第19話 家族としての愛情




それまでじっと佳樹よしきが帰省した時の話を聞いていた弁護士のあおいは、コナが落ち着くのを待って口を開いた。


コナの母親であり、生後半年のコナを山城佳樹やましろよしきの元において失踪したゆりの調査のことだとわかった佳樹は悲しげな目で目の前のテーブルを見つめていた。


蒼から、コナと一緒に聞いてほしいと頼まれた佳樹はまだ結果を知らない。

かつて愛した人のことだ。血の繋がらないコナの父親になる覚悟までした大切な人だった。


「コナくんから、大野おおのゆりさんが留学生ではないか、という考えてをいただいてまして」


ゆりが日本に留学していたのではないかという、コナの推理を話す。そして蒼は膝の上に置いていたタブレットに指を滑らせた。


「調べてみたところ、本当にゆりさんは留学生として日本に来ていました」


留学生として日本に来たゆりはコナの父親と出会い、恋に落ちた。

しかしその幸せは長くは続かなかった。

事故で亡くなったコナの父親。その時妊娠していたゆりは一人で産むことを決意。

留学先の大学に行かなくなり、その辺りから親と連絡を絶ったのではないか、と蒼は自分の考えを話した。


「そしてゆりさんは山城社長の会社で事務として働きながら、コナくんを育て…

ある日失踪した」

「ゆりが留学生だったなど、知らなかった」

「たとえ社長でも言えなかったんでしょうね。

ゆりさんの本名はYuri Wong

(ユリ・ウォング)

正式な名前はYuri Ohno Wong

(ユリ・オオノ・ウォング)日系人です」


初めて聞いたゆりの本名。やはり大野というのはゆりの名字でコナの父親の名字ではなかった。


「コナの父親とは籍を入れていなかったということだな?」

「そうなりますね。国籍の関係で難しかったのか、そうなる前にコナくんのお父さんが亡くなってしまったか。

とにかくゆりさんはシングルマザーとして

コナくんを出産したことになります」


確かコナが生まれる前に父親が亡くなった、とゆりは佳樹に言っていた。

その他になにか手掛かりになるようなことを言っていなかったか。

佳樹はゆりと過ごした数ヶ月の記憶を必死で呼び戻そうとしていた。


「あの、ゆりさんのお父さんやお母さんはゆりさんが音信不通になったとして、心配しなかったんですか?」

「コナくんの言う通り、そこが一番引っかかるんだ」

「探したけど見つからない…とか?」


娘が単身で日本に留学した。大学にも行っていなかったのだから両親にも連絡が入っているはずだ。

探したけど見つからなかった、というのは考え難い。

ゆりは仮名ではなくちゃんとした自分の名前、大野ゆりを名乗って日本に住んでいたのだから。


「私の見解を話させていただきます。

ゆりさんが失踪したのは、いや、ゆりさんを

攫ったのはご両親ではないかと」


もしくは両親が依頼した者だ。

佳樹は呼び戻した記憶の中で、ゆりがいなくなってコナが泣いていた部屋が少し散らかっていたのを思い出した。


蒼の見解が正解だとすると、あの荒れた部屋はゆりが抵抗した跡。

抵抗して当たり前だ。コナが一緒ならまだしも置いていけと言われたのだから。


母親として身を引き裂かれる思いだったに違いない。

佳樹はゆりの心情を思って苦しかった。


「これはあくまでも憶測にすぎません。

真実を知るのはゆりさんだけです」


蒼の言葉に三人は黙り込む。

コナは、枝折しおりがゆりに会え、と言ったことを思い出した。

正直、会いたいとは思わない。母だと言われてもなんの実感もわかないだろう。


自分を産んでくれた人。

コナにとって血の繋がった人だ。

自分のルーツを知ることで、自分という人間を見つめ直すことはできるだろう。

これから強く生きていくために会え、と枝折は言ったのか。

沈黙の中、コナはそう考えていた。


「どうやったらゆりさんを探せますか?」

「本名がわかってるから探せそうだけど、もしゆりさんがハワイにいたら時間はかかりそうだね」


国内でも行方不明になった人は数え切れないぐらいいるだろう。日本にいたとしても探し当てるのは難しいが国外となるとなおさらだ。


見つからない確率の方が高い、と蒼は付け加えた。


与田よだくんには苦労をかけると思うが、人を使ってでもいいからなんとか探してみてくれないか」

「承知いたしました」

「よろしくお願いします」


もしかしたらもうすでに、ゆりがこの世にいない可能性もある。蒼に任せきりになるがダメならダメで諦めもつくというものだ。


近いうちに山形の祖父母の家に佳樹、四季しき

コナの三人で行くこと、そしてゆりを探してもらうことを決めて、四季とコナは佳樹の会社を後にした。






「見つかるといいわね」


客が切れた時間。コナは枝折に佳樹との話したことを報告した。


コナにゆりのことを聞いた枝折は、正直雲を掴むような話だと思った。

探す範囲が広いのと、もう20年経っていることが確率を下げる。しかし探さなければ見つかるものも見つからないのだ。

あとは願うしかなかった。


「もし、ゆりさんが連れ去られたという蒼さんの推測があってたとしたら難しいだろね」

「そうね。隠されるかもしれない」

「その時は諦めるしかないよ。縁がなかったんだ」


母親であるゆりの顔も覚えていないコナはそこまで情もないのだろう。それよりも17年間一緒に暮らした祖父母のことをコナは気にしていた。


「おじいちゃんとおばあちゃんが…そんなこと考えてたなんて。でもそのおかげで俺はなんの心残りもなく東京に来れたんだ」

「赤ちゃんの時から育ててくれたんだもの。

コナのこと可愛くてたまらないのよ。

だからこその決断だったのね」


血は繋がらなくとも。可愛いものは可愛い。

一緒に暮らしていたのならなおさらだ。

その思いを殺して厳しくするのはどんなに辛かっただろう。


コナに母だと思われている枝折は、コナのことを考えたとしてもそこまでできる自信はない。

祖父母の信念。全てはコナの未来のためだった。


赤ちゃんといえば、篤子あつこのことをコナと四季にも話さないとならない。

喜んでくれるだろうか。血の繋がりなど気にせず家族になってくれるだろうか。

コナも四季も優しい子だということは枝折もわかっている。

しかし不安は消えなかった。





深夜3時。店を閉めた枝折はコナに見送られてタクシーに乗る。

篤子と暮らすマンションに着くと、篤子はまだ起きていた。


倒れてしまったこともあり、安定期に入るまで仕事を休んでいる篤子だったがテーブルの上にパソコンを広げて作業をしている。

家でできる仕事なのだが、無理をしていないか枝折は心配していた。


「まだ起きてたの」

「昼寝たくさんしちゃって目が冴えてるのよ。

コナと四季、話し合いできたの?」


それが聞きたくて起きていたのか。

すぐにパソコンを閉じてソファに座った篤子を見て枝折は微笑んだ。


「難しそうね。ゆりさんを見つけるのは」


枝折がコナに聞いた話をすると篤子は悲しそうな顔でため息をつく。篤子も枝折同様、コナをゆりに会わせてやりたいと考えていた。


「明日、四季が来るらしいわ。声が元気だから安心した。コナと枝折のおかげよ」

「あんたが体をはって、あの客の借金をなんとかしたからでしょ」

「それはまだ四季には言ってない。客のところに行くって言ってそのまま入院しちゃったから」


あはは、と篤子が笑う。枝折の不安に占領されていた心がその笑顔でフッと軽くなった。

篤子の隣に座ってまだ膨らんでもいない腹に手を当てる。驚いた顔をした篤子が枝折の手に自分の手を重ねた。


「明日、コナも呼ぶわ」

「え?」

「赤ちゃんのこと…話そうと思うんだけど

どう?」


枝折が篤子を見るとさっきまでの笑顔が消えていた。


「あの子たちなら受け入れてくれると思う」

「うん」

「新しい家族として、この子を迎えてくれるわよね」


私がいなくなった後、家族は一人でも多い方がいい、と言おうとして枝折は口を閉じた。



「枝折…。籍、入れない?」


篤子がそう言うと、枝折が目を見開いた。

思ってもみなかったことなのだろう。

そのまま枝折は何も言わなかった。


「別に枝折がいいなら、なんだけど。

ほら、赤ちゃんお父さんがいないことになるでしょ?」

「でも…」

「嫌ならいいのよ。言ってみただけ。

枝折がパパだって、この子わかるでしょ?

その時に説明がめんどくさいかな、って思っただけよ」


篤子はニコッと笑ったが、枝折は真剣な顔をしていた。

枝折も考えていなかったわけではない。

篤子が妊娠した時からずっと考えてはいた。

しかし籍を入れることにより自分が亡くなった後篤子は未亡人になる。

それならば籍を入れない方がいいのではと思っていたのだ。


「嫌とかじゃない。わかるでしょ?」


篤子も真剣な顔で頷く。枝折が考えていることぐらい篤子にはわかっていた。


「私が死んだ後…篤子が誰かと、」

「私もう40よ?しかも子連れで。誰ももらってくれないわ」

「…」

「それにね、私はもう20年以上もずっとあんたのことが好きなのよ。

今更他の男に行けって言われても無理よ」


枝折は何も言わない。篤子は視線を落とした

枝折と無理やり目を合わせた。


「枝折はまだまだ長生きしてくれるって信じてるわ。

でも、この子は枝折が生きた証なのよ」

「うれしいわ。篤子の気持ちうれしいけど、」

「枝折に迷惑かけないから産ませてくれって頼んどいてこんなこと言えた義理じゃないけど。

枝折の子として育てたいのよ」


枝折には篤子の気持ちが本当にうれしかった。

籍などカタチだけのものだとお互いわかっている。

しかしそれだけでも枝折の生きる気力になるのでは、と篤子は言っているのだ。


「わかった。ありがとう篤子」

「逆プロポーズね。恥ずかしいけど惚れた弱みだわ」

「私、昔からモテるからね」

「あんた元気になったわね。もう治ってるんじゃないの?」


生きた証。篤子の言った言葉が枝折の胸に染み込んでいく。

自分が死んだ後も、篤子との絆が子供という名で残る。

照れくさそうに笑っている篤子に、枝折は心でありがとうと何度も呟いた。






次の日、昼過ぎに四季とコナがやってきた。

事件があってから四季はbranchで働き、コナの部屋で寝泊まりしていた。

そのおかげで四季は顔色も良い。

篤子はまず四季の客だった山本やまもとせりなの話を

二人にした。


「四季に聞いてほしいの」


篤子が携帯のボイスメモを開く。

四季に申し訳ないことをした、とせりなの声が聞こえてきた。


「せりなちゃんには内緒で撮ったの。

警察との約束で四季に聞かせたら消去しなきゃならないんだけどね」


携帯からせりなの涙声。本当に反省しているようだった。


「今度もし、せりなちゃんが店に来ることがあったら笑顔で話してあげてね」

「うん。ありがとう篤子さん」


自分を責めた時間もあった。しかし今、せりなの声を聞き四季はホストとしてまた客に楽しんでもらいたいと思った。


「ラインでやり取りしてるんだけど、明日退院するそうよ」

「良かった」


四季がホッとして微笑む。コナはそんな四季の横顔を見て安心した。


「で、四季はこれからどうする?」

「俺は…」

「無理しなくてもいいのよ。四季のしたいようにしなさい」


うん、と頷いたが四季は黙っている。急かすことなく篤子と枝折は四季の言葉を待った。


「俺、ホストやりたい。篤子さんが言ってた、お金を使って来てくれるからこそその時間を目一杯楽しんでもらうって…。

俺はお客様が楽しそうにしてくれたらうれしいし」


美味しい料理を食べるために金を払う。

それと同じだと篤子は言った。

それを四季はずっと心の中に置いていた。

せりなの想いもそんな四季を後押ししたのだ。


「わかった。でもね四季。

今回みたいにもしお客様になにかあったとしても、四季の責任じゃない。

それにお客様一人一人に寄り添うのはいいことだけど、完璧にできないわ。それだけわかってほしいのよ」

「はい。無理はしないよ」


できる範囲で客のことを見て、気持ちに寄り添う。

中途半端なようだが、しないよりはマシだ、と四季は強く思った。


そして四季がまたホストとして働くと決めたことが篤子は心からうれしかった。


「ホストだけじゃなく、仕事はなんでも壁にぶち当たるものなのよ。それを勉強だと思って前に進んでいくの」


そして少々のことではへこたれてはいけない。

冷たいようだが仕事と割り切らなければならないのだ。

成長していくためにそれもまた必要なことだ。

少しずつでもいいから前に進んで欲しいと篤子は願っていた。


明日からまた店に出たいと言った四季に、篤子はが今休んでいることを告げた。


「私がいなくても大丈夫?」

「うん。大丈夫だよ」


思ったより四季の決意が固いことに安心する。

そして今から休んでいる本当の理由を四季と

コナに言わなければならない。

篤子は枝折と顔を見合わせた。


「四季、コナ。大事な話がある」


枝折がそういうと、ダイニングテーブルを挟んで正面に座っていた四季とコナが姿勢を正した。

枝折はゆっくりと息を吐き、うん、と一度頷いた。


「篤子が休んでるのはもちろん倒れちゃったからなんだけど倒れた原因があるの」

「え。疲れてたからじゃないの?」


心配そうな顔で四季とコナが口を揃えた。


「篤子の…お腹の中には赤ちゃんがいるの」

「…」

「私の子よ」


四季とコナは心配そうな顔をしたままだ。

枝折の声が聞こえていないかのように動かない。

篤子も枝折もそれ以上何も言わなかった。


「おめでとう」

「おめでとう。枝折さん、篤子さん」


四季とコナが二人同時にニコッと笑う。

そして、おめでとう!と大きな声で言った。


「…受け入れてくれるの?」

「当たり前でしょ。

こんなうれしいことないよ」


四季がそう言うとコナもうんうん、と頷いて笑う。

ベソをかいた篤子の目から涙が流れていた。


「私…高校の時からずっと、枝折が…好きだったんだ。だから、うれしくて」

「良かったね。篤子さん」

「ありがとう。この子を四季とコナの兄弟にしてやってくれる?」


篤子の言葉に四季とコナは驚いた。

血の繋がった子どもができるのに、血のつながらない自分たちと兄弟だと言ってくれているのだ。

篤子と枝折が自分たちに愛情を注いでくれていることが四季もコナも本当にうれしかった。


「良いお兄ちゃんになれるようにがんばるよ」

「赤ちゃんに自慢してもらえるように」

「二人とも…ありがとう」


自分たちの元に本当に良い子たちが来てくれた。

四季とコナはもう誇りだ。

世界中に自慢できる最高の息子たちだ。


篤子とうれしそうに手を握っている四季と

コナ。

そんな三人を見て枝折に頬にも涙が流れていた。






しばらくして、枝折は抗がん剤の効果判定のため受けた検査の結果を病院に聞きに来ていた。

血液検査とCT。篤子がついていくと言ったが

枝折は診察だけだから、と断った。


店にも少しずつ出ている篤子に負担をかけたくなかったのももちろんあるが、なぜか一人で聞いた方が良い気がしていたのだ。


佐藤さとうさんどうですか?」


今日は家で飲む抗がん剤も処方してもらう日だ。

診察室に入ると、いつもなら薬を処方する画面がパソコンに写っているのに、今日はCT画像が映っていた。


「はい。たまにお腹が痛む時があります」


ズキズキ、と絞られたような気持ちの悪い痛みが一日に何回かある。

仕事に行く前は痛み止めを飲んでいた。


「お腹の中、かなり取っちゃってるのに痛むんですね」

「うーん。おそらくそれはがんの痛みです」


医師がクリクリと操作していたマウスを止めた。




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