝折?」


玄関で靴を脱ごうとしている枝折がよたよた、となってそのまま座り込んだ。


「どうしたの!」


篤子が慌てて枝折に駆け寄る。体に触れると

びっくりするほど熱かった。


「なんか熱っぽいのよ。寒気がひどいし。向こうに行って。風邪かも」


篤子は妊娠中なので薬が飲めない。

風邪をうつすわけにはいかないのだ。


篤子の手を避けるように、枝折は立ち上がって部屋に入ろうとして床に倒れた。


「枝折!」


なんとか引きずってソファに枝折を寝かせる。

細いが、男なのでがっしりとしていて重い。

篤子は息が上がってしまった。


体温計を持ってきて測ると40℃の熱。

普通の風邪ではないと思った篤子は躊躇せずに救急車を呼んだ。


「やめてよ、大げさね」


そう言っているが枝折は目を閉じたままだ。

ガタガタと震え出した枝折に毛布を被せて篤子はその上から必死で枝折の体をさする。

何も話さなくなった枝折の意識が途切れたことが篤子にはわかった。




「敗血症かもしれません。菌が血液に乗って体全身に回っている状態です」


夜中にも関わらず、検査をしてから丁寧に診察をしてくれた医師がデータを見ながら難しそうな顔をした。


「がんが原因ですか?」

「菌の出どころが、たとえば腹膜炎とかなら

がん性のものかもしれませんが、もう少し調べてみます。

とりあえず先に治療を開始しないと大変なことになるので入院してもらいます」

「…よろしくお願いします」


篤子が妊娠してから枝折は自分の病院の付き添いを断っていた。

だから篤子は枝折からの話しか聞かないので、それが真実なのかどうかさえもわからない。

がんはどうなっているのか。今回の検査でわかるだろう。


意識のない枝折に早速点滴が繋がれる。

部屋の調整が出来次第、病棟に上がるので明日また来てくれ、と看護師が篤子に言った。


「よろしくお願いします」

「はい。電話にはいつでも出られるようにしておいてください」

「…わかりました」


急変することがあるのだろう。

篤子は帰りのタクシーの中で手を合わせて枝折の無事を祈る。

大丈夫だよ、と言っているみたいに赤ちゃんが腹を激しく蹴った。



昼過ぎに目覚めたコナは篤子から来ていた

ラインを見て飛び起きた。


【枝折が高熱で入院したの】

【店はコナに任せる】

【開けても閉めてもどっちでもいいわよ】


「枝折さん…」


眠いのかな。頭が重いわ、と昨晩枝折は言っていた。

寝不足かも、と笑っていたのに。


すぐに篤子に電話をしたコナは取るものも取らずに病院を目指した。

まだ意識が戻っていないから、と篤子に言われたが枝折の顔がどうしても見たかった。


病院へ着くと篤子が一階の入り口の前で待っていた。

大きなおなかに手を置いて泣きそうな顔をしている篤子。


コナは自分がしっかりしないと、と深呼吸した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る