第32話 闘いの火蓋(2)
螺旋階段を一心不乱に駆け下りながら、わたしは前方を走る八千重ちゃんに問い掛けた。
「八千重ちゃん、どういうこと!? ここは中立地帯なのに、何で富良さんはいきなりわたしたちを拘束しようとしたの!?」
状況の把握もままならないわたしに対し、八千重ちゃんの答えは至極冷静なものだ。
「中立地帯だからですよ。この盟約の教会内に限っては、何が起ころうと外部で責任を問われないと協定で定められているのです」
下り階段でなければわたしは間違いなく足を止めていただろう。
言葉にならない疑問が、わたしの口を衝いて出る。
「何でそんな……」
「平たく言えば、ここは代理戦争の舞台なのですよ。意見の食い違いで議論が平行線を辿った時、覚悟と強さを示すための。各校最強クラスのお嬢様少数によって催されるのはそのためです。もっとも、今回のように実際に戦闘に発展したケースは稀でしょうけれど」
確かに輝知会長が手を焼くほどの事態に陥れば、多少の妥協は余儀なくされるかもしれない。
輝知会長が開始前から厳格な雰囲気を漂わせていたのは、ここが額面通りの戦場だったからなのだ。お嬢様事変という最悪の事態を回避するための。
瞬間、わたしは不吉な予感を抱き、引き攣った声で八千重ちゃんに尋ねた。
「富良さんは……メビウスは紅華を潰そうとしてるってこと!? それってもしかして、三花弁じゃなくて新人のわたしたちが参加したせいなのかな!?」
「今度はあなたが落ち着く番ですよ。その答えは直接訊くしかありませんわ。あなたのお隣さんと……彼女に」
教会下層の床に下りた瞬間、八千重ちゃんは足を止め、顔を上げた。
視線の先には、壁面に沿う螺旋階段の手すりから手すりへと曲芸師のように飛び移り、高速で降下する人影。
五メートルほどの高さに辿り着いたところで、彼女は教会の中央へと一気に飛び降りた。
黒のジャンパースカートを纏い、ヘアバンドで髪を掻き上げた眼鏡のお嬢様、蓮野ウテナ。
十字架とマリア像がある教会下層に立つと、その姿は本格的に聖職者のそれに見える。
息を切らす素振りもなく、ウテナちゃんは静かに詰め寄ってくる。
「鬼ごっこは終わりですよ、八千重」
「別に逃げていたわけではありませんわ。どうせ戦うなら広い場所の方が良いでしょう」
対する八千重ちゃんは、わたしを庇うような形で立ち、堂々と切り返した。
戦闘回避は恐らく不可能。立場以上に、きっと二人の因縁がそれを許さない。
互いに間合いを図りながら、八千重ちゃんがウテナちゃんに尋ねた。
「その前に訊かせていただきたいですわね。メビウスの目的は何ですの? 『自分たちも狐面に襲われた』などという虚言を突然持ち出したのは、やはりこの機に乗じて紅華を潰すためだったのですか?」
ウテナちゃんは眉をピクリと反応させ、心外そうに訂正した。
「虚言? 副総代は嘘など仰っておりませんよ。メビウスが狐面の不審者に襲撃されたのは紛れもない事実です。襲われたのは、私ですから」
「ウテナが……?」
懐疑的な声を零す八千重ちゃんに、ウテナちゃんは肩を竦めて続ける。
「初手で幾ばくかの手傷は負わせたのですがね。私ごときに即座に遁走したところから察するに、目的は他にあったのでしょう。ここ最近、我が校の校区でも不審な人物が散見され、パトロールを強化していた矢先のことでした」
言葉を切ったウテナちゃんは、教会の上方を意味深に見遣り、見解を示した。
「ただ……都合がよかったというのはその通りでしょうね。私も総代のお考えを全て把握しているわけではありませんが、紅華に圧力をかけ弱体化を図ることは、あの御方の最終目的に合致していることですから」
あの御方。
未だ謎に包まれた、メビウスの総代〝ヒオ〟。
八千重ちゃんは訝るように目を細め、ウテナちゃんに続きを促す。
「何ですの。第二次お嬢様事変を起こしてまで求めた、メビウス総代の最終目的というのは」
「そんな肩肘張って問いただすほどのことではありませんよ。私も八千重も、それどころか遍く人類が共通して抱える、等身大の根源的な願いです」
ウテナちゃんはそこで初めて笑みを湛え、言った。
「『世界中のお嬢様とお友達になりたい』。総代は、ただそれだけを望んでおられるのです」
わたしの価値観で文字通り受け取るには、その台詞はあまりに異質を極めていた。
恍惚としたウテナちゃんの表情は、さながら教えを疑うことを知らない敬虔な教徒だ。
苦虫を噛み潰したように顔を顰め、八千重ちゃんは深く構えて戦闘態勢に移った。
「なるほど、それは随分と……身の程知らずの遠い理想ですわね」
「そう答えると思っていましたよ。では始めましょうか、八千重」
ウテナちゃんもまた笑みを消し、硬い声で受け答える。
一触即発の空気の中、八千重ちゃんは首だけでわたしを振り返って言った。
「お行きなさい、陽香さん。ここはわたくしが引き受けます」
「気を付けてね、八千重ちゃん! 危なくなったら今度こそ逃げるんだよ!」
気掛かりじゃないと言えば嘘になるけど、わたしの役割は他にある。
体当たりのようにドアを押し開け、わたしは盟約の教会の外へと飛び出した。
* * *
待機させていた無人タクシーに乗り付け、桜仙花学園に急行したわたしは、まず学園に待機していた火虎先輩に事情を説明した。スマホが無いと連絡も一苦労だ。
盟約の教会でのお嬢様会談中、メビウスが怪しげな提案を持ちかけたこと、異議を唱えようとした輝知会長が攻撃されたこと、わたしは三花弁への報告とライムちゃんの事情聴取のために脱出してきたこと、足止めのために八千重ちゃんが残ったこと。
最初こそ血相を変えた火虎先輩だったが、メビウス総代の不在を知ってからは幾分か冷静になった。
火虎先輩はわたしが乗り付けた無人タクシーでそのまま教会に向かうと言い、わたしはそこで先輩と別れて学生寮に向かった。
息せき切って寮に戻ったわたしは、ライムちゃんの部屋を力任せにノックした。
「ライムちゃん! わたしだよ! ドアを開けて!」
すぐに反応はなかったが、わたしはライムちゃんの在室を確信していた。
微かだがドアの向こうに人の気配を感じる。
しつこく呼びかけていると、やがてノブが回り、そろそろとドアが開いた。
ライムちゃんの様子は、少しわたしの予想と違っていた。
いつも以上に縮こまり、こちらを見上げる目は真っ赤に充血している。つい先ほどまで泣いていたのだろうか。
あの不気味な狐面の襲撃者と同一人物とはとても思えない。
誤解であってほしい、という一縷の望みを胸に、わたしはライムちゃんに尋ねた。
「……あなたなの? あの日、わたしと八千重ちゃんを襲って、スマホを奪ったのは……」
「……け、結局、こうなるんだ」
ライムちゃんの口から、とめどなく震え、怯えた声が発せられた。
深い悔恨に苛まれるように、ライムちゃんは綺麗な黒髪を掻きむしる。
「ぼっ、僕はいつも、こうなるんだ! だからこんな所に来たくなかったのに! どんなに惨めでも、後ろ指差されても、僕はみんなと一緒ならそれでよかったのに……!」
「ライムちゃん、一体何の話を……?」
尋常ならざる状態に狼狽するわたしを、ハッタと睨み上げ、ライムちゃんは涙を散らして怒鳴った。
「惚けないでよ! どうせ初対面の時から、薄々分かってたんでしょ! 僕がヤクザの総長の娘だってことに!」
「……え?」
一瞬、わたしはライムちゃんが何を言っているのか理解できなかった。
ヤクザの娘という単語は言わずもがな、『初対面の時から』という前置きが結び付かなかったためだ。
立ち尽くすわたしを、ライムちゃんは口角泡を飛ばして詰ってくる。
「どうせ肩の入れ墨のことを誰かにバラしたんでしょ! バレてないと思った僕がバカだったよ! そんなわけないのに! どのみちこんな寮生活で隠し通せるわけがなかったのに!」
そこでわたしは思い出した。
わたしが入寮した日、部屋を間違えて半裸のライムちゃんと出くわした時のことを言っているのか。
ライムちゃんは踵を返し、机の上の鞄を手に取ると、そのまま部屋を出ようとする。
「これが答えだよ! もう充分でしょ! 言われなくても僕、もう出て行くから!」
「待って、ライムちゃん! わたし、まだあなたに訊きたいことがいくつも――」
「うるさいうるさい! 話すことなんて何もない! そこをどいて!」
わたしは慌ててライムちゃんの前に立ちふさがったが、半狂乱のライムちゃんは取り合おうとしない。
取り乱すライムちゃんを見るわたしは、不思議と自分の心が冷静になっていくのを感じていた。
わたしは深呼吸し、一言一句噛み締めるようにライムちゃんにお願いする。
「ごめん、それはできない。ライムちゃん、部屋に戻ってわたしの質問に答えて。大人しくすれば手荒な真似はしないから」
「僕に指図すんな! いいからどいてよ! またあの時みたいに痛い目に遭いたいの!?」
あの時。やっぱりライムちゃんはあの狐面の襲撃者だったんだ。
避けられない戦いを覚悟し、凛然と宣言した。
「分かった。それが答えなら、わたしは紅華としてあなたを制圧します」
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