完璧コンプレックス

ラム

コンプレックス

 完璧、と呼ばれる男がいた。

 彼は頭脳明晰、容姿端麗、運動神経抜群、その他諸々枚挙にいとまがない。

 しかし、果たして、この世に完璧なものなどあるのだろうか……


 ──


 私立、コンプラ学園。

 偏差値87の超名門校、そこの頂点に立つ男がいる。


「ベーコン、現代文何点だった?」

「120点」

「マジかよ、俺なんか100点なのに! くぅー、いつになったら100点の壁超えられるんだ!」


 ベーコンこと矢部は、あまりに成績が優秀すぎるため100点満点のところ、120点を与えられることが常であった。


「おいベーコン、好きな女子いる?」

「あぁ、いるぜ」

「え? 誰々? まさかお前に好きな女子が出来るなんて……」


 その時、ツカツカと女子が矢部に歩み寄る。


「矢部くん、私と付き合ってください」


 矢部に告白したのは、絹のように長い黒髪、ぱっちりした瞳が映える小顔、赤い唇。

 要するに美人。

 なにしろ彼女はクラスのマドンナとして名高い蔵須まどな。


「えっマジかよ、まどなさんが……?」

「でもあの2人お似合いだよね……」


 クラスメイトは嫉妬をするどころか、祝福ムードまで流れた。

 しかし矢部は即答する。


「ごめん」

「え? なんで……?」

「……」

「ちょ、私を振った理由くらい教えてよ!」

「だって……高校生とか恋愛対象外だし」

「な、どういうこと!?」


 クラスメイトは語る。

「あぁ、ごめん蔵須さん。なんたってこいつやべーロリコン、人呼んで──ベーコンだから」


 へなへなと座り込む蔵須を無視して矢部は語り出す。


「で、俺が好きな子は葉月ちゃん! 小学4年生なんだ。彼女ほどキュートでセクシーな女性はいないだろうなぁ……」


 興奮げに語る矢部に、クラスメイトも蔵須も引き攣りながら同じ事を考えていた。


 こいつはやべーロリコンだ、と。


 ──


 夕方、矢部は友人と別れ、1人帰宅する。


(今日も記憶に残らない1日だったな……)

(やはり葉月ちゃんが修学旅行に行ってから寂しくてしょうがない)


 その時がさっ、と音が響く。


「葉月ちゃん!?」


 矢部は咄嗟に愛する者の名を叫びながら振り返るも、ただゴミが風で転がった音らしかった。


(はぁ、葉月ちゃん……)


 矢部は帰宅し、最難関大の過去問を30分で全教科満点で解いたものの、こう考えていた。


(やはり葉月ちゃんがいないと集中できない。そもそもやる気が起きずテレビ観ながら適当に勉強してしまった)


(つらすぎる、葉月ちゃんが帰ってくるまであと2日もあるのかよ……)


 矢部はベッドに横たわると、早々に眠りに就いた。


──


「矢部ってやつ正直どう思う?」

「なんか近寄りがたいっていうか……ぶっちゃけ近寄りたくない?」

「うわー、ど直球」

「そうだよな、あいつなんか漫画のキャラみたいに完璧すぎて逆に気持ち悪いわ」

「完璧な俺様に酔って絶対俺らを見下してるよな、うざ」


(俺が……完璧? 気持ち悪い?)

「な、なあみんな、俺は別に──」

「……」「……」「……」


「き、聞いてくれ! 俺は──!」

──


 目覚めると首と頭に鈍い痛みが走ることに気付く。

 どうやら寝違えたらしい。それ故か悪夢も見てしまった。


「おはよう、母さん」

「お、おはよう。その、あんた、」

「ん?」

「学校、つらかったら行かなくていいんだからね?」

「何言ってんだ、学校は楽しいよ。葉月ちゃんも勉強出来る俺のことが好きって言ってくれてるし」

「その、葉月って子なんだけど……あんた、大丈夫なの?」

「大丈夫って? あ、学校行ってくる!」

「え、えぇ……」


 矢部は教室に入る前に、ドアに耳を当てる。


「なあ、ベーコンが好きな葉月ちゃんって見たことある人いる?」

「いや、俺はねえな、まあベーコンが惚れてるくらいだからかわいいんだろうけど」

「確かに、見てみてえよな葉月ちゃん」


 それを聞き矢部は青ざめる。


(なにっ、俺の葉月ちゃんを見たいだと!? あの純真無垢な天使を公衆の面前に晒せと!?)


 矢部は勢いよくドアを開ける。


「俺と葉月ちゃんの聖域サンクチュアリを壊すな!」

「げっ、ベーコン!?」

「葉月ちゃんはなぁ、エンゼル係数が完凸してるから敏感なんだよ。それを理解してくれ」

「いや、理解出来ん……」


 ──


 授業中、矢部は真剣に考え事をしていた。


(どうしてみんな葉月ちゃんのことをそんな目で見るんだ。母さんなんか俺を哀れむ目で見やがる)

(そんなに葉月ちゃんが好きなことっておかしいのか……? いや、おかしいのはこの世界では……)


 その時、スマートフォンの着信音が響いた。


「葉月ちゃん!?」


 しかしそれは全く知らない電話番号からであった。


「……矢部、私の授業より葉月ちゃんのことの方が気になるらしいな。まあいい、スマホ没収」

「……はい」


 周囲にクスクス笑われ、バツの悪そうにスマホを手渡す。

 休み時間にクラスメイトが歩み寄る。


「災難だったな、ベーコン」

「……はは、まあな」

「お前もその葉月ちゃん卒業しろよ」

「卒業? ……葉月ちゃんを!?」

「あ、お前のスマホは返してもらったから」


 そう言い、矢部にスマホを手渡す。


「ああ、ありがとう」


 スマホのロックが矢部の顔を認識し、解除される。その瞬間──


「でもその前にちょっくら写真見させてもらうぜ!」


 クラスメイトはロックを解除されたスマホをひったくる。別のクラスメイトは後ろから矢部を抑えつける。


「おい、葉月ちゃんの写真どんなだ?」

「馬鹿、お前ら何しやがる! 放せ! 放せぇ!!」

「うわ、ベーコンのやつ超必死。よっぽどやべえもんが入ってるらしいな」

「やめろ! 頼むからやめてくれ!」

「あったぜ、葉月フォルダ。えーと、あれ?」

「どうした?」

「……イラストが1枚、それに手書きの資料みたいのがあるだけだ、えーと、今は修学旅行中?」

「……え?」


 葉月ちゃんとは、存在しない。

 矢部が作った架空の存在だ。

 彼は欠点がなさすぎるが故に気味悪がられ、完璧すぎるが故に仲間外れにされてきた。

 そこで彼は考えた。

 不完全な人間を演じてみせる。その為には、そう、性癖異常者辺りが手っ取り早い。男子高校生はそう言った話題を好む。

 葉月ちゃんとは謂わば完璧を覆すための偶像シンボルであった。


(しかし、それがたった今露見してしまった……苦労して作った不完全というペルソナが……)

(自分は不完全でなければならないのに、完璧であってはまた疎まれる、不完全でなければ、不完全でなければ、)


 動悸が収まらない。


 あぁ、駄目だ、これまで意図的に、文章で喩えるなら一行、二行で切り捨ててきた浅薄な思考不完全から、堰を切ったように思考完璧が溢れ返る。


 自分は──あまりに過剰に“整いすぎている”がために、もはや不完全を演じるという最低限の逃げ道すら許されていないのではないか。

 人という存在は、本来“欠落”にこそ親近を覚え、そこに温度を見出す生き物だ。

 では、欠落という余白すら与えられなかった自分は、いかなる共感の文脈に身を置けばいい?

 結局、共同体の外縁へと追いやられる以外に、存在の置き場は残されていないのではないか。

 その思考に触れた瞬間、自分の“人格を構成していたはずの不完全”が、砂上の楼閣のように脆く崩落していくのが分かった。


「ベ、ベーコン、お前……」


 自分は思わず耳を塞ぎたくなった。

 この先に発せられるであろう語句は、自分という構造体を根底から瓦解させる“破滅の呪句”に等しいのだから。

 聞きたくない──どうか、その言葉だけは放たないでくれ。

 しかし、そんな祈りにも似た希求は、現実という名の暴力によって、あまりにも容易く切断される。


「アニメオタクだったんだな!」

「……え?」


 思わず、どこか拍子抜けしたような声が零れ落ちた。

 クラスメイトの口から放たれた語は、予測の射程から外れた異物のような響きを帯びており、その単語「アニメオタク」が指し示す概念を咀嚼するまでに、自分の思考は一瞬、意味作用の空白地帯をさまよう羽目になった。


「そうかそうか、それで恥ずかしくて実在する女の子だと言って回ってたのか。回りくどいな」

「俺もアニメ好きだから普通に言ってくれたらよかったのに」


 クラスメイト達は、何かしら腑に落ちたらしい気配を共有しながら、互いに微笑を交わしていた。

 その表情は、差別や侮蔑や畏怖といった負の感情の陰影を帯びたものではなく、むしろ──穏当で、どこか片意地の取れた友好の気配すら孕んだ笑みであった。


(どういう、ことだ……? 不完全な自分の演技に失敗したはずが、偶発的に再解釈された……?)

「いや、でも俺は本当に完璧な人間じゃなくて……」


「はぁ? お前が完璧なわけあるか。ロリコンの振りするなんて発想する時点で完璧じゃねえだろ」

「あっ……」


 思い返してみれば、自ら構築した「不完全という虚構の自己像」ですら演じ切れずに瓦解させてしまったことになる。

 その事実自体が、皮肉にも──自分が“完璧”なる存在では断じてあり得ない、という逆説的な指標として静かに、しかし確固として立ち現れてくるのではないか──


(そうか、自分は完璧じゃないのか)


「矢部くんサイテー」「気持ち悪い」「最悪」


 女子たちの断片的な罵声が、むしろ甘美な残響として鼓膜に沈殿していく。

 そうだ、自分は底の抜けた存在だ。完璧であるという観念に酔いしれていた、その稚拙な自己欺瞞こそが。

 そして、長らく自分という構造体を拘束していた緊張の細線が、ふいに音もなく断裂したかのように──

 いや、辛かった教室が明るくなった。

 思考も徐々にこれまでのようにまどろんできた。

 でもそれでいい。

 自分は完璧じゃない。だから、安心して語ろう。


「ん? なんだベーコン、にやにやして」

「……なんでもない。それじゃあ語ろうか」

「え? 何について?」

「決まってるだろ? そりゃもちろん──」

「葉月ちゃんについて!」



 ──


 完璧とは、謂わば誰も踏み入れられない神の領域。

 そこに人間1人が立ち入れるわけがない。

 しかし、それが彼の望みであり、それは叶えるまでもなく叶っていた。

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