第二楽章 ⑤ 忘却の旋律
意識が
突然に母が
「…………!」
なに?
聞こえないよ、お母さん。
そう思った時、母の体が左方向に激しく
上半身に温かい
でも、痛くはない。
無数の絶叫が耳に届く。
恨みと憎しみの
皮膚が破れ、血が吹き出し、骨がへし折られ、肉が
視界の周囲は暗くて何も見えない。
誰もいない。
視界の真ん中には、黒い髪と真っ赤な
お母さんがいた。
「お母さん…………いやだ! いやいやいやだああぁ!! いやああぁあああッ!!!」
誰の声だろう。
自分の声だ、と気が付くのに少し時間がかかった。
すると、絶叫を押し
ひどく
『エーカ、起きなさい。もう起きられるでしょう?』
そう言われた気がする。
視界が、真っ白になっていった。
目を開いて意識を戻すと、悪臭が鼻を
そのおかげで、先ほどまで自分が見ていたのは夢であるとエーカは悟った。
次に、か細い笛の音が鳴っていることに気付く。
横に視線を移すと、緑色の布を背景に木箱に座ってフルートを吹いている一人の少女と目が合った。
「Meno male(よかった)……」
フルートから唇を離したルチアは、
「ルチア……ちゃん」
生きていた。何となく分かっていたけれど、良かった。
「エーカ、気分はどう?」
「大丈夫みたい。なんで?」
あんな
嬉しいはずの思い出、悲しいはずの思い出、いくら頭に浮かべても何の感想もなかった。
「クラリネットとフルートで
「どうりで、落ち着いてるわけだ」
エーカは静かに
「……お母さんは?」
「亡くなられました」
視線を落としながらルチアは報告した。
「そう」
でも、やっぱり悲しくなかった。
「……ルチアちゃん、なんで泣いてるの?」
彼女はそれに答えず、涙を制服の袖で
「今は占領が完了して、街も落ち着いているから」
そうですか。
「……私のこと、
もう分かってます。
「実はね、私は諜報任務のために王国へ派遣された帝国のスパイなの」
知ってます。
「信じられないかもしれないけど、ずっと
信じます。
「本当なら全員助けたかった。でも無血占領は無理だった。ごめんね、エーカ」
もういいから泣かないで、と口に出すのも
「でも、後のことは心配しないで」
何も心配はしていなかった。
ただ何もしたくなかった。できれば早く死にたかった。
「具合はどうかね? 特務少尉」
ふいに男性の声がした。テントの外からだ。
その言葉を聞いた
直後、ルチアは背筋を伸ばして立ち上がり「
それを
彼は一緒に天幕へ入ろうとした副官に外で待つよう指示すると、軍帽を脱いで口を開いた。
「私は派遣軍司令官の
「はい、その通りであります!」
返事をしないエーカの代わりに、ルチアが答えた。
「ハハハッ、そう
「大変お見苦しく……。それで、あの、この娘を連れ帰っても?」
「問題なかろう。本当は誘拐罪だがな。本籍が日本国民なら後でどうにでもなる」
「ありがとうございます」
こんなに
「しかし、本人の意志は固まっているのかな?」
二人の帝国軍人はエーカを見た。どうやら、自分に対して何かを
彼はもう一度、
「君はいきたいか?」
「死にたい……」
エーカは口だけを動かした。
指揮官とルチアが不思議なものを見るような顔になる。
少し
直前の返答をなかったことにして続けられる会話を、エーカは無表情に聞いていた。
そうして上官との話が終わると、ルチアは王国語で語りかける。
「行こう、エーカ」
「……どこに?」
「あんたの祖国──、日本だよ」
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