おわり

 僕と咲桜さくらの間で、お互いのものを交換する秘密の関係がはじまった。まず最初に、僕は青と黒のチェック模様のハンカチを渡すことにした。


「本当にいいの? もらっちゃって」

「だって、ほしがってる人が持ってる方がいいでしょ」


 じゃあお返しにと、咲桜からは同じようにハンカチをもらった。花柄の、ピンク色のハンカチ。僕と咲桜は無言で頷き合うと、交換したものをポケットに仕舞いこんだ。


 交換したものは目につく形で持っておかない、それが僕らで決めたルールだった。

 本当はスニーカーとワンピースを交換したかったけど、それはやめておこうという話になった。さすがに大きすぎるから。対してハンカチは手ごろな大きさだった。それだけで充分だった。


 いや、充分どころの話じゃない。大満足だった。少なくとも、今まで誰にも言えず、手にとることもできなかった「かわいいもの」が僕の手の中にある。

 優しい色合い。丸みを帯びた花びらのイラスト。ずっと見ていても飽きない。かわいい。これだ。これが僕のほしかったものだ。夢のようだった。


「ありがとう、沖倉おきくらくん」

「お礼を言うのは僕の方だよ」


 美化委員会で作業しながら言葉を交わす。僕らにとっての密談の時間だった。あいかわらず雑草は生えたまま。

 そしてもちろん、この時間はお礼を言うためだけのものじゃない。


「それで、次に交換するものなんだけど」


 僕と咲桜は次々に取引を続けた。お互いがほしいと思っているものを伝え合って、手に入れることができたものを交換した。


 たとえば、ドラゴンの形をしたキーホルダーとくまのぬいぐるみ。

 ある時は、恐竜が描かれた鉛筆と苺をかたどった甘い香りのする消しゴム。


 交換するものはだいたいが小さなもの。だけど僕にとっては大きかった。僕と同じ秘密を、嘘を共有できる相手ができたのだから。咲桜が現れて、真っ暗闇だった僕に光が差した。夜空にぽっかりと浮かぶ月のようだった。


 次は何がいいだろうか。考えれば考えるほど、交換の頻度は上がった。僕から渡すものはたいてい、買い物で母親にねだって買ってもらった。


溝上みぞがみさんは好きなものを買ってもらえたりしないの?」


 一度、僕は気になって質問した。理由は咲桜の家はけっこうお金持ちだと、クラスメイトが噂していたからだ。


「私の家、親がそういうの厳しくて。おこづかいなんてもらえてないから」


 僕の問いに、咲桜はそう答えた。女の子なんだから女の子らしくしなさいと、いつも言われていると付け加えた。僕にくれたハンカチも、なくしたと言い訳したらすごく怒られたと言っていた。


 それでも彼女がこの関係をやめないのは、僕のためでもあるんだろう。同じ境遇の、同じ気持ちを持つ僕がほしいものを手に入れるチャンスを手放すことがないようにしてくれているんだ、と。僕にはそう見えた。


 だから、というわけじゃないけど。

 僕はあることを考えた。



「はいこれ。あげるよ」


 年明けの美化委員会。僕と咲桜が話すようになって半年が経った頃。花壇を前にして僕は咲桜に言った。


「クリスマスプレゼントでもらったんだけど、溝上さんがほしいかなって」


 ランドセルから箱を取り出して、咲桜に渡す。彼女は言われるがままに受け取って、箱を開く。途端にその瞳が輝いた。


「わ。これって」


 中から出てきたのは腕時計だった。黒を基調としたデザインのそれは、まるで何かのマシンのようでかっこいいと男子の間で評判だった。

 言うまでもなく、僕には無用の品物で、咲桜がほしがるであろう逸品。


「これ、高いんじゃないの?」

「かもしれない。でも、僕は別にほしくはないから」


 今回、僕は初めてプレゼントで「これがほしい」とお願いした。それがうれしかったのか、ふたりとも二つ返事で買ってくれた。罪悪感はあった。それでも咲桜に対して何かしてあげたい気持ちが上回った。思いついた方法は、これしかなかった。


「じゃあ私はなにを持ってこようかな。ちゃんとしたのを渡さないと」

「いいよ。僕があげるだけだから」

「えっ?」


 さらに目が開かれる。


「うん。溝上さんのおかげで僕、本当にほしかったものがたくさん、僕の部屋にあるから」

「そんな、沖倉くんが言い出してくれたからなのに」

「それも、溝上さんが僕の提案を受け入れてくれたからでしょ。だからこれは、そのお礼」


 彼女がいなければ、僕はきっとこれからも、ほしくない「男の子らしいかっこいいもの」をまとって生きていくだけだっただろう。


「だから、受け取ってよ」

「う、うん」


 そこまで言うとようやく、咲桜は手に持った腕時計を自分の方に寄せて、それから僕の顔と交互に見比べて。


「ありがとう」


 くしゃっと笑った。それだけを見れば、かわいいものが好きじゃない女子にはとても見えなかった。


 僕は少しだけ照れくさく、同時に誇らしく思った。彼女をこれだけ笑顔にできたのは、僕が嘘をついたからじゃないか。


 嘘をつくことは、悪いことばかりじゃないって。


 ……だけど。


 終わりは突然やってきた。


 僕と咲桜が物々交換をしていることが、親にばれたのだ。


 その日、僕らはメタリックな黒い筆箱と、きらきらの手帳を交換する予定だった。ところが美化委員会の活動が、急きょ休みになったのだ。

 下校時刻を過ぎた僕らは、学校を出るほかなかった。でも僕は待ちきれなくて。


「公園寄って、そこで交換しようよ」


 咲桜を誘って寄り道をして、ブランコに並んで座って。そこで交換をした。初めて学校の外でのやりとり。それがいけなかった。

 その様子が近所の人に見られたらしく、学校に連絡がいってしまったのだ。完全に、僕のミスだった。


 あくる日の放課後。僕らは職員室に呼ばれた。下校時の寄り道と、お互いの持ちものを交換していたことについて尋ねられた。最初、僕らは口をつぐんだけど、見かねた先生たちが僕たちの親を呼んだ。


 僕の両親は職員室にやってくるなり僕を質問責めにした。なんでこんなことをとか、嘘をついていたのかとか。


 対照的に咲桜の親は黙ったまま娘を見下ろしていた。そこだけ凍りついたような空気を放っていた。だけどそっちを気にしている余裕なんて僕にはまったくなくて。両親にまともに怒られるのが初めてな僕の頭は、めちゃくちゃだった。


 どうしたら。どうすればこの状況を乗り切れるか。だからといって正直に話すわけには。じゃあなんて答えたらいいのか。


 なんて嘘をついたら――


「ごめんなさい。私が沖倉くんにお願いしたんです」


 散らかった頭の中を、そんな咲桜の言葉が、竜巻のように吹き飛ばした。


「私が、悪いんです」


 そう言って、咲桜は頭を下げた。


「そっ」


 そんなことはない。むしろ僕の方から持ちかけたんです。彼女は悪くありません。

 僕の口は開きかけて。でもやっぱり閉じて。それをくり返した。ぱくぱくと、酸素を求める魚みたいに。


 話はみるみるうちに進んでいった。溝上咲桜が騒動の原因だとして。


 その間、僕はなにも言えなかった。


 結局、交換したものはほとんど返すことになった。宝物に囲まれた僕の部屋は一変した。

 変わったのはそれだけじゃなかった。咲桜だ。彼女は今まで以上に口数が減った。美化委員会のグループも、僕とは変わることになった。


 僕はついぞ、先生にも両親にも真実を話すことはなかった。黙ったまま――嘘をついたままだった。


 嘘つきは泥棒のはじまり。

 言われ続けたその言葉が、僕の脳内に響いた。その意味を、ようやく痛感した。


 僕が、僕の嘘が。咲桜の自由を、盗んでしまった。奪ってしまったのだ。


 それ以来、僕と咲桜が接することはなくなった。先生も配慮したのだろう、同じクラスになることもなかった。


 そうして咲桜とは言葉も交わさず、顔を合わせることもなく。

 僕らはそのまま、小学校を卒業した。

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