第3話 ここは白豚の屠殺場ですか?


 


 新汰あらたの家を出て。

 蝉の鳴き声が、あの日の豪雨スコールを彷彿させるからか。鮮烈に、記憶が蘇る。



 ――そして、夏休み6日目。あの日の夜に僕の記憶は戻る。








「そのままじゃ風邪ひくよ。折角だし、シャワーを浴びていきなって」


 あの時の安西さんの言葉は、外の豪雨をかき消すぐらい、僕の耳に凜と響いた。






■■■




 シャワーの流水と、雨音が入り交じって変な感じで。ただ、冷えた体に熱が戻り、安堵の息が漏れてしまう。


「……えっと、シャンプーは……」


 そう呟き、僕はまたフリーズする。


 ――シャンプーもボディーソープも、自由に使ってもらって良いからな。


 ニッと安西さんが男前に笑ってくれたことを思い出す。


 安西さんは一匹狼。クールなイメージがある。それでも彼女の幼馴染、高天原たかまがはら君が間を取り持つから、クラスはかろうじて和気あいあいとした空気を保っていた。


 とはいえ、一番浮いているのが僕と新汰だ。そんな白豚が気にかけたところで、何のありがたみもないと思うけれど。


 シャンプーの甘く淡い香りに包まれる。

 そういえば、と思う。


 安西さんはシトラス系の匂いだった気がするけれど、夏になって変えたのだろうか――とまで思って、僕は首を横に振る。何を考えているんだろう。これじゃ、本当に変態じゃないか。新汰のことを笑えない。


 心頭滅却すれば火もまた涼し、と言う。

 落ち着け、落ち着くんだ。シャワーを浴びたら、帰ろう。バイトの件は、後日改めて聞くとして――。




「お兄ちゃん、明比も入るねー!」

「ねー!」


 浴室の戸が開いたかと思えば、明比ちゃん6歳。鳴ちゃん3歳が、恥じらいもなく飛び込んできた。







「へ……?」


 フリーズした僕は悪くない。


「こら、明比! 鳴! お風呂は樋ノ下が上がってからって――」

「ヤダ、お兄ちゃんと入る!」

「やー!」


 もう一度言う。フリーズした僕は悪くない。

 スタンドアップした息子も悪くない。

 悪くな――。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁっっ!」

「見られたの僕だよね?!」


 いつだって男は絶叫される生き物なのである。産まれた時から比べたら、僕だって多少毛も生えたし、ちょっと一皮剥けた。白豚と言われた僕だって、皮をかぶったままじゃない――とモノローグを呟いてみたが、やっぱり羞恥心は消えてくれない。




 あの?

 僕も悲鳴をあげて良いですか?






■■■






 シャワーの音に混じって、明比ちゃんと鳴ちゃんが、きゃっきゃっ笑う声が浴室に響く。

 

 幼女と高校生のお風呂。これだけで、犯罪臭がするというのに、僕の試練はこれだけじゃ終わらない。


「な、なんだよ? そんなに見るなって。恥ずかしいだろ。だ、だって……樋ノ下にこの子達のお風呂を入れてもらうの、それは流石に違うと思うしだったらウチも入るしかないじゃん。それに水着着たから、大丈夫!」


 安西さんが謎理論を展開していた。


 頬どころか、もう茹で蛸より真っ赤なんじゃないかってレベルの安西さん。黒のワンピースタイプの水着が、ボーイッシュな彼女をさらに際立たせる。


 それにしても、って思う。


 これが、尻軽ビッチなんて言われていた子の反応なんだろうか? 思考は勝手に巡り――その煩悩を打ち消そうと、僕はシャワーを頭から被った。

 なぜか、鳴ちゃんまで僕の真似をする。


「樋ノ下?」

「煩悩を退散させただけだから、気にしないで」


 これは本当のこと。人の陰口が嫌いなはずなのに、いつのまにかその【陰口】を指標に、人を測ろうとしていた。そんな自分が嫌いになりそうだ。僕は、見たまんまの安西さんで判断する。それ以上もそれ以下もない。たった今、そう決めたんだ。


「ねぇねぇ、お兄ちゃん?」

「なに?」


「お姉ちゃんが入ってから、お兄ちゃんの大きくなったのどうして?」

「ぶふっ?!」


 明日ちゃんの快心の口撃アタック。僕はもう一度、シャワーを頭から浴びる。煩悩退散、煩悩退散!


「確かに、樋ノ下の背中って大きいよね」


 つーと指で背中をなぞるの止めて!? 思春期の男子には痛恨の一撃だから! それにしても安西さんは、明比ちゃんが言っていた意味を理解していなくて良かった。社会的に助かった! 静まれ、半身! 鎮まり給え、払い給え、清め給え!


「お兄ちゃん、お姉ちゃんに照れてる? お姉ちゃん、可愛いもんね」

「照れてるー?」


 追い打ち?!


「そうなの?」


 どうして、ココで安西さんは僕を覗きこむの? 水着だからこさ……あのですね。安西さんの女性らしさがより際立つわけで。お願いですから、僕を犯罪者にするの止めてもらえませんか?


「樋ノ下、どうしたのさ?」


 追い打ちをかけて、安西さんまで聞いてくる。無自覚って怖い!


「どうなのー?」

「なのー?」


 明比ちゃん、鳴ちゃんの嬲る時はとことんるスタンス。ここは豚の屠殺場でしょうか?


「……そ、その。可愛いです。めちゃくちゃ可愛い、です……」


 キモい。キモすぎるでしょ! お湯はぬるめ! クサさ熱め! 誰か、僕という存在を排水口に流して!


「……あ、う……お、お世辞でも嬉しい……」


 安西さんが、さらに顔を真っ赤にして俯く。|のぼせそうです。その反応、可愛すぎませんか?


「ねー。お姉ちゃんは可愛いの!」


 明ちゃんの太鼓判も可愛い。


てんちゃんの目がおかしいのー!」


 典ちゃん? 僕は目をパチクリさせる。思い浮かぶのは、クラスメートで安西さんの幼馴染みの、高天原典司たかまがはらてんし君のことだろうか?




 ぴちょん。

 と、雫が落ちた――その刹那。







■■■






「ただいま。舞夏が明比達のお風呂を入れてくれていたのか?」


 脱衣所から野太い男性の声が響く。


「パパー!」

「パパ、お帰り!」



 明ちゃんと明比ちゃんの歓喜の声が浴室のなかに響く。その声を聞きながら、冷静にこの状況を分析してみる。




 幼女二人、素っ裸。

 長女、水着着用。

 不審者、白豚は真っ裸。




 有罪ギルティ――




 これ、さ。

 僕、社会的に抹消される案件じゃない?

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