2. 加殿と門井

 帰りの車内で、詩鶴が口を開いた。

「祓おうと思えばその場で祓えたと思いますが、なぜわざわざ引き伸ばされたのですか?」

 助手席からの問いかけに、善興はハンドルを握ったまま軽く肩をすくめた。

「簡単にできると思われると、軽んじられるだろ? それに、衣装や儀式の道具を揃えて祓いをした方が説得力も増すし、納得さえしてもらえれば、それでオプション料金が取れるからね」

 詩鶴の表情をうかがいながら、善興は続けた。

「それに、そこまで念押ししないところを見ると、急いで祓うほどの悪霊でもないんだろ?」

 詩鶴は小さくため息をついた。

「急ぐ急がないという話ではなく、霊現象を不安に思う人がいる以上、早めに対応した方がよろしいかと」

 窓の外に目を向けながら、詩鶴は淡々と言葉を重ねる。

「まったく、その俗なお考えの結果が、いま乗っているこの高級車ですか? 生臭坊主なまぐさぼうずもいいところではありませんか」

「坊主じゃなくて、神主だからね」

 善興は苦笑した。

「ほんと、詩鶴ちゃんは真面目だね」

 茶化すような物言いに、詩鶴はすねたように顔を背けた。都心の街並みが、車窓の向こうを流れていく。

 しばらくして、詩鶴が再び口を開いた。

「しかしまあ、生命力を上げるための修行とは、うまいこと考えられたものです」

 その声には、呆れと感心が半々に混じっていた。

「ああいう理由づけをお考えになったら、善興様は天下一ですね。仮に詐欺師だったとしても、大儲けできるでしょう」

「まあ捕まらないだけで、やってること自体はある意味、そういうことだからね」

 善興は笑いながらも、ため息交じりに肩を落とした。視線が一瞬、窓の外に流れる。

「……君とは違うよ」

 その声には、どこか自嘲じちょうめいた響きがあった。

 詩鶴は善興の横顔を見つめ、小さく頭を下げた。

「申し訳ありません、少し言葉が過ぎました。お許しを」

          

 善興が現当主を務める加殿家かどのけは、歴史にも名高い陰陽師・安倍晴明あべのせいめいの庶流に連なる家系である。

 鎌倉期から関東圏において代々続く由緒ある陰陽師一族であり、明治以降は赤坂にある加殿神社かどのじんじゃを拠点として、現在も祓いや祈祷などの業務を受けつけていた。

 括りとしては民間の祈祷師・祓い師の類だが、元々の家格があるため、当然ながら料金は高めに設定されている。そのため、クライアントになるのは政治家や官僚などの国家レベルの大物、もしくは大企業の幹部クラスに限られた。

 とはいえ、実際の依頼における怪異のほとんどは、化学・医学・心理学で説明可能なものばかりである。大竹光弘がまさに典型的な一例といえる。

 肩書きこそ陰陽師だが、霊能力は一切持たない善興は、幼少期からそれらの学問を叩き込まれ、この手の怪異未満の事象に対応してきた。

 しかし、商売上、医者やカウンセラーにかかってくれと言うわけにはいかない。あくまでも加殿家の陰陽師としての矜持きょうじを守るため——善興は、治療のための習慣を儀式に置き換えたり、派手な祓いパフォーマンスを考案することで、依頼主を安心させ、納得させるためのプロデュースをしてきた。そして、政財界における社交を維持すること。それが当主としての善興の勤めだった。

 ただ、本物の怪異であるパターンも少なからず存在する。

 そのため、善興の傍には巫女として詩鶴が控えていた。霊能力を持ち、本物の怪異に対応できる陰陽師は、この詩鶴が属する加殿家の分家・門井家かどいけである。


 なぜこのような役割分担になっているのか。

 かつて加殿家は、鎌倉政権下においてその絶大な霊力から幕府に信頼され、祈祷や祓いの行事を取り仕切るなど、権勢を振るっていた。それを憎らしく思った京方の陰陽師一派が、加殿家に呪いをかけた。

 それは「嫡子に霊力が宿らない」という呪いだった。

 霊力のない嫡子を廃嫡はいちゃくし、霊力を持って生まれた別の子供を当主にすげ替えたとしても、次の代の嫡子にはやはり霊力が宿らなかった。このままでは陰陽師としての加殿家の名前が絶えてしまう。それを危惧した先祖は、霊力を持つ嫡子以外の子供をあえて嫡子とせず、分家として存続させることで、加殿家の名跡と霊力の両方を保持することを決めた。

 ——というのが、一族代々の言い伝えである。

 そのため、陰陽師一族の表向きの顔として加殿家が存在し、実際の祓いや祈祷については、分家として創設された門井家が秘密裏に補佐するという役割分担が、現在まで受け継がれていた。

          

「で、霊視の結果だけど……」

 善興は前方の信号を確認しながら尋ねた。

「なにかわかった?」

「ええ、奥様が見た着物姿の老人男性の霊というので、間違いなさそうです」

 詩鶴は膝の上で手を組みながら答えた。

「私が視たときは、寝室の奥に隠れるようにしていました。確かにかび臭い、嫌なにおいでしたよ。ですが、直接こちらになにかしようとする様子はありませんでしたね」

「あの場にいたのか? 全然わからなかったな」

「霊力の弱い霊ですから、普通の方には見えないでしょうね」

 詩鶴は少し声を落とした。

「ただ、奥様に強く執着しているようです。だから奥様にも、曖昧ながら見えていたのでしょう」

 善興は黙って頷いた。霊は、執着する対象には特に視えやすくなる。そう聞いたことがあった。

「そして、今回はその霊の顔まではっきり認識できましたよ。私は『目』がいいので。なのですが……」

 最初は得意げに語っていた詩鶴の声に、わずかな緊張が混じった。

「私、その顔に見覚えがあります」

「え……!?」

 善興は思わず詩鶴の方を見た。その瞬間、前方の車が減速したのに気づき、慌ててブレーキを踏む。車体がガクンと揺れた。

「気をつけてください」

 詩鶴がたしなめるように言った。

「で、どこで見たかですが……テレビですね。少し前に亡くなった政治家だったと思います」

 善興は前方に視線を戻しながら、詩鶴の言葉を待った。

「名前は確か……北村なんとか……」

「北村?」

 善興の声が硬くなった。

「それ、北村雄蔵きたむらゆうぞうじゃないか? 二年前に亡くなった、国自党の元幹事長」

「おそらく、その方かと」

 詩鶴は静かに頷いた。

「北村元幹事長っていえば……」

 善興はハンドルを握る手に力を込めた。

「今回の依頼主、大竹議員の所属派閥の長だった大物議員だよ。もともと警察官僚だった大竹議員を政界に引っ張ったのは、その北村元幹事長だからな」

「そうなんですね」

 詩鶴は首をかしげた。

「それがなんで、大竹議員の奥様に執着するんですか?」

「なんでって、そりゃあ……綺麗な奥さんだし……」

 善興はそこで言葉を切った。

 車内に沈黙が落ちる。信号が青に変わり、車が再び動き出す。

「ああ、なるほどね」

 善興は低く呟いた。

「今回の件、見えてきたかな」

 善興は目を細めて口角を上げると、アクセルを強く踏み込んだ。

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