第4話 白豚君、安西家にようこそ

「……それで、君はなんのアルバイトをするつもりだったのかな?」


 ごもっともです。

 安西食堂店主、安西安蔵あんざいあんぞうさん。町内会ではアンアンと親しまれている彼は、元プロレスラー。極悪アンアンとは彼のことである。


 浴室から逃げ隠れる余裕も無く、現行犯逮捕となった樋ノ下白都。絶体絶命の危機は、未だ去っていない。ちなみに服は安西パパのをお借りしました。ピチピチです。服がのびたらゴメンなさい。


「……って、樋ノ下ひのしたちゃんとこの坊じゃん」

「あ、どうも。ご無沙汰してます」


 ぺこり、と頭を下げる。知らない仲ではない。秋祭りでお神輿を一緒に担いだ仲でもある。たまに中華が食べたい時は、安西食堂にお世話になっているのだ。ただ、オオカミ少女と言われた安西さんが、安西食堂の看板娘とは露にも思わず。多分、食べに来た時も、出会わなかったと思う。


「あなた、そんな怖い顔してもだめよ。もともと可愛いんだから」

「か、可愛いって……。美晴さん、罪人おきゃくさんの前で、そんなことを言わなくても――」


 突然、安西夫婦がイチャつきだした。それと、安西パパンの言葉に棘を感じたけれど、そこは飲み込もう。


「ママもお父さんも、そういうの止めて! 樋ノ下が困っているじゃん!」


 安西さんの助け舟が本当にありがたい。


「あら、ごめんなさいね。だって、舞夏ちゃんが彼氏君を連れてくるから嬉しくて」


「か、彼氏じゃないし!」

「彼氏だと?!」


「ひー?!」


 誤解が酷すぎる。ここは1階だけど、5階レベルで誤解がひどい。


「私がお兄ちゃんのお嫁さんになてあげても良いよ?」

「なんで、明比あけびが参戦してくるの?!」


「じゃぁ、めいが~」

「あら、それなら私も~」

「美晴さん?!」


 元プロレスラー、極悪アンアンの悲壮すぎる顔を拝む日が来るなんて、思いもしなかった。


「ちょっと、樋ノ下が困っているでしょ! いい加減に――」

「「「「じゃぁ、お姉ちゃん(舞夏ちゃん)どうぞ!」」」

「はぁっ?!」


 このやりとり、トリオ芸人・ガチョウ倶楽部のようだった。

 やぁっ!


 一方の安西さんは、僕を虫けらのような眼差しで見やり――ただ、いささか顔が真っ赤で。そして、慌てて僕から視線を逸らす。その反応、可愛すぎませんか?


 男性陣――小学校5年生の辰君は興味深そうに僕らを見やり。小学校3年生の孔君は、真逆の無関心さ。タブレッドの液晶にばかり目を向けて顔を上げてくれない。


「それにしても助かるわ。私も仕事があるし。食堂の営業時間中は、安ちゃんは無理だし。仕事のセーブをしようにも、年内は契約があるから」


 悩ましそうに嘆息を漏らす美晴さん。


「改めまして、樋ノ下君。安西美晴です。よろしくね?」

「は、はひ……」


 よろしくも何にも、VTuber中の人としては尊敬してやまないインフルエンサーが目の前にいるのだ。立っていたら、きっと膝が震えて止まらなかったと思う。間違っても肉が揺れるだけなんて言っちゃだめなんだからね。


 SNSで投稿する度にバズる【ミハルのズボラ飯】の安西美晴さん。旧姓、安東さん。名字の一部が東から西になりました、というSNSでのポストは記憶に新しい。


 あれ? でもバツイチって言ってなかったっけ――。


「あ……あの、後で良いので、サインもらって良いですか?」

「あらあら、もちろん。喜んで」

「俺は離婚届けにサインはしねぇぞ!」


 落ち着いて、安西さん。ドコの世界に、人妻に離婚届けを書かせる高校生がいるのだ。冷静に考えれば――。


「じゃぁ、明比はお兄ちゃんとの婚姻届書くよっ!」

「こら、明比っ」


 安西さんがぽかっと頭を叩く。窘める程度のスキンシップ。こういう一面を見ると、本当に安西さんは優しさに溢れていると思う。ちゃんとお姉さんをしているのが、本当に尊い。


「仕方ないなぁ。そんなに白都お兄ちゃんと結婚したいのなら、正妻はお姉ちゃんに譲るよ、どうぞどうぞ」

「「はぁぁっ?!」」


 僕と安西さんの声が重なる。どうやら芸人さんネタはまだ継続中らしい。


「なんだ、坊主。うちの娘じゃ不服だっていうのか?」


 この元プロレスラー、面倒くさい。本当に面倒くさい。


「はいはい、パパ。そんな了見の狭いことを言っていたら、みんなに嫌われちゃうわよ。折角だもの。自己紹介しましょう。今度はパパの番ね」


 流石、インフルエンサー。場の取りなしが上手すぎる。


「……安西安蔵だ。お前は俺のことをアンアンって呼ぶな。お義父さんとか絶対に呼ぶんじゃねぇぞ。以上――いえ、あの……大将って呼んでね。むしろ呼んで。絶対に呼べ、お願いだから、呼んで! 俺を助けると思って! 後生だから! 頼むっ!」


 女性陣に睨まれての方向転換。いっそ潔い。安西家の権力構造を垣間見た瞬間だった。


「俺、音哉です。白都さん、よろしくね」


 礼儀正しく、彼は微笑む。むしろ大人びていて、本心を隠しているように見える。


「……ま、舞夏」


 安西さんが、耳朶まで真っ赤にして言う。知ってます、とは言えない。これは名前で呼べということなのだろうか。いや、でもソレは自意識過剰にもほどがある。むしろ雇用主の家族ということで、適度な距離感をもつべきだ。言わば、美女と野獣。牧場主と家畜だ。身の程を弁えよう。


「孔です。もう少ししたら、配信が始まるから静かにしてもらって良いですか?」

「は、い?」


 僕が目をパチクリさせた瞬間だった。






■■■






 ギターのリフが響いて。聞き慣れた音楽ジングルが、耳に飛び込んできた。そりゃ、聞き覚えがあるはずだ。だって、新汰の作曲だもん。




『美味しいものは正義、OKはおいしいけぇ、たちまちビールが合い言葉。安芸市の食い道楽系VTuber、安芸白兎の食い道楽チャンネル、はじまるよ~』



 高音メゾソプラノの愛らしい声が響く。


 以下、安芸白兎あきはくとに対するネットの評価。

 ――食い道楽なのに、マジ天使! 

 ――VTuberだけど、ちゃんと食べてるんだよなぁ。あの皿の量エグイし。

 ――実写とアバターのバランスが絶妙。

 ――絶対、中の子も可愛いって! 白兎ちゃんに抱かれたい!

 ――歌ってみたは女神が降臨したかと思ったよ! 絶対、ライブ希望!

 などなど。お褒めの言葉は、有り難くいただくけれど。ただ、羞恥心はまた別です。


 そういえば、と思い出す。

 孔という名の、コアユーザーさんがいたよね。毎回、配信の度にコメントをくれる子で……って。あの子が孔君?!

 君、ネットで本名使いはダメだって。それに結構な金額、投げ銭してない?!


「え、あの、孔君……えぇ?」

「ちょっと、静かにしてくれませんか。今は神聖な時間なので」


 その目はまるで狂信者。でも、負けるな。負けるんじゃない、白都。ネットリテラシーを伝えるのは、大人としての責務だ。(16歳は未成年というツッコミは全力で却下します)



「いや、でも、その中の人は――」

「……」

「な、なんでもないです……」


 撃沈。

 言えない。

 言えるわけない。

 ご当地密着食い道楽系VTuber、安芸白兎の中の人が、僕ですなんて。




『今日のターゲットはここ! 店長さんが元オペラ歌手。歌いながら焼いてくれる、鉄板焼き【アヤモリ】です! それじゃぁ、いってみよう!』



「いってみよう!」


 孔君がテンション高く、手を振り上げる。安西家、孔君に付き合って手を振り上げるの、優しい。僕も弱々しく手を上げる。




(……今回の配信、1時間半あるんだよねぇ……)




 自分のコンプレックスな声をひたすら聞くのは、拷問以外のなにものでもない。

 ただただ耐えた僕を、誰か褒めて。






 ――こうして夏休み6日目は、無情にも過ぎ去っていくのだった。





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OK、おいしけぇは広島県のPR

「OK(おいしけぇ)広島」より引用しています。

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