3話 神代再現


地獄の瘴気に、世界そのものが呑まれている地上。

痛みと歓楽に悶え溺れる初めての感覚。

そんな罰当たりな人類最後の生き残り、それが私だ。

その真上には、滑空している五十体近くの小悪魔たちが嘲笑っていた。


「オレもう我慢できないぜぇ…ハァー!!」

「エルブラッド様の命令だから仕方ないよねー」

「汚して!引き裂いて!血肉を貪りてぇ!!」


『ねえ、そろそろ、限界だよ……?』

と下品に嗤う彼らの視線が、私に注がれる。


小悪魔たちが、一斉に私を覆い尽くす。

逃げる隙など、何処にもありはしない。


「何、これ!!?出られない!」


逃れられぬように、わざわざ瘴気の檻に閉じ込められる。

ギラついた瞳が、欲まみれの笑みを浮かべて獲物わたしへと、迫り来た。



「ここで、終わる……?」



ーー私は、結局何も変わらない。



転生前アデルの声が聞こえたあの日の出来事が、走馬灯の様に思い起こす。


頭が真っ白になって、涙が止まらずに、歩道橋の上でとうとう動けなくなっていた。



父が危篤状態である連絡があった。

私の、唯一の心の支柱だった存在。

病院に駆けつけた時には、既に亡くなっていた。


「まだ、恩返しもしてないよ……父さん。父さんっぁぁぁああ」


世界に色が一瞬で消えた。



「……天涯孤独ってこんな、こんなに寂しいんだね父さんお母さん」


私の心も、空模様もどんよりな灰色で。

息を吸えば、肺が心臓が痛んで上手く呼吸が出来ない。

二人で、クリスマスケーキを食べるはずだったのだ。


(独りぼっちは、寂しいよ……)



気づけば歩道橋の上に立っていた。


しんしんと降り頻る雪の中。

茫然と、身を乗り出して、天国にいる最愛の家族の元へ。

あと、もう少しーー。


そんな中で、陽だまりのように暖かな声が心を温めるように響いたのだ。



【君!待って!!早まらないで!!】

「え?」

【とりあえず、家に戻らないかい?このままでは、凍えてしまうよ】

「な、にこれ。勝手に、勝手に話しかけないで!!」

【こう見えても心配なんだよ。ん、なら強制的に……ほらっ】

「なんで、私の部屋に居るの…。さっきまで、歩道橋の上だったのに」


指を鳴らすような音が聞こえた瞬間。

私の暮らす部屋に、一瞬で移動していた。


【僕、神様だからさ。

…………お父上のことは、残念だったね】


「…………っ!」


【あぁ、泣かないで。勝手に覗いてしまいごめんね。一週間くらい様子を見てたんだ】


「……そうなんだ。明日から、どんな風に生きればいいかわからなくなっちゃって」


【……そうだよね。僕も今まさに、そういった状況だからよくわかるよ】


「神様……も、辛いことあるんだね。

ううう、でも、せめて親孝行したかったなぁ……」


【そうだよね、辛いね。泣きたい時は、沢山泣いて、また明日をゆっくり歩めばいいさ】


「っう、うん………。

ね、ねえ。なんで、私に話しかけたの?」



【……あぁ。実は僕の世界が、終わってしまったんだ。

立て直すには、君の魂がどうしても必要でね】


「…………」


【どうか、僕を助けて欲しい。頼むよ。僕にはどうする事も出来ないんだ】


「それって、私が死ぬってことなの?」


【厳密に言えば、そうなる。

でも、君の魂は別の世界の別の肉体へ移るんだよ】


「……………」


正直、こんな意味もわからないような恐ろしいこと、ハイリスクノーリターンであることは明白だ。

でも、最愛の人を亡くした今。

誰かのために生きることが贖罪になるならば、死んだ二人に報いることが出来るならーー。



「………それ、引き受けるよ」

【そうか、無理だよね………って、え?】


「私のことが、必要なんでしょ!

父さんにも、お母さんにも親孝行できなかった。でも、今度こそ誰かの役に立てるかもしれないなら。

……まだ、生きる意味あるもんね!」



自暴自棄かもしれない。

最愛の人を亡くしたばかりで、躍起になってる可能性も否定はできない。


ーーでも、それでもいい。

必要とされているならば、今度こそ役に立ちたい。

例え神を名乗る怪しい者の言うことに、手を貸すことになっても。




そう意気込んでいたと言うのに。

結局は家族のことも、神様のことも、自分のことすら守れない。助けられない。




『アリザちゃんいただきまーす♪』


小悪魔たちの牙、舌、手が身体に触れる。

残り1センチもない隙間。

触れる寸前。



ビュンと、すぐ横にいた悪魔を何かが射抜いた。

ーー瞬く間に、黄金の矢が小悪魔たちを貫いていく。



光の羽が落ちれば、闇の瘴気を打ち消して絶望から希望へ転じゆく。

覆っていた魔の瘴気は崩れ落ち、聖なる光の粒子が暖かく私を包んだ。


「我名は、熾天使が一人。サマエル。

遅れて参上したこと、お詫び申す。エバの器」



「…………!!」



誰も居ない反対方向に語りかけているサマエル。

薄紫色の瞳の奥には、聖印。

その六枚の羽を広げた天使が、私の方に向き直る。


「わ、私わたくしとした事が……失礼した。生憎、双眸そうぼう視認できぬ故。

たまに気配すら、辿れなくなるのだ。許せエバの器」


「いやいや!むしろありがとう。

助けてもらったので、そんな全然気にしてない……」


美しいと、思った。

一瞬、声を聞くまではその線の細さと美しさに、天女が舞い降りたのだと勘違いした程に。

穢けがれを、一切感じさせないその眼差しに。

息を飲んだーー。


「聖印が、瘴気で穢れを帯びているな。

それを、取り除いてやろう。

私たちには大いなる使命があるのだからな、アリザ」


サマエルが六枚の光の翼で、私を完全に包み込んだ。

暖かくて、穏やかで昼下がりの木漏れ日の優しさ。

私を抱えたまま、まるで羽が繭のようになる。

サマエルの胸板に頬を押し当て、心臓の音を聴いた。


トクトクと、命を刻むこの天使の優しさと神聖さが、背中の痛みを溶かしていく。


「た、助けてくれてありがとう」


「何、アデル様のご意志だからな。それは即ち、私の意志であると同時に、罪滅ぼしになるのだ」


「……罪滅ぼし?」


彼は困ったような顔で、優しく微笑む。

それ以上は、触れないで欲しそうに哀しげに。



でもとても、温かい。

アデルが私に語りかけてくれた時のような、優しさ。

そして、安心感に視界が揺れ、涙で霞んだ。


地獄の空気が、ひっくり返ったように澄すみ渡る感覚。

地獄の色が少しだけ救いに変わり、静寂が落ちた。

サマエルが私を抱えたまま、光柱の中から地上へと降り立つ。


そしてエルブラッドを見据えて、サマエルが静かに告げる。


「我々は、まだ終わっていない。何故かわかるか?愚か者よ」


「ん〜そうは見えないけどね。

それとも、負け戦で頭がイカれたのか?」


「ならば、今から答えを見せてやろう。

………アデル様、いつでもいけます」


【僕の方も準備できたよ。

それじゃ始めようか、神懸かりを】



サマエルの身体に刻まれた蛇模様が光輝き、アデルの魂と同調が始まる。


赤く染まった空と灰を切り裂いて、地上に月光と星々の輝きを完全に取り返す。

エルブラッド以外の小悪魔たちは、皆一様に神裁しんさいによって燃え尽きていく。


まさに神代の再現が、果たされようとしていた。

直感で、理解できる。

そうこれはーー。


「神の降臨……」


その神々しさの煌めきに、眩しくて目を閉じた。



「うん、やっぱりサマエルの身体は馴染むね。一か八かの賭けではあったけど、神懸かり成功だよ」


瞳を見開いた彼は、サマエルの面影を残してはおらず。

瞳の中の聖印は消え、その代わり黄金の輝きを宿していた。



「アデル………?」


「ふふ、そうだよ。会えて嬉しいね?アリザ」


サマエルの声にアデルの声が重なる。

名前を呼ばれれば、背中の聖印がそっと撫でられたように感じた。

天性、そして絶対的な存在感と圧倒するオーラ。

思わず鳥肌が止まらない。

これが、人類の史上最高位であるカリスマであるのだと思い知る。



到達できない領域に踏み込んでしまったような、罪悪感。

これが、叡智と引き換えに手に入れた罪の意識か。

はたまた、あまりの神性さに恐れ慄き、尊ぶ気持ちからくる敬愛か。


ーー私には、まだ理解できなかった。


でも、それでも今はただ出会えた喜びに感謝する。


「アデル、会えて嬉しい。実は、もうどこにも居ないんじゃないかとばかり思ってたから!」


「……そうだね。でも、君の心は惑わされていたよね。僕に捧げた魂が少し濁っているよ。

だから…後で、ちゃんと浄化してあげるからね」


厳格に、しかし無邪気で無垢な微笑みに、胸が痛んだ。


(何故、そんなに愉しそうなの)


「ふふ、でもまずは、悪戯っ子の君にお仕置き…

しないとだよね?エルブラッドッ!!」


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