科学が支配する異世界転生
氷室 常硯
第1話 絶対者の日常
ここは、剣と魔法、そして精霊信仰が支配する異世界**「ガイア大陸」**。
その世界の地理には存在しないはずの、異様な文明の孤島――『ムラクモ都市圏』。
外周を覆う不可視の電磁シールドの内側では、超高層ビルがそびえ立ち、自動運転の高速リニア鉄道が走り、人々はAR(拡張現実)グラスを通じて情報をやり取りしている。この都市だけは、他のどの国よりも遥か先の、近未来の東京の様相を呈していた。
ムラクモ・インダストリー本社タワー最上階、社長室。
壁一面の透過型ディスプレイには、都市の交通状況、リアルタイムの株価、そして今日の天気予報がシームレスに表示されていた。
「社長、リニア南線建設計画について、エルダー王国からの回答です。」
ムラクモは、重厚な本革張りのリクライニングチェアから身を起こした。年齢相応の皺が刻まれた顔には、この世界の誰もが持つ魔力的な輝きは一切ない。ムラクモ、本名村雲 健吾(58歳)。彼の正体は、30年前に突如この異世界に転移(転生)した元日本のエリートサラリーマンだ。
彼は、転生時に得た**「
その絶対的な力を持つムラクモの瞳には、長年のビジネスで培われた、計算し尽くされた冷徹な光だけが宿っている。
「却下、ですか?」
ムラクモは、手元のARタブレットを操作し、表示された報告書を鼻で笑った。報告書には、筆記体で丁寧に書かれた、エルダー国王からの**「聖なる森の破壊は、我が国の魂を毀損する行為であり、断固として拒否する」**というメッセージが映し出されている。
報告をしていたのは、末娘のクロエ・ムラクモ、18歳。黒髪に現代的なボブカット、目には情報表示用のコンタクトレンズ。彼女の価値観は、父が築き上げたこの都市の**「効率」と「合理性」**に完全に染まっていた。
「ええ。伝統と精霊信仰を理由に、建設中止を求めています。代償となる金銭的な補償も受け入れない、と。」
ムラクモは、ARディスプレイ上のリニア計画図を、親指一つで拡大させた。赤線で示されたリニアのルートは、ムラクモ都市から南部のレアメタル鉱山まで一直線に伸びている。その途中、わずか数キロだけ、エルダー王国の「聖なる森」をかすめていた。
「クロエ。その『聖なる森』を迂回した場合、建設コストはどれだけ増大する。」
「最新の試算では、五百億イェンの増額です。ルート変更による工期の遅れも一年半発生します。」
「五百億イェンか。それは、エルダー王国の年間GDPの約八倍に相当する。」ムラクモは顎に手を当て、軽く瞑目した。
「彼らにとって、八倍の価値がある森だと?」
クロエは即座に否定した。
「いえ、もちろん違います。あくまで彼らの『慣習』に基づく感情論です。彼らの魔術師は、森が精霊の通路であり、破壊すれば大いなる厄災が起きると主張していますが、当社の**『環境影響評価報告書(シミュレーション)』**によれば、生態系への影響は微々たるものです。それに、彼らが恐れる厄災も、科学的な根拠は皆無です。」
ムラクモは満足そうに頷いた。この都市で生まれ育った娘は、現代社会の**「効率」と「合理性」**を完全に理解している。
「だろうな。私は彼らに戦争を仕掛けているわけではない。最新の医療、通信インフラ、エネルギーを供与し、彼らの国を豊かにしようとしているのだ。その代償として、彼らの文明のレベルから見れば**『ただの森』**を、少々削らせてもらうだけだ。」
ムラクモは、チェアから立ち上がり、窓際に移動した。分厚い防弾ガラスの向こうには、自社製品の最新鋭ステルス戦闘機が空中を警備飛行している。その遥か眼下には、ムラクモ都市圏が光を放っていた。
「彼らには、五百億イェン分の資材と技術を**『人道支援』**として提供してやれ。もちろん、リニア沿線の住民限定だ。その上で、こう伝えろ。」
ムラクモは、低い声で淡々と指示した。
「『ムラクモ・インダストリーは、この世界の進歩と平和のために尽力しています。貴国の文化は尊重する。しかし、未来への効率的な進歩を阻害する非合理な抵抗は、これ以上の議論の余地なく排除する』と。」
クロエは、何の躊躇もなく、その言葉を現地言語とビジネスフォーマットに瞬時に翻訳し、送信指示を出した。彼女にとって、父の決断は絶対的な正義であり、エルダー王国の抵抗は、ただの**「非効率なバグ」**でしかなかった。
ムラクモは、ガラス越しに、都市圏の外縁、地平線の向こうに広がる、剣と魔法の時代から変わらない、中世的な石造りの街並みを静かに見据めた。
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