第2話 聖地と鋼鉄の境界線

ムラクモ都市圏から南へ約二〇〇キロ。


リニア貨物線の建設予定地は、M.I.の警備部隊によって厳重に管理されていた。そこは、ハイテクな重機が大地を均す工事現場と、原始的な森が接する、異世界の奇妙な境界線だった。


クロエは、純白のM.I.作業服に身を包み、小型のドローンに護衛されながら、現場の最前線に立っていた。足元の向こうは、エルダー王国の**「聖なる森」**の境界だ。


境界線上には、十数名の村人たちが座り込みをしていた。彼らは古風な麻布の衣装に身を包み、手に木製の祭具を持っている。


「交渉役のムラクモ・クロエです。エルダー王国の村長および、聖地の守護者の方にお話ししたい。」


一人の少女が前に進み出た。青い炎のような光を宿した瞳は、クロエのハイテクな装備と、その背後の重機群を真っ直ぐに見据えている。


「私たちは、あなた方の『話』を聞きに来たわけではない。森の主の怒りに触れる前に、あなた方の鋼鉄の獣を、この土地から引き上げよ。」


クロエは落ち着き払っていた。


「ご理解ください。私たちはあなた方の文化を尊重し、破格の補償金を用意しています。このリニアが完成すれば、あなた方の国に最新の遠隔医療とクリーンな電力供給が導入されます。あなた方の命と未来の豊かさのための計画です。」


少女は静かに笑った。


「あなたたちは、いつも『未来』という言葉で、私たちの『過去』を殺そうとする。この森は、私たちの祖先の魂が宿る場所。あなたの言う**|鋼鉄の箱(医療ポッド)**でも、取り替えることはできない。」


少女が手に持った祭具を叩きつけると、村人たちが一斉に低い詠唱を始めた。


遠くから飛来した数名の魔術師団が、境界線上空に巨大な魔法陣を展開し始める。彼らは、リニア建設の阻止のために、ついに**「防衛魔法障壁」**を起動させようとしていた。


クロエの耳に、本社タワーからの通信が入った。セキュリティレベルは最高級。父、ムラクモからの直接通信だ。


《クロエ。時間がない。彼らが障壁を完成させれば、迂回工事が必要になる。五百億イェンのコスト増は許容できない。》


「父さん、彼らは本気です。魔術師団が出てきました。」


《問題ない。我が社の技術の前では、彼らの魔法はただのエネルギーの塊に過ぎん。クロエ、お前の護衛ドローンに組み込んである**『マイクロ波指向性照射デバイス』**を起動しろ。》


ムラクモの思考が、一瞬で娘のARインターフェースにテキスト化され、表示される。


【技術解析:エルダー防衛魔法障壁】 構成原理:空気中の魔力粒子(エーテル)を媒体とした長波長のエネルギー結合。 弱点:結合エネルギーが低く、特定の高周波電磁波による共振破壊が可能。 最適解:非殺傷マイクロ波パルスによるピンポイント照射。必要な出力は、M.I.製の一般家庭用電子レンジの約1/1000。


《威嚇ではない。**『技術力の差』**を明確に示すのが目的だ。非合理な抵抗は排除する。》ムラクモの声は冷徹だった。


空中で魔術師団が最後の詠唱を終える。まばゆい光が放たれ、大地を覆う巨大な青白い魔法障壁が、建設予定地と聖なる森の間に立ち上がった。


少女はクロエに向き直り、誇らしげに言った。「あなたたちの技術は、私たちを侵せない。この障壁は、いかなる火薬も通さない!」


クロエは深呼吸し、ドローンに内蔵されたデバイスに、起動コマンドを音声で送信した。


「起動。対象、魔法障壁。出力、最小限。」


上空でホバリングしていた数機の小型ドローンが、障壁に向けて、ほとんど目に見えない波長のマイクロ波を、正確に一点に向けて照射した。


障壁を維持していた魔術師たちの顔が、驚愕に歪む。


青白い魔法障壁は、音もなく、熱もなく、まるで泡のように一瞬で「霧散」した。それは、火薬による爆発でも、魔法による相殺でもない。ただ、物理法則の正確な適用によって、その結合が断たれたのだ。魔術師たちにダメージはない。彼らにとって、数千年の歴史を持つ彼らの防衛魔法が、たった数秒で、何の物理的な兆候もなく無効化されるという事態は、「理解不能」な神の所業だった。


聖地の少女は、膝から崩れ落ちた。彼女の目には、青白い光が失われ、恐怖だけが残った。


クロエは、表情一つ変えず、少女に向かって静かに言った。


「これは、私たちM.I.が保有する非殺傷兵器ではありません。ただの**『技術的無効化』です。あなた方の魔法の原理が、私たちの物理法則**に解析され、優位性を失っただけです。」


彼女は静かに、そして冷静に、父の言葉を反復した。


「私たちは、あなた方の文化を否定しません。ただ、物理法則と技術論という、あなた方には反論できない土俵で、作業は続行されます。これは、あなた方の未来のための、避けられない進歩です。」


ムラクモ都市圏の価値観——絶対的な技術の正義が、この剣と魔法の世界の伝統を、音もなく無力化した瞬間だった。

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