第18話 繋がれる命
「オーナーさん!」
慌ててベッドから飛び降りたせりなが
体を抱き起こすと篤子が目を開けた。
「大丈夫よ。めまいがしただけ。ここのところ忙しかったから、」
せりなに心配かけまいと微笑んだ目がだんだんと閉じる。
そのまま篤子は意識を失った。
夕方、コナと
コナが掃除機を置いてポケットの携帯を取り出した。
「はい。おはようございます」
「篤子が倒れたんだって。今から病院に行ってくるわ」
「え!俺たちも、」
「たいしたことないみたいよ。今夜一泊したら帰れるらしいし。
で、申し訳ないんだけど私が帰るまで店を
頼むわ」
コナがわかった、というとすぐに電話が切れる。
カウンターの拭き掃除をしていた四季が布巾を片手にコナに近づいてきた。
「枝折さん?」
「うん。篤子さんが倒れたんだって」
「…」
自分が心配をかけさせたからだ、と思った四季は泣きそうになる。入院しているせりなのところにも行かせてしまった。
「たいしたことないって。今夜は入院するけど明日には帰れるって」
「俺のせいだ」
布巾を握りしめている四季の肩をコナはパン!と叩く。
それはまるでしっかりしろ、と言っているかのようだった。
「そんなわけない。そんなこと言ったら篤子さんに怒られるよ。
四季、枝折さんが今から様子を見に行って来るって。戻ってくるまで二人で店を開けておけってさ」
だからしっかりしろ、と、コナの手から伝わってくる言葉。
とりあえず篤子が無事なのがわかったので四季は強く頷いた。
枝折が病院に着くと、もう外来の診察は終わっていたので正面入り口は閉まっていた。
同じ並びにある夜間入り口から中へ入る。
受付に、病院から電話をもらったことを言うと調べてくれた。
「五階東病棟ですね。こちらが部屋番号です。
五階に上がられたら詰所に声をかけてください。
あと、こちらにあなたのお名前と電話番号をお願いします」
言われた通り名前と電話番号を記入した枝折は、受付の人から【面会証】と印字された札をもらう。
それを首から掛けるようにと指示された。
五階に上がると晩ごはん時なのだろうか、匂いが立ち込めている。
下の受付の人に言われた通り枝折はナース
ステーションへ行った。
「504号なので、ここを真っ直ぐ行って三つ目のお部屋になります」
「ありがとうございます」
看護師に教えてもらった部屋に入ると四人部屋だった。
一番手前のベッドのカーテンの隙間から眠っている篤子が見えた。
「篤子」
枝折が呼びかけても目を覚さない。近くにあった椅子に座って篤子の顔を見ていた。
10分ほど経った頃、医師が入って来た。
枝折が挨拶をしようと立ち上がる。
医師は眠っている篤子の顔を見てから、枝折についてくるように言い、部屋を出て行った。
「気持ちよく眠っていらっしゃるので、こちらで話をさせていただきますね」
「お世話になっております。お電話いただきました
医師が枝折を連れて来たのは小さな部屋だった。
医師や看護師とともに病状説明をされた部屋に似ている。
枝折の時と同じように医師がパソコンのマウスを動かしていた。
「血液検査の結果も異常なしです。念の為脳のCTも撮りましたがこちらも異常なし」
「良かった。ありがとうございます」
過労か。確かに篤子は働きすぎだ。
その上に自分の世話までさせている。
最近では四季と客のトラブルでも走り回っているのだ。
「失礼ですが、
「いえ」
いきなりなんの質問かと枝折は驚いた。
医師はうんうん、と頷いてパソコンの画面を
枝折に向けた。
「庄司さんが、全てを佐藤さんに任せるとおっしゃっていたのでご説明させていただきますね。
意識を失って倒れたということなので、原因を調べるために可能性のある検査はほとんどしました。
こちら、わかりにくいんですがエコーの動画です」
医師がマウスを動かすと弧を描いた画像の中に白黒の模様が出てくる。枝折はわからなかったがじっと見ていた。
「ここなんですが。パクパク動いてますよね」
「なんなんですかこれは」
「子宮です。で、このパクパクしてるのは
赤ちゃんの心臓ですね」
「…赤ちゃん?」
小さな白いかたまりの中でずっと心臓が動いている。
それは消えそうに小さいのにとても力強かった。
「妊娠4ヶ月ですね。つわりとかもまだある人はある時期ですので過労とかも合わさって体調を崩されたようですね」
「あの、本人には、庄司にはこのことは、」
「目が覚めたらお伝えします。今はとにかくぐっすり眠ってもらって元気になってもらわないと」
妊娠4ヶ月。相手は自分だ。
手術するために入院する前夜、枝折は初めて
篤子と寝た。
もしかしたらもう帰って来れないかもしれない。
気づかぬうちに男の本能が発動されたのだ。
篤子が妊娠していると聞いて枝折は心からうれしかった。
しかしそれ以上に篤子の体が心配だった。
「目が覚めるまで私もいていいですか?」
「もちろんです。佐藤さんのことをずっと呼んでいたそうなのできっと喜びますよ」
医師からエコー写真をもらって、枝折はまた
篤子の部屋に戻る。篤子はまだ眠っていたので椅子に座ってエコー写真を眺めた。
ただの丸が重なったようなカタチなのに可愛い。
見ていた枝折の目から涙が溢れた。
うれしい反面、枝折は辛い思いだった。
先に逝かなければならない自分。
篤子はそこから一人で育てていかないとならない。
コナの母、ゆりは父を事故で亡くした後、女手ひとつでコナを育てようとした。
先に逝かなければならなかった父はどんな思いでそれを見ていたのだろうか。
「う…」
篤子が眠っている布団に顔を突っ伏して枝折は声を殺して泣いた。
この子だけではない。コナもだ。
せっかく自分を親として思ってくれたコナも置いていかねばならない。
枝折はこの時初めて病気になった自分を恨んだ。
そして長くなくてもいい。もう少しだけ。愛する人たちのそばにいたい。その笑顔を見ていたい、と願った。
「…どうしたの」
枝折の頭の上に暖かいぬくもり。
目を覚ました篤子が暖かいその手で枝折の頭を撫でていた。
枝折は顔を上げて指で涙を拭う。半分しか目が開いていない篤子の頬にそっと触れた。
「しんどかったんでしょ」
「ああ。倒れちゃったんだ」
「無理するから」
「まだ若いから大丈夫って思ってたけど、そうじゃないみたいね」
ふふ、と篤子は笑って自分の頬にある枝折の手を握った。
「一段落したから、ゆっくりするわ。
枝折、お店あるんでしょ。もう帰んなさい」
「店はコナと四季が開けてる。なんとかなるでしょ」
「え。心配」
「ねえ、篤子」
枝折が布団の上で持っていたエコー写真を見る。
篤子はぐっすりと眠って気分が良くなったのか微笑んでいた。
「倒れた原因。過労以外に思い当たることない?」
「…」
「わかってたのね」
微笑んだまま、篤子が視線を天井へ向ける。
大きな目から涙が次々と頬をつたった。
「…産んでいい?」
「篤子、」
「ごめんね枝折。枝折には迷惑かけないから。
枝折が父親だってことも、誰にも言わない。
だから…」
ぎゅっと篤子が目を閉じる。それでも涙は止まらなかった。
枝折がエコー写真を篤子に見えるように持つ。
目を開けた篤子がそれを見て瞬きをした。
「この小さい丸。赤ちゃんだって。顔も何にもわからないのにもう可愛いのよ」
「うん…」
「最期まで篤子と子供と、コナと四季と一緒にいられないけど…
なるべく私もがんばるから…」
震える手で篤子がエコー写真を手に取る。
自分のお腹の中に確かにいる命。
枝折を縛りつけやしないか不安で不安でたまらなくて、篤子は気づかないふりをしていた。
「一日でも長く生きるようにがんばるから…
この子に会わせて」
「枝折…」
「何もできないけど、会いたい」
うんうん、と頷きながら篤子は泣いた。
止まらないその涙を枝折がそっと拭う。
枝折のことを考えて隠していた篤子が愛おしかった。
branchのドアを開けると、ボックス席に二人連れの客、そしてカウンターにも二人、客が座っていた。
「いらっしゃいませ」
一度マンションに戻り、着替えてメイクをした枝折が後ろにひとつに結んだ髪を揺らして店に入って来た。
「ママ。坊ちゃん二人に任せて遊びに行ってたの?」
カウンターにいた常連客が枝折を見て笑った。
「若い子だけもたまにはいいでしょ?」
「おうよ。イケメン二人だから酒進んでるよ」
楽しそうに飲んでいる客。その前で話していたコナが枝折のところに行った。
「篤子さんは?」
「元気になってたわよ。明日退院」
「良かった」
四季も安心した顔で枝折に微笑む。
枝折は四季のそばに行き、そっと背中を撫でた。
「枝折さん、俺、」
「四季とコナで店を開けさせてるって言ったら、心配って篤子笑ってたわよ。
篤子と私の幸せは、あなたたちが元気で笑っててくれること。わかるわよね?四季」
自分を責めてはいけない、と枝折は言っているのだ。
篤子が笑っていたと聞いて四季は安心して強く頷いた。
本当にいい子たちだ。
この子達のためにもやっぱりもう少し生きたい。
枝折は大好きな店を見回してからボックス席の客に挨拶に行った。
「明日、四季と一緒に
ゆりのことの報告もあるらしい。良い報告か悪い報告かはわからないが。
それと山形に
店が終わり、片付けをしながらコナが枝折にそう言った。
「お店のことは気にしなくてもいいから。ゆっくり話して来なさい」
「でも、篤子さんは、」
「篤子なら心配いらないわよ。迎えに行ってそのまま家で寝かせておくから」
枝折が、自分の座っているカウンターから四季とコナを呼ぶ。
やって来た二人を座ったままぎゅっと抱きしめた。
「枝折さん?」
二人並んで抱きしめられたコナと四季は顔を見合わせる。そして二人で枝折を抱きしめた。
「…二人にお願いがある」
「なに?」
「もちろん、がんばるけど…
それでもダメな時は篤子のことをお願い。
あなたたちは本当にいい子だから、あなた
たちが一緒にいたら篤子も心強い」
顔を上げない枝折の背中をコナと四季がさすった。
「わかった」
「わかったけど、それはずっと先のことだよ」
スッと顔を上げた枝折がうん、と頷いて微笑んだ。
「そうね」
コナと四季が山城佳樹との話し合いから帰って来たら
生まれてくる子供のことを言おう。
二人の兄弟になってくれたらうれしい。
コナと四季が外を片付けるのに出て行ったドアから入って来た夜中のひんやりとした風が足元に溜まる。
20年、夜に生きてきた。
もう少しだけこの世界にいたい。
カウンターを指でなぞりながら枝折は大きく夜の匂いを吸った。
先日通された社長室。昼間なので前と違って大きな窓からは昼の暖かい日差しが眩しく差し込んでいた。
山城佳樹の隣に弁護士の蒼が座り、その正面にコナと四季が並んで座った。
「山形の家に行って来た。父は風邪をこじらせて入院していたから会えなかったが、母には会えた」
「おじいちゃんが…」
気難しい顔の祖父がコナの頭に思い出される。
無口で、寡黙な人だった。
「心配ない。その次の日には退院して来ると言ってた」
「良かったです」
「まず四季に。家を出て行ったお前に頼めたことではないが近いうちに山形のおじいちゃんと
おばあちゃんに一度顔を見せてやってほしい」
「わかった」
コナが四季に向かって微笑んで頷く。
四季にすれば祖父母とはいえ初めて会う人たちだ。
ずっといないと聞かされていたが高齢である祖父母に一度でいいから四季を会わせたいと思うのは佳樹の願いなのだろう。
四季としてはコナを虐げていた祖父母になど本当は会いたくはないが、コナが会ってやれ、と言っているのが伝わってきていたのだ。
「次に、コナ」
コナが佳樹を真っ直ぐに見て小さく頷く。
どんなことを言われても大丈夫、とその表情は物語っていた。
「おじいちゃんとおばあちゃんを…許してやってくれ」
「許すもなにもないです」
佳樹のためにコナを連れて身を隠したこと。
捨て子としてコナを届け、自分たちの養子にしたこと。
コナに冷たくあたったのはコナが自分たちに情をわかせないためだったこと。
全てはコナの将来を考えてのことだった、と
佳樹は言った。
コナの目から大粒の涙が落ちる。それを拭うこともせずコナは肩を震わせて泣いた。
「優しい子だから、情がわくと自分たちの面倒を見なければならないとコナが思う。
それをさせないためだったっておばあちゃんが言ってた。
コナが東京に出る時に渡した金、大切にまだ持ってたよ」
高校生になったコナに自分で稼いで食べろ、と言ったのもひとりでも生きていけるようにさせるためだったのだ。
たとえバイトでも働くことで社会人としての生き方が身につく。
祖父母は自分たちと離れてもコナが一人で生きていけるように、コナと過ごした17年間それだけを考えていたのだった。
「…もっと、俺、恩返し…」
「いや。事情を知らなかったコナは孤独だっただろう。
その過去は消えない。だから恩返しではなく許してやってほしい」
「…うぅ」
両手で顔を覆って泣いているコナの背をゆっくりとさする四季の目にも涙が浮かんでいた。
「もし、嫌でなかったらコナも四季と一緒に会ってやってくれないか?」
「はい…会いに行きます」
「ありがとう。コナ」
物心がついてからずっと祖父母に冷たくされてきた。
その過去はどうやっても消えない。
しかし大人になって、自分で生活をしていくようになったコナは祖父母がどれだけ大変な思いをして自分を育ててくれたのかがわかる。
ひと一人を育てていくのだ。どれだけ金がかかっただろう。
どれだけの時間を使ってくれたのだろう。
そう思うと感謝しかなかった。
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