第12話 父のぬくもり





広い社長室の真ん中に置かれた向かい合わせのソファ。

四季しきと入れ替わりに今度は弁護士のあおい山城佳樹やましろよしきの正面に座る。


四季は部屋の隅においてあった椅子を二脚持って来てずっと後ろに立っていたコナと二人で

ソファの後ろに座った。


「社長。コナくんの戸籍はどうなっていますか?」


ファイルから出した用紙を見ながら蒼が佳樹に尋ねる。

山城姓を名乗っているコナだが、ゆりと佳樹は入籍していない。

コナは佳樹の実子ではないことが明らかになった。

ではなぜ山城姓を名乗っているのか。


「ゆりが失踪した後、私はコナを養子にするため区役所に行った。しかし、できないと言われた」

「なぜですか?」

「ゆり本人がいないというのもだが、ゆりが

外国籍だったからだ。いろいろ手続きが難しく、できないと言われた」

「外国籍…」


コナはもちろんゆりの籍に入っている。

外国籍の場合、国籍の移動になるらしく、国籍の移動は子どもが12歳にならなければできないとか、言われた、と佳樹は蒼に答えた。


「ではコナくんは結局、ゆりさんの戸籍のままですか?」

「だと思う。でも、すぐに迎えに行くつもりでコナを預けたから父母は “コナ” という名前しか知らないはずだ」


蒼があごに手を当てる。佳樹もコナの戸籍がどうなっているのか、と考えていたようだ。

蒼がコナの情報が書かれた用紙に目を走らせた。


コナは山城姓だ。ということは12歳になって

日本国籍になっているということだ。

おそらく、佳樹の両親の籍に入ったのだろう。

だとしたら戸籍上は佳樹と兄弟ということになる。

しかし、すぐに迎えに行くつもりで預けたコナの戸籍を佳樹の両親はどうすることもできないはずだ。


「そうですか。わかりました。

では次にコナくんの生年月日は覚えていらっしゃいますか?」


四季もコナもそれが聞きたかった。

佳樹はコナが一歳になってから田舎に預けた。

その後に結婚して四季を授かっている。

どう考えても四季とコナが同じ歳ということにならない。

いったいコナは本当は何歳なのか。


「2003年6月29日だ」


サラッと佳樹の口から出てきたコナの生年月日。

一日も忘れたことがない、というのは本当なのだろう。


しかし、今までコナが信じていた生年月日とは違っていた。

そして四季の生年月日は2005年11月27日。

佳樹の言ったコナの生年月日が本物だとすると、コナは四季と同じ歳ではなく二歳上ということになる。


「ありがとうございます」


四季とコナが不思議に思っていた点を蒼が聞いた。

あとは、蒼の事務所のものだと言って連れて来たコナの正体を明かすかどうかだ。


また何かを考えているのか、蒼が一点を見つめている。

その間に佳樹がソファの後ろで座っている四季とコナにカップに入ったコーヒーを持って来た。


「ほら。飲みなさい」

「ありがとう」

「ありがとうございます」


コナが佳樹に向かって微笑む。近くで見た佳樹は四季によく似ていた。

うん、とコナに頷いた佳樹が自分の分と蒼の

コーヒーを持ってまたソファに座る。

佳樹が離れたので四季はコナと目を合わせた。


「どうする?」


四季が目でそう聞くと、コナは小さく首を横に振った。


立派な会社を経営して、人生を成功させている佳樹からコナとゆりの存在は消したほうがいい。

愛していると言ってもらえただけで良い。

元々血の繋がりもないのだ。

四季の母親はもちろんこのことは知らないだろう。

少しでも今の幸せが壊れることなどしないほうが良い。


コナはそう考えていた。


コーヒーの香りが部屋に広がる。

何も話さない佳樹は窓の方へ顔を向けていた。


「社長。四季くんがゆりさんやコナくんについて聞きたかった理由なんですが」


蒼がソファから立って後ろにいる四季の方へ行く。

コナの正体を明かすかどうかを確認しに行った蒼に、佳樹も着いて行き、座っているコナを見下ろした。


「笑った顔が…そっくりだ」

「…」

「ゆりに」


コナが唇を噛む。佳樹の目がだんだんと潤んできた。


「コナだな」

「…はい」


今の今まで自分のことを明かさないと決めていたのに佳樹にそう問われて、コナは返事をしてしまった。


佳樹が腰を折るようにしてコナに頭を下げた。


「すまなかった。私の浅はかな考えで…」


佳樹もまさか両親がコナを連れていなくなるなど夢にも思わなかっただろう。

自分のした罪は消えない。しかし今、立派に

成長したコナを見て、両親ではなくコナに感謝の気持ちでいっぱいだった。


「ゆりさんは…男と出て行ったんですか?」

「え?」

「違うんですか?」


佳樹は今コナのひとことで全てを悟った。

やはり両親はコナを憎んでいたのだ。

コナは可愛がられて育てられたのではなかったのだ。


「ゆりは…コナのお母さんはそんなことする人じゃない。

毎日会社と家の往復で、心配性というかコナを一秒でも一人で置いておくこともできなくて、アパートのすぐ下にあるゴミ捨て場にも、近所の買い物にもコナを置いて行けなかった人だ。

コナのことを誰よりも何よりも愛していた。

だから絶対にそれはない」

「そうですか。…良かった。

ゆりさんは山城さんのことを愛してたんですね」


佳樹はきっと大きな愛でゆりとコナを包んでいたのだろう。

ゆりはそんなことはしない、と言い切った

佳樹。

コナはもうそれでじゅうぶんだった。


ニコッと笑ったコナにゆりの面影が重なる。

佳樹は涙を流してコナを抱きしめた。


「苦労させてしまって…」

「そんなことないです。山城さんがいなかったら今頃僕は生きてなかったかもしれません」


祖父母のことも佳樹の話を聞いた今、許せる気がする。

あの人たちは必死に自分の息子を守っただけなのだ。


本当の父親ではなかったが、佳樹に抱きしめられたコナは父親の温もりを感じていた。


全てを許せるように、と枝折が言ったこと。

その言葉の深さがやっと理解できた。




蒼が呼んでくれたタクシーに乗り、四季とコナは枝折の店branchを目指した。


コナに、時間のある時でいいからまた顔を見せてくれ、と言った佳樹。

血の繋がりはないが、佳樹が父親で良かったとコナは心からそう思った。


「お父さんがさ、あんなに人間的な人だって

知らなかったよ」


ほとんど会えなかった父は四季にとって

ロボットのようなイメージだった。

しかしコナを見て泣いた父。

ゆりの話をする時の幸せそうな瞳。


順風満帆だったと思っていた父の人生がそうではなく、悲しみも苦しみもあったことを四季は知った。


「いいお父さんだね。ねえ四季。もっと腹割って話したらいいよ」

「うん。コナのおかげでそうしたい、って思ってる」


シートの上に置いてあるコナの手を四季はきゅっと握る。

異母兄弟じゃなくて本当に良かった、と今になって四季は体の力が抜けた。



branchに着くと、コナが自室の床に寝転んだ。

すぐそばに座ってコナを見下ろし、笑っていた四季も同じようにして寝転んだ。


「なんか疲れたなあ」

「俺も。佳樹さんの前だと緊張したよ」


佳樹と暮らした記憶のないコナには初対面のようなもので四季も家出してから佳樹に会っていなかった。

緊張からくる疲れが二人を襲っても無理はない。


「明日、枝折しおりさんと篤子あつこさんに報告しないと」

「だな。二人とも…喜んでくれる」


ゆりの誤解が解けたところで、コナが虐げられて育った事実は消えない。

しかしその理由は、山城佳樹に対する両親の愛だったのだ。


東京に出て来て幸せだと思える今、コナは祖父母を許せる。

血が繋がらないと知りながらもコナを捨てずに育ててくれたのも事実だ。

コナは枝折と篤子にそれも伝えたかった。


「四季、良かった。兄弟じゃなかったね」


隣で寝転んでいた四季がコナの方へ顔を向け、丸くした目をゆっくりと細めて笑った。


「良かった」

「うん」

「コナとずっと一緒にいられる」


二人同時に手を伸ばして抱きしめ合った。

父親の温もりを知らなかった二人の人生は今夜からだんだんとお互いの体温と誤解のとけた

父親の温もりによって、暖かくなっていくだろう。


四季が上からコナを見下ろすと、本当に幸せそうに笑っている。

それだけでいい、と四季も微笑み、二人は唇を

重ねた。



ブーブー、と四季のポケットに入れていた携帯が震える。

何度も繰り返していたキスを止めて二人は目を合わせた。


「誰だ。邪魔するヤツは」

「あはは」


四季が起き上がって携帯を見ると、蒼からの

着信だった。


「蒼さん。今日はありがとうございました」


起き上がったコナが蒼からは見えないのに

ペコっと頭を下げている。

そういうところがコナの良いところだ。好きなところだ、と四季は口元で微笑んだ。


「コナくん大丈夫だった?」

「はい。今も一緒にいるけど喜んでます」

「良かった。でね、聞くのを忘れてたんだけど、」


母親のゆりのことを調べてみようか、と蒼が言った。

20年前は見つからなかったが、今なら探せるかもしれないと。


「コナくんに考えてもらって。返事はいつでもいいから。

あと、社長がコナくんに実家の住所を教えて欲しいって言ってるんだ」

「はあ…」


隣にいるコナにも蒼の声は聞こえている。

コナがスッと眉根を寄せた。


「コナ?」


何か話し出しそうにコナが口を開いたので、

スピーカーにした。


「怒りませんか?山城さん、おじいちゃんとおばあちゃんのこと…怒ったりしませんか?

それに俺、おじいちゃんとおばあちゃんにお父さんは絶対に探すなって言われてて…」


それも今思えば祖父母の山城佳樹に対する愛だ。

だからこそコナは田舎の住所を教えることを躊躇った。


「そうだね。そのコナくんの気持ちを社長に言ってみる。

それで大丈夫なら教えてもらえるかな」

「はい。俺、今では感謝してるんです。ひとりだと今頃生きられてない。おじいちゃんとおばあちゃんのおかげだと思ってます」


四季は会ったことはない祖父母。

コナは辛く当たられながらも17年間ともに過ごしてきたのだ。

四季にはそれがなんだか不思議な感じがした。


「わかった。それも伝えておくね」


祖父母も佳樹に会いたいだろう。コナを引き取ることになり息子と会わないという苦渋の決断を強いられたのだ。

できることなら会わせてやりたいとコナは願った。





次の日、四季とコナは枝折のマンションへ行った。

昼過ぎだったので、まだ眠そうな顔の篤子が

ドアを開けた。


「いらっしゃい」

「篤子さん無理やり起きた?」

「そうよ。でも大丈夫。今夜は店に出ないから」


ふあ、とあくびをしてスエットのセットを着た篤子がリビングに入っていく。

明るい日差しが降り注ぐ中、ソファに座った

枝折が四季とコナを見て手を振っていた。


「枝折さん」


コナが隣に座って手を握ると、枝折がうれしそうに笑った。

篤子の淹れたコーヒーを四人で飲みながら昨日の話をする。

真剣な顔で聞いていた篤子と枝折は二人同時に涙ぐんでいた。


「四季のお父さまも…大変な思いをされたのね」


篤子が指で目頭を拭きながら頷いた。


「立派に成長したコナを見て安心されたでしょう。

会いに行って良かったわね」


枝折も潤んだ目で四季とコナを見つめた。


「branchに帰ってから、弁護士の蒼さんからまた連絡があって。コナのお母さんのゆりさんを探してみようかって。

コナはまだ返事してないんだけど」

「枝折さんと篤子さんはどう思う?」


もうすぐ枝折は大きな手術をする。

心配をかけたくなかったが、コナはどうしても枝折の考えが聞きたかった。


「今さら本当のお母さんに会っても、」

「それは違うわ」


枝折の声にコナは目を見開いた。


「確かに、お母さんに会ったところでどうにもならないかもしれない。今よりもっと苦しい思いをするかもしれないわ。

でもねコナ。あなたを産んでくれた人なのよ。

この世でたったひとりのお母さんなんだよ」


自分を産んでくれた人。愛してくれた人。

会えるのなら会った方がいい、と枝折は言った。


「お母さんは…枝折さんだよ」

「…」

「俺が今幸せなのは枝折さんのおかげだよ。

もし、ゆりさんに会ってもそれだけは変わらない」


枝折の目から涙が次々とこぼれる。

篤子も顔に手を当てて泣いていた。


コナの言いたいことはよくわかる。

産んだだけの母親になんの情もないのだろう。

子どもを産んだことのない篤子と枝折にはわからないが、出産は命がけだと聞く。


自分の命をかけてコナを産んだゆり。

佳樹の話ではコナのことを心から愛していた。

そんなゆりにコナを会わせてやりたかった。


「ありがとう。コナにそんな風に思ってもらえるだけで私はもう幸せよ。

お母さんにもし会えたら、今幸せだよって言ってやりなさい。お母さん…きっと喜ぶわよ」

「うん」


枝折の言葉に、見つかるかどうかはわからないが蒼に探してもらうことを決めた。

枝折が言ったようにもし母親のゆりに会えたら、自分には母親がいて今とても幸せだと伝えたい。

それがゆりの心も軽くするだろう。そして喜んでくれるだろう。コナにもそう思えたのだ。




一週間後。コナが店内を掃除していると蒼から再び連絡があった。

佳樹は祖父母に会いたいだけだと言っているらしい。

コナの願いを蒼が伝えると、佳樹は必ず守ると約束した。

コナは祖父母と暮らした山形の住所を蒼に伝え、ゆりを探してくれ、と頼んだ。


「了解。時間はかかると思うけど」

「お願いします」


明日から枝折が入院する。術前検査を経て、

来週はいよいよ手術だ。

コナは篤子に助けてもらいながら枝折の家族としていろんな説明を受け、対処していかなければならない。

枝折のことに集中したい。

コナはゆりのことは蒼に託すことにした。


「社長がご実家に行くとなると、コナくんの

生年月日のこともわかると思うよ」


蒼に言われて、忘れていたことをコナは思い出した。

佳樹がゆりから聞いていたコナの生年月日と、コナが祖父母から教えてもらった生年月日が

一致しなかったのだった。

なにか理由があるはず。

元々佳樹の婚姻関係などをふまえると四季と

コナが同じ歳のはずはないのだから。


「そうですね」

「社長はこれからご両親とまた繋がれるようにしたいと言ってたよ」


息子のためだけを思って生きてきた祖父母が

やっと救われる。

そして絡まっていた糸が少しずつ解けていく。


それはコナにとって吉と出るのか、はたまた凶と出るのか。


蒼との通話を終えて、コナは枝折のマンションへ向かった。




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