2話 勇者の成れの果て
ピリピリと肌を刺すような、
ものすごい殺気が、恐怖が、この地獄を支配する。
そして、一つの黒赤いオーラを直感で捉えた。
「遠くに何かヤバいやつが居るよね!!?
何あれ、バケモン?!落ち着け私!」
【大丈夫だよ、君の魂と器の相性抜群だからね】
確かに頭が冴え渡り、物事の捉え方や価値観がまるで一変した。
アデルの考えも、自分が何を成すべきかも、
全てではないが理解できる。
その時だったーー。
緩やかだった空気の流れが、荒々しく一変する。
「………ぐぁ?!」
私の身が、とふっ飛んだ。
いや違う。
赤黒いオーラを放つ張本人が、遠距離を一瞬で移動して現れた。
そして、蹴り一つで吹っ飛ばしたのだ。
素人の私が、反応出来る速度ではなく。
無力に、地を転がった。
「臭い臭い臭い。気色悪い呪まじない臭だ。お前がエバの器だな?背中には聖印か……もう手を出されたか」
「…くっ。コイツが、かつて勇者だった……男」
【そう。悪魔と取引をして、堕ちてしまった勇者の成れの果て。地獄の王として君臨した、エルブラッド・アドラニクスさ】
「なぁ、エバの器。ほら俺に、ひれ伏せ」
ゴゴゴゴゴ……
「……!か、体が勝手に!!」
地面が震えて、立っていられず。
「……ぐぁッ!!」
まるで高圧プレス機の下敷きになったように、その場にめり込んだ。
骨が軋んで、血管が膨張。
圧し負けて、皮膚が弾けて血が飛んだ。
「なーんてな?これは挨拶代わり」
理解が追いつかない。
一瞬で、圧が消えた。
血の一つも流れてはいない。
「あ、れ。いきてる……」
痛みがあったはずなのに、血も傷もない。
男の瞳と目がカチ合う。
鳥肌と、悪感が止まらない。
「どう、摩訶不思議だろ?」
「私に、何をした!!」
「ん〜?教えない!」
【……幻覚の魔術だよ。アリザ気をつけて】
私が動けないことを良いことに。
頭を鷲掴みに持ち上げられ、品定めるように男の赫い瞳が細められる。
「面白い魂をしてる。いじめ甲斐がありそうで何より……ってじょーだんだよ」
「…………っ」
「怖くて堪らないね、ほら足震えてるよ?」
「震えてなんか…ないっ」
余裕の笑みで、ただジッと私を見下ろす。
力を振るってくるでもなく、息の根を止める訳でもなく。
心底、楽しんでいるみたいに。
「なぜ多くの命を奪う必要があった」
「それ、お前に関係ある?ないよな」
「あるよ。私はアンタを倒す存在だからね」
心では、逃げたいと思う。
しかし、自分の弱さに反して、震える足で、立ち上がる。
命を弄ぶ男が許せない気持ち。
そしてアデルの無念を晴らしたい、という想いだけが色濃く魂を揺らす。
「……………」
目を瞑る。
幻覚を遮断。
「私は神の藍刀として、アデルを助ける!」
片足を引いた。
鞘から抜いた刀身を。
頭で考えるよりも早く。
振り翳す。
刹那。
エルブラッドの頬を切先が掠めた。
二撃、三撃四撃と斬り込む。
全て避けられた。
私より俊敏な動き。
惑わす、数体の幻覚。
嗤い声。
無我夢中に、振り回す刀。
瞬間、距離を詰められる。
まるで、影は沼の底のようで、中から剣を取り出す。
そして、私の刀を簡単に弾き飛ばした。
「戯れは、終わりか?期待外れだ」
乾いた声で嘲笑う。
頬を伝う血を指で掬って舐め取る姿に、なぜか目が離せない。
口から覗いた舌は、爬虫類のように長く、先は蛇のような二又に裂けていた。
端の上下には、牙が鋭さを主張している。
「あんま見られると、さぁ。憐れな兎を、どーすれば引き摺り堕とせるか。不愉快なお前の主をどこまで煽れるか……」
鼻先が触れ合いそうなギリギリの際どいラインで、ピタリと止まった。
「試しに、やってみよーか」
「な、何を」
「ん〜?そりゃあもちろん、契約のう・わ・が・き」
「それは……っ」
「ハハ、安っすい忠誠なんて、捨ててしまえよ?
お前のためにはならないんだから」
聖印の上を、爪で食い込ませるようになぞられる。
彼の爪がゆっくりと、肉を抉っていく。
「あああぁぁぁぁ!!!?」
「uh〜、良い反応。簡単に上書き出来そうだ」
エルブラッドは、まるで獲物を味わう獣のように口角を吊り上げた。
赫い瞳が、ゆっくりと伏せられる。
「ふん、上書きすれば自滅するようになってるのか。ハ、とんでもないクソ紳士だ」
【……………】
流れてくるアデルの思考。
沈黙の奥で、どこか悦びすら混じった興味の気配がした。
何より、まるで新しい玩具を前にした子供のような無垢な感情にぞっとした。
「……アデル?」
【……ふふ。僕はね、期待しているんだよ。でも、今はまだ駄目だ。エルブラッドの前では、それは許さない】
その声には、怒りも救う意志も感じ取れない。
【ねぇアリザ、大丈夫だよ。僕は君を信じている。だから、その身、魂。全て僕のものだ】
温度のない優しさが、逆に胸を締めつけた。
その声は慰めに似ているのに、慈悲の欠片すら含まれていない。
まるで、傷つく私のことはどうでもよくて、器として経過観察でもされている気分だ。
それでも、お構いなしに地獄の王は嘲笑う。
「まるで恋する乙女じゃないか、健気だねぇ」
彼の瞳に、私の全てを見透かされていた。
自分でも知らなかった“弱さ”を引き摺り出されて、心の奥を覗かれたような気がして
ーー胸の鼓動が、止まってくれなかった。
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