3章 ビジネスの条件
第8話 ビジネスの条件(1)
昼休みになり、僕が日直業務で職員室を訪れると、担任の先生に先客がいた。
クラスメイトの
先生も飯田さんも、何やら深刻な表情をしている。
「済まないな。教頭先生に掛け合ってみたが、やっぱり難しいそうだ」
「そうですか。すみません、お手間を取らせて……あ、花房くん、先生に用?」
「あ、うん、日直の印刷データをもらいに……」
先生からUSBメモリをもらい、印刷室で仕事を済ませると、職員室前で飯田さんがもう一人の女子と額を突き合わせていた。
同じくクラスメイトの
「さっちゃん、私、やっぱり諦めきれないよ。生徒会とか校長先生にも働きかけてみない?」
「ううん、いいよ、私がこれ以上勝手なことしたら先生に迷惑掛かるかもしれないし……」
梅本さんと飯田さんのやり取りを遠巻きに眺めていると、視線に気付いた二人に振り返られ、僕は反射的に両手を合わせて詫びた。
「ご、ごめん。つい盗み聞きみたいなことしちゃって。何かあったの?」
「ん……大した話じゃないんだけどね」
飯田さんは前髪を弄り、訥々と語った。
「私の家、昔からおにぎり屋さんをやっているんだけど、最近経営が危ないらしいんだ。近くにできたショッピングモールにもおにぎり専門店があって、そっちに結構なお客さんが流れちゃってるみたいで。それに最近、物価高とかお米不足とかもあるでしょ? このままだと潰れるかもしれなくて、学校の購買で売れないか先生に訊いてみたんだけど、契約とか衛生管理の都合で難しいって言われちゃって」
「私のお母さんも飯田さんのお店で働いててね、飯田さんとは昔から家族ぐるみの付き合いなんだけど、本当にいいお店なんだよ。潰れるなんて絶対間違ってるよ!」
「そ、そっか……」
飯田さんに続き、梅本さんに熱弁され、僕は鼻白んでしまった。
全然大したことある話じゃないか。気軽に訊いていい話題じゃなかった。
口ごもる僕の前で、梅本さんと飯田さんが小声を交わし合う。
「そうだ、さっちゃん、花房くんに頼んでみるってのはどう?」
「え? あ、そうか、花房くんは月之宮さんの彼氏だから……ねぇ花房くん、折り入ってお願いがあるんだけど」
「な、なに?」
キョドる僕に、飯田さんは両手を合わせ、後生と言いたげな表情で希った。
「月之宮さんにウチのお店を宣伝するように頼んでくれないかな? 味には自信があるし、あの月之宮さんならクチコミ効果もすごいと思うんだ。もちろん、売り上げが伸びたらそれなりのお礼はさせてもらうから」
君たちが直接頼めばいいじゃないか……と思ったけど、二人とも僕みたいに内気な性格なのかもしれない。陰の者が月之宮さんに声を掛けにくい気持ちは分かる。
それに、接点がなかったとはいえ、クラスメイトが困っているのは忍びない。
「分かった、訊くだけ訊いてみるよ。受けてくれるかどうかは月之宮さん次第だけど」
「ありがとう、助かるよ」
何もしてないうちから感謝され、僕は満更でもない気持ちになってしまった。我ながら単純な性格である。
* * *
昼休み、僕は月之宮さんを人気のない廊下に呼び出した。
もちろん用件は飯田さんの件についてだ。家庭事情に関わることだし、大勢の生徒がいる教室で話すのは避けたい。
事情を聞き終えた月之宮さんは、同情的に呟く。
「なるほどね、自営業も大変だ」
「それで、月之宮さん……受けてくれる?」
僕が尋ねると、月之宮さんは黙考の後、首を横に振った。
「やめた方がいいね。メリットが少なすぎる」
「え……」
意外な答えだった。
クチコミなら大した労力にもならないし、合理主義者の月之宮さんなら、飯田さんたちに借りを作る意味でも快諾してくれると思っていた。
その理由を推察し、僕は口を開く。
「やっぱり確認しとくべきだった? 飯田さんが具体的にどんなお礼をしてくれるか……」
「そうじゃない、メリットが少ないってのはお店側も含めて。花房くんはさ、ビジネスが成り立つための要件って何か分かる?」
突然質問を投げ掛けられ、僕は面食らう。
確か公民の教科書にそんなことが書いてあったような……
「えーっと……需要とか費用対効果とか?」
「正解。それに〝持続性〟を加えたもの、それがビジネスの三要件なんだ」
月之宮さんは壁に背を預け、滔々と語る。
「確かに私がお店のクチコミを広めれば、一時的には売り上げが伸びるかもしれない。だけど結局はその場しのぎにしかならないよ。高校生の購買力なんてたかが知れてるし、おにぎりっていう商品に繰り返し足を運ぶほどの目新しさもない。女子は糖質制限してる子も多いしね。持続性に欠けるビジネスは、やる意味がないんだ」
クラスメイトの生活の危機にもかかわらず、月之宮さんの意見は冷静かつ辛辣だ。
直接頼まれた僕としては、どうしてもそこまで非情になりきれない。
「うーん……それでも、月之宮さんさえよければ、ダメ元でやってあげられないかな? このままじゃ飯田さんたちが可哀想だし……」
「下手に需給バランスとか客層が崩れると、廃棄リスクや既存客離れにも繋がるんだよ。メリットと持続性に欠けるってのはそういう意味。それに花房くんも、身に覚えはあるんじゃない?」
月之宮さんは溜息を吐き、摩れた流し目を僕によこした。
「困ってる人はね、最初から助けない人には何も言わないけど、助けが足りない人には平気で文句を言えちゃうの。飯田さんたちがそういう人だって決めつけるわけじゃないよ。でも、少なくともこのビジネスの末路は見えている。お店の未来や飯田さんの生活がかかってるなら、なおさら安請け合いで協力するべきじゃないよ」
月之宮さんの台詞には、真に迫った重みがあり、僕は閉口を余儀なくされた。
男女問わず人気者の月之宮さんだけど、関わる人が多いということは、イコール心無い人と関わる確率も高いということなのだ。
月之宮さんはいろんな人に頼られる中で、幾度となく嫌な思いも強いられたのだろう。
「そっか……そうだよね、分かった」
後ろ髪引かれる思いはあるけど、月之宮さんが嫌がることを強要はできない。文句があるなら僕がやれという話だし。
しばらく僕を観察していた月之宮さんは、唐突に両手を叩き、僕に場違いな提案をした。
「そうだ、花房くん。私、今週末にバスケ部の助っ人で試合に出るんだけどさ、よかったら見に来ない?」
「え、ええ?」
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