第13話 命を交わす




コナが枝折しおりの病室で持って来た荷物の片付けをしていると、主治医が入って来た。


「先生、よろしくお願いします」


コナが頭を下げる。枝折もベッドに座ったままで頭を下げた。


「こちらこそよろしくお願いします。術前検査をしていくんですけど、今日は採血と尿検査と胸とお腹のレントゲンです。明日に心電図とCTと、肺機能検査をする予定です」

「もりだくさん」

「そうですよ。今日と明日は佐藤さとうさんバタバタです。

で、検査がオールクリアなら明後日、予定通り手術をしますね」

「はい」


医師が部屋から出て行き、しはらくすると

看護師がワゴンを押して入って来た。


佐藤枝折さとうしおりさん。お熱と血圧測りますね」


体温計を枝折に渡した看護師が、邪魔にならないように隅に移動したコナの方を向いた。


「佐藤さんの担当看護師です。なにかわからないこととかありましたらなんでもいいので聞いてくださいね」

「はい。よろしくお願いします」


いよいよ枝折の手術が近づいてきた。

どうなるかはわからない。

あとは神のみぞ知る、だ。


枝折とコナは目の前のことをひとつずつこなしていく。

それが不思議と心を落ち着かせていった。





昨夜、手術するための入院を前にして枝折は

篤子あつこと話をした。

後ろ向きなことは篤子には言えない。しかし

枝折は今の自分の思いを知っていてもらいたかったのだ。


「もうここに帰ってこれないとかそういう意味じゃないから聞いて」


ベッドに並んで天井を見ていた篤子が驚いた顔を枝折の方へ向けた。


「コナにbranchを継がせるつもり」

「無理でしょ」


枝折の遺言のような言葉に腹を立てたのではない。

コナにはまだ無理だと篤子が本当に思ったからだ。

可愛いコナに、いくら枝折の願いだからといって無理をさせるのは違うとも思った。


「忙しい篤子には悪いけどその時は手伝ってやって。

店を閉めてしまうのは簡単よ。

でもあそこはコナの居場所。

夢や希望や思い出がたくさんつまってるのよ」

「そうね。わかった」


篤子がそういうと枝折も顔を横に向けてニコッと笑う。

今はとにかく枝折を安心させることが先だった。

手術を前にして枝折にしかわからない怖さや、未来に対しての不安がある。

それを和らげることが大切だった。


壁の上の方で淡く光る間接照明が二人を優しく見守っている。枝折は目を細めて暖かい灯りを見つめていた。


「コナのお母さんが見つかったら会うように言って。なんの遠慮もいらないから」

「うん」

「私がいなくなっても、コナにはお母さんがいるってことを知って欲しいのよ」


ゆりからもらった命だと知るだけでも、コナはきっと

自分の命を大切にして人生を生きてくれるはずだ。

記憶にはないが、自分を産んでくれた人と会うことはコナの力にもなる。


四季しきは篤子がいるから大丈夫ね」

「四季もコナも大丈夫よ」


いつのまにか家族のようになっていた。

篤子と枝折が大切にしている二人の息子が幸せであればそれでいい。

二人はいつしかそう願うようになっていた。


「そして篤子にも」

「なによ」

「あんたとは長い付き合いになったわね。

でも、そんな篤子にも言ってないことがあるのよ」


もう20年以上も一緒にいる。

枝折のことで知らないことなどないと篤子は思っていた。


目を丸くした篤子を見て枝折が笑い、篤子の頬にそっと手を当てた。


「知っての通り私の心は女。高校の時と違って見た目も

こんなんになっちゃったでしょ」

「…」

「でも、ゲイじゃないのよ」


まだ枝折が病気になる前。好きなのは篤子だけだと言っていたが、篤子はそれを “親友として” だと捉えていた。

男性である枝折はいくら心が女性だとしても、男性を好きになったところでなかなか成就しないだろう。


女性の中では自分が一番好かれているという

意味だと篤子は受け取っていたのだ。


「どういうこと?」

「難しいわよね」

「わかんないんだけど」


篤子が今度は眉根を寄せる。枝折は少し悲しげな目をしていたが視線は逸さなかった。


「私の恋愛対象は女ってことよ」

「マジ?」

「うん。知らなかったでしょ」


真剣な顔をしている枝折とは対照的に、篤子はまだ眉間にシワを寄せて首を傾げていた。


枝折の心は女性なのに恋愛対象は女性。

レズビアンということなのだろうか。


枝折の言ったことを篤子は必死で整理していた。


「前にも言ったけど、篤子が好きだよ」


言葉の出ない篤子に枝折はキスをする。

そしてぎゅっと抱きしめた。


「今までありがとう。篤子」

「今までありがとう篤子、の後ろに、これからもよろしくって付けなさい」

「…」

「そう言わないと…許さない」


篤子も枝折の痩せた背中に手を回ししがみついた。

痩せたとはいえ、男性の体つきをしている枝折はがっしりとしている。

篤子は自分の命が枝折に移るように体をくっつけた。


自分の寿命の何年でもいいから枝折に渡したい。

そんな思いで篤子の胸はいっぱいだった。


「わかった。これからもよろしく」

「うん」

「苦労かけると思うけど…」

「それはお互いさまでしょ。これからババアになっていくんだから」


枝折の手のひらから伝わる篤子の柔らかくて優しい体温。

もっと触れたくて枝折は篤子のスエットの中にそっと手を入れてみる。

暖かい肌。柔らかい胸に触れると涙が出そうだった。


「…枝折」


篤子は、ずっと好きだった人に触れられる喜びを噛み締める。

最初で最後になるかもしれない二人の交わりは

切なく、涙が自然と頬をつたっていった。


「枝折…好きよ」


肌と肌と会わせて口づける。

初めてひとつになった二人は淡く美しく輝き、命の尊さをその身に刻み込んだ。





枝折の手術は長い時間を要するので予定は9時からだった。

朝8時にはコナはもう病院に到着していた。

手術用の服に着替えた枝折の長い髪をコナは

ブラシでとかす。

後ろ姿の枝折は楽しそうに笑っていた。


「キレイな髪だね」

「ありがとう。男にはもったいない髪質でしょ?」


手術が終わったら抗がん剤が始まる。

このキレイな髪も抜けてしまうのだろうか。

コナの手の中から滑り落ちていく枝折の美しい髪をコナは何度もブラシでとかしてから結んだ。


「佐藤さん。そろそろ行きましょうか」


準備もあるのだろう。もう看護師が呼びに来た。

枝折の手にはめているネームバンドを確認している看護師の横でコナが心配そうにしている。

枝折が手を伸ばしてコナの肩をぽん、とした。


「待っててくれるの?」

「もちろん。篤子さんまだかなあ」

「寝てるんじゃないの?こんな時間、篤子にしたら夜中だもの」


看護師が持って来た車椅子に枝折が座る。

三人で部屋を出ると廊下に篤子がいた。


「おはよう。来てくれたの?ありがとう」

「誰が夜中よ。全部聞こえてたわよ」


看護師も笑っている。これから手術に行くとは思えないほど和やかな雰囲気だった。


手術室の前で一緒に来た看護師が中から出て来た看護師と申し送りをしている。

名前を聞かれた枝折はハッキリとした声で、

佐藤枝折です、と答えていた。


「じゃあ、がんばってきますね。終わりましたら連絡いたします」


院内で使える携帯電話を渡されていたコナがそれを確認する。大きな自動ドアが開いて看護師の押した枝折の車椅子が中に入った。


「枝折」


篤子の声に枝折が振り向く。うん、と強く頷いた篤子に枝折も頷き返した。


手術部、と印字された半透明の自動ドアが閉まる。

ドアのすぐ前まで進んだ篤子のボブの髪をコナは後ろから見つめていた。


「8時間かかるって」


すぐ近くにある家族待合室の中。いくつか置かれている椅子に座ってコナは下を向いた。


「長いわね。眠ってる枝折には一瞬なんだろうけど」


大きな手術なので、終わったあと回復まで割と時間がかかると主治医は言っていた。

枝折は元通りになるのだろうか。


篤子がコナの隣に座って肩を抱く。

またひとり、手術室の中に患者が入って行くのが見えた。


「コナ」


ドアのない家族待合室に飛び込んできたのは

四季だった。

起きてすぐに来たのだろうか、少し寝ぐせのついた髪で息を切らしていた。


「9時からじゃなかった?」


はあはあ、と言いながら四季が携帯を取り出す。

時刻は8:30を少し過ぎたところだった。


「そうなんだけど。早くなったのかな」

「枝折さんの病室に行ったら、手術行ってますって札があったからさ」


はあ、ともう一つ大きな息を吐いて四季もコナの隣に座った。


「私もギリギリよ。でも心配しないで。枝折、元気に手術室に入って行ったわ」

「良かった。後は無事を祈るだけだね」


篤子の言葉に四季は安心して微笑む。

それから三人は交代でごはんを食べに行ったりしながらひたすら枝折が出てくるのを待った。



17時。予定されていた8時間が過ぎたが、

コナが握りしめている携帯はまだ鳴らなかった。


「早く出てくるよりはいいわよ」

「うん。そうだよね」


四季が立ち上がって、待合室の中にある自販機でコーヒーを買う。今日何本目かのコーヒーを篤子とコナにも渡した。


「終わったら…枝折さん、すぐに目を覚ますのかな」

「どうだろ。麻酔が効いてたら起きないかもね」


枝折が無事に出て来た時の話をしていると、手術室のドアが開いて枝折ではない患者がベッドごと出て来た。


18:00。枝折はまだのようだ。

四季の携帯にラインの通知が表示されている。

開けてみると弁護士の蒼からだった。


【社長が明日、山形に向かわれます。

コナくんとの約束は守るから、と】


「…コナ」


四季がコナと篤子に見えるように携帯を向ける。

ラインを見た二人は顔を見合わせた。


「良かったわねコナ。

おじいさまとおばあさま、息子さんにやっと会えるわね」


これでコナの肩の荷も下りるだろう。事実を知ってからコナは自分のせいで祖父母と山城佳樹やましろよしきが会えなかったと少なからず苦しんでいたのだから。


「うん。喜ぶだろうな。おじいちゃんと

おばあちゃん」

「優しいなコナは」

「なんでだよ。だって会いたくないわけないだろ?」


思い出の中の祖父母は笑顔ではない。

いつもしかめっつらをしていた祖父母。

長い長い年月を経て、ようやく笑顔になるのかもしれなかった。



手術室からキャップで髪をすっぽりと覆った

看護師が出て来た。

篤子とコナ、そして四季の三人がいっせいに立ち上がる。

その姿を見て看護師が近づいて来た。


「こちらにいらっしゃらなかったら携帯を鳴らそうと思ってたんですけど。佐藤枝折さんの

手術が終わりました」

「ありがとうございました」

「執刀医より説明がありますのでどうぞ」


今日、何度も見ていた半透明の自動ドアの中へ、看護師に続いて三人が入る。

中は廊下のようになっていて最初の角を曲がったところに並んでいる部屋の一室のドアを

看護師が開けた。


「佐藤枝折さんのご家族の方が来られました」

「先生。ありがとうございました」


篤子がそう言って頭を下げると、疲れて顔色まで悪くなっている執刀医がニコッと笑った。

長時間に及ぶ手術だったせいか、執刀医がかなりやつれている。

事前に挨拶に来てくれた時に見た姿と全く違って見えるほどだったが、それでもコナたちにまで微笑んで頷いてくれた。


「お待たせしました。佐藤さんがんばりましたよ。

で、以前にも説明した通り、膵臓のこの部分と…」


主治医が真っ白な紙にササッと臓器のイラストを描いて

いく。

そして今回枝折から切除したところをぐるりと大きな丸で囲った。


「見た感じ他に転移は見られませんでした。

検査も進めながらお薬での治療も考えていくことになると思います。

あとは主治医の先生にバトンタッチになりますが」

「ありがとうございます」

「あの、枝折、佐藤には会えますか?」


涙を指で拭いながら篤子が主治医に尋ねた。

目を覚まさなくても顔を見たい。

コナも四季もそう思っていた。


「今夜はICUで管理させていただきますので、

処置等が終わりましたら面会してください。

ただし、ICUなので10分で」

「はい。ありがとうございます」


枝折は今ICUに運ばれているらしい。

三人は手術部を後にしてICUへ向かった。


小一時間ほど廊下の長椅子に座って待っていると、看護師が呼びに来た。

カーテンも何もないベッドが横一列に五台置かれている。

入り口からすぐのベッドに枝折はいた。


「おひとりずつになりますが」

「わかりました。コナ行って来なさい」


篤子がコナの背中に手を当てると、コナは立ち上がって看護師についてICUの中へ入って行った。


「枝折さん」


コナの声に枝折のゆっくりと目が開く。

酸素マスクの中の口元は笑みを浮かべていた。


「がんばったね」


手を伸ばそうとしているのか、枝折の指先が小さく動く。

コナが両手で枝折の手を包み込んだ。


「…痛い」

「痛いの?大丈夫?」

「お腹切ったら…そりゃ痛いわよね」


小さいけどいつもの枝折の声にコナは安心して笑い、そして泣いた。


「コナ」

「なに?」

「ごはん…食べたの?」


布団からは枝折の体から繋がれた数本の管が出ている。

痛くてしんどいはずなのに、手術が長時間に及んだことを看護師から聞いた枝折はコナの食事の心配をしていた。


「下の食堂で食べたよ」

「そう」

「枝折さん。元気になったら俺が焼き鯖寿司ごちそうするから、一緒に食べようね」

「…楽しみねえ」


微笑んだ枝折が目を閉じる。コナは握っていた枝折の手を自分の頬に当てて、早く良くなるように、と祈った。





東京から飛行機で一時間10分。山形空港に降り立った山城佳樹やましろよしきは抜けるように広がる青空を見上げた。


コナから教えてもらった、今両親が住んでいるとされるところはここからまだ一時間半ほど要する。

簡単に昼食を済ませて、佳樹はJRの駅から目的地に向かった。


コナを預けてから20年。最初の10年ほどは時間を作ってはもういないはずの両親をここへ探しに来た。

近所に聞くこともできず、近くをウロウロするだけだったがコナや両親が心配でたまらなかったのだ。


しかしそのうち諦めと、仕事の忙しさも手伝って次第に足は遠のいていった。


コナから聞いた住所は佳樹が来たこともないところだった。

田んぼと畑が広がっている。畦道と呼ばれる細い道を、少し傾いた日を背にひたすら歩いた。


やっと辿り着いたところは数えるほどしか民家のない集落。

古い門には【山城】と劣化して見えにくくなった表札があり、田舎によくある広い平屋だった。

錆びた門の横にある呼び鈴を押そうと佳樹が

一歩進むと、中庭に置いてある自転車が目に入る。

そこには白い長方形のネームプレートに

【山城コナ】と書いてあった。


「どちらさん?」


佳樹が自転車を見つめていると後ろから声をかけられた。

振り向くと背中の曲がった老婆が大きなカゴを両手で持って立っていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る