おわりの、その後

 咲桜さくらと再び接点を持ったのは中学生になってからだった。中学二年生になって、まるでほとぼりが冷めたかのように、同じクラスになった。


 といっても、面と向かって会話するようなことはなかった。僕から話しかけはしない。僕にその資格なんてない。

 咲桜から声をかけてくることもなかった。当然だ。あの日、僕の嘘で咲桜はあらゆるものを奪われたのだから。きっと彼女は僕のことを恨んでいる。


 久しぶりに見る咲桜の外見は小学生のころから変わっていた。特に髪はすっかり短くなって、首もとまでの長さになっていた。

 変わっていないのは、身の回りの持ちもの。そのすべてが女の子らしく、かわいらしくておしとやかだ。


 僕はというと、今も嘘をつき続けていた。もし嘘だと明かせば、咲桜があの時僕をかばってくれた言葉が無駄になってしまうと、そう思ったから。


 僕はなるべくひとりでいることにしていた。ひとりなら、僕の嘘で誰かのなにかを奪ってしまうことはないから。

 罪滅ぼしなんておこがましい。せめて僕にできるのは、もう二度と関わり合いを持たないことくらい。


 そう思って、僕はなるべく彼女の目につかないよう過ごしていた。万が一にも帰り道で出くわしたりしないよう、少しだけ教室で待ったりして。


 だからその日も、僕は三十分ほど教室で時間をつぶしていた。

 そろそろいいかなと思い、スマホをいじる手を止めて教室を出る。

 その時だった、不意に窓の外から、校舎裏にあたる場所から声が聞こえてきた。


 僕はガラス越しに声の方を見下ろす。湿っぽく薄暗くて誰も見向きもしないようなその場所には、数人の女子がいた。


 普段なら風景の一部として素通りしていただろう。だけど今日ばかりは、僕の目は縫いつけられたように止まった。理由は単純。


 そのひとりが、咲桜だったからだ。

 見えるのは後ろ姿だけど。昔の見慣れた髪型からは変わっているけれど。僕が見間違えるわけがない。


 僕の身体は校舎裏へと向かっていた。もう咲桜とは関わらない、そう決めていたはずなのに。あの日の記憶がまだ僕の脳にはこびりついて消えないのに。

 大丈夫、様子をうかがうだけ。そう言い聞かせて、少し離れた場所の物陰から顔をのぞかせる。なにもなければ回れ右をして帰ればいい。それだけだ。


「お願いだってばー。あとでちゃんと返すって」


 女子のひとりが言うのが聞こえた。だけどその口調からはお願いというよりも、別の色が孕んでいる。


 咲桜を取り囲むように立っている三人の女子たちはいわゆるスクールカーストの上位に属しているグループだった。ぞくぞくと嫌なものが僕の背中を這いまわる。


「ねー、ちょっとでいいからさー。今うちら金欠でさあ、今月中に返すから」

「そうそう。溝上さん、家お金持ちらしいじゃん。ね、ちょっとだけ」


 やけに声のトーンが高くて耳にまとわりつく。友達同士のお金の貸し借り。だけど咲桜と彼女たちが話しているのは見たことがない。予感は確信に変わる。


「ごめんなさい」


 対照的に、咲桜の声は平坦なものだった。


「両親はそうなのかもしれないけど、私はあんまり持っていなくて」


 それはいつか僕が聞いたのと同じものだった。


「はあ? なにそれ」

「困ってるのに助けてくれないわけ?」


 だけど、それで引き下がる女子たちではなかった。

「……へー。そんなこと言っていいんだ」


 真ん中にいた女子が笑いながら言う。また少し声のトーンが変わる。


「私、知ってるんだよ? あんた、小学生のときに男子からいろいろパクったってこと」

「え」


 その言葉に、咲桜の表情が強張るのがわかった。同時に僕は既視感の正体に気づいた。

 彼女は小学生のときにも同じクラスだった。ちょうど、あの事件があったときの。つまり、あの女子はあの当時を、溝上みぞがみ咲桜が悪いのだという嘘の真実を知る人物。


「え、まじ?」

「うちらも盗まれるんじゃない? こわー」


 ふたりの女子が同調する。


「あの時も親とか呼び出されてたよねー。あんたの親、厳しかったもんねー」


 僕の脳裏にざわついた教室と、ずっと顔を伏せて席に座っていた咲桜が浮かぶ。それは咲桜も同じなのか、悲愴な面持ちになっていた。あれが今、再びくり返されるんじゃないかという恐怖にまみれていた。


「うちらも先生に相談しよっかなー。教室で誰かに盗られたとか言ってみよっかなー」

「そ、それは」

「なら、うちらの頼み聞いてくれたっていいよねー?」


 女子たちの視線が這いまわる。どう考えても看過できる状況じゃあなかった。だってこの状況を招いてしまった遠因は、僕にあるのだから。

 助けなきゃ。僕のせいで言われてしまっている、いわれなき汚名をそそぐためにも。


 ――でも、お前になにができる?


 背中からささやくような声が足を止めた。もうひとりの僕だった。僕は答える。


 ――彼女は困ってるんだ。助けなきゃ。

 ――助ける? お前が?


 嘲るように言われて、僕は言葉を詰まらせた。


 ――小学生のころ、彼女にあんな目に遭わせておきながら?

 ――……それは。


 なにも言い返せなかった。それは紛れもない事実。僕が僕である以上、最もよく理解している。


 ――お前がまた関われば、咲桜はきっと不幸になる。奪われることによって。

 ――じゃあ、僕はこのまま見て見ぬふりをしてろってこと?

 ――思い上がるなよ。


 突き刺すように言い放ってくる。それはまるで背骨に刺さったみたいに、僕の背すじは伸びて、顔が上がる。


 ――お前にそんな道が残されてると思うか?

 それから僕は、僕に告げてきた。

 ――お前にできることなんて、ひとつしかないだろ。


 その瞬間、僕は悟った。今やらなければならないことがなんなのかを。


 それは僕ができる、誰にも負けないものだ。


「や、やめなよ」


 僕の足は動き、物陰から身体を出していた。咲桜も含めて全員が僕の方を向く。


「溝上さんに、そういうことを言うのは、やめてほしい」


 声は少し裏返っていた。だけど気にしない。僕はまっすぐ、彼女たちの方に相対する。


沖倉おきくら、くん……?」

「え? だれ?」

「クラス一緒の男子じゃなかったっけ?」

「え、知らなーい」

「ひっどー」


 女子たちは口をそろえて言った。小学校のときのクラスメイトだった女子ですら。咲桜だけがあの時みたいに、僕の名前を呼んでいた。


「で? なにか言った? うちら今いそがしいんだけど」

「やめて、ほしいんだ。溝上さんに……そういうことを言うのは」


 心臓の音がうるさい。こんなふうに面と向かって人に自分の言いたいことを言うのが初めてだからだろうか。だけどそのおかげで、女子たちが口々に言うのを気に留めなくてよかった。


「なんであんたがそんなこと言うわけ?」


 やがて真ん中の女子が、かつてのクラスメイトだった女子がめんどくさそうに言う。


「あんた、こいつとどういう関係なの?」

「……大事な、人だから」

「はあ?」


 つぶやくような答えに、彼女たちは眉をひそませる。まだ足りない。まだ届いていない。


 さあ。僕にできることをやれ。もうひとりの僕に背中を押されながら。あるいは突き動かされながら。

 三百六十度に響き渡るように、宣言する。


「僕は溝上咲桜のことが、好きだからだよ」

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