第3話 また、会えてうれしい

 何日経ったか知らないが、秋がサヨナラしたらしく大分寒くなってきた。

 確か一人用のコタツがあったな、明日出そうかなと故人の部屋で図々しく考えながらグイグイビールをやっていた夜のことだ。


 ほら、別に泣いて落ち込んじゃいないだろ?


『ちょっと飲み過ぎだね、亜美』

 わたしの腹から声がした。


「ん?」目線を下にやった。


 ブラウンの髪、眉に瞳。大きな目だな。

 顔の上半分だけが、わたしのお腹部分から生えてこちらを見ていた。


「わぅ」

 辛うじてビールを吹くのをこらえ、まずは缶をテーブルに置いた。


 わたしのお腹からは更に、にゅーっと、半透明の、人のかたちがアゴ首肩と順に現れ、香織の顔でわたしにニッコリ笑いかけた。


『やー! 亜美!』香織の声がする。

「――――」

 こういう時は固まるのが作法と聞いた。古事記だったかな。

 グイグイやってたけど、そこまで飲んでないぞ。わたしには幻視癖もない、はず。


 でも香織だなあ。


『うん、あたし』


 腹から突き出てきたスケスケ香織のまぼろしは、わたしと目を合わせたままお腹を抜け出し、ふわりとテーブルの上の宙に浮くような形で全身を現した。


 透けたハダカの友人の姿は、テーブルの向かいに軟着陸して、ちょこんと正座する。


『あたしだよ! 香織!』


 それはわかってる。

 何だろう、その香織は裸身で向かいに座り、相変わらずニコニコしている。屈託無くわたしに向けられた笑顔。

 やはりどこもスケスケで、体の中心も目を凝らすと背後の壁が見えた。

 濃いブラウンだった髪色もライトブラウンに薄まって見えた。


 こうしてみるといわゆるオバケっぽい。


「ははは、冗談キツい」

 独り言のつもりで呟くと、香織のまぼろしの姿は、不満を覚えた風で、

『亜美! 見えてるでしょ、聞こえてるでしょ? 香織だよー』とダブルピースをした。


『亜美に会いに来れたんだよ。感動の再会は?』


「――酔って見る夢なら、もっとしみじみするもんだ」

 わたしは取り合わない。

『あ、夢だと思ってる、ベタだね! じゃあ――』


 香織の身体の色がじわっと濃くなって、肌色生々しい裸体の女そのものに見えてきた。


 わたしが飲んでいたビール缶に手を伸ばして、つかむ。

 ごくっと温くなったであろうビールを一口飲んで、たんっと缶を置いた。


「ふぅ、ビール久々」と、別のトーンで喋った。


 この時香織は、実体化して実際に声を出していた。

 今まで、いわゆる念話テレパシーでわたしの頭の中に直接発言を伝えていたので、響きに違和感があったのだ。


「亜美、あたしだよ。本物の香織」


 小さなテーブルは、手を伸ばせば相手の顔まですぐ届く。

 香織はわたしの頬を撫でて、


「――ただいま、亜美」

 透けていない顔が、唇が近付いてきて。

 うっとりとキスされた。


 舌も侵入してくる――


「! ングは!」

 驚きだけで口を、身を逸らした。

「――な、生身のおんな!」


「わー、それ言う人いるんだ、死んで初めて聞いたよ」


「ま、マジ……かおりなの?」

「うん」

 香織は座り直して言った。


「ただいま。また会えたね、亜美」


 上気して頬を染める彼女は、香織そのものだった。


 状況が掴めてきたわたしは、ビールの残りを干した。

「服、着たら」

「あ、いやっはー、あはは」

 パ、と次の瞬間には見覚えのある白ワンピース姿になり、


「ああ、もう夜だしね」と言い、

 パ、と寝巻きのスウェット上下になった。

 どちらも香織の生前からの私物で、クローゼットやタンスにあるものだ。


「オバケやってるとさあ、ひとに見られないしハダカが楽なんだよねー」

「サラッと核心を言われた……」


「ホラ」

 じわっと身体も衣装も透ける。

「オバケってやつさ。てか、愛の女神みたいなものだよ」


 また身なりが濃くなる。実体化っていうことか。

「そそ、できるできる」


 ん? わたし喋ってないぞ。


読心テレパシーだよー」


 待て! 人の思考を勝手に読むな!


「だよね、ごめんやめとく」

 素直に悪かったわ、という顔をしてちょっと頭を下げた。


 生身の、生前の香織そのものだ。

 いかん、何か言わないと。


 でも、香織なんだ。

 今になって――涙腺にウッと来た。


「――香織なんだね」

「うん」


 嬉しいな。思考も言葉もいいのが出ない。

「うれしい」

「えへ」

 それくらいしか言えない。

 しばらくふたりとも照れ笑いするだけだった。


 細かいことはいいんだ。聞きたいけど。

 よくわからないオバケでも、香織にあえて嬉しいんだ。

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