第3話 ながながし夜を

秋の夜は、どうしてこんなに長く感じるんだろう。

時計の針は、まだ22時を指しているのに、まるで深夜のような静けさが部屋を包んでいた。


**藤堂律(とうどう・りつ)**は、ベッドの上で膝を抱えていた。

スマホの画面は暗く、通知はない。

部屋の隅に置かれたギターも、今日は弾く気になれなかった。


窓の外には、月が浮かんでいる。

その光は、どこか冷たくて、でも優しかった。


「ひとりかも寝む、か…」


彼が口にしたのは、百人一首の第三首。

柿本人麻呂の歌だった。


> あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の

> ながながし夜を ひとりかも寝む


山鳥の長く垂れた尾のように、秋の夜は長い。

その夜を、ひとりで寝ることになるのだろうか――

そんな意味の歌だ。


律は、最近この歌に取り憑かれていた。

理由は、彼女がいなくなったから。


*


**水野遥(みずの・はるか)**は、律の幼なじみだった。

中学の頃からずっと一緒で、高校でも同じクラスになった。

彼女は明るくて、誰にでも優しくて、でも律には特別に接してくれていた。


「律って、夜になると静かになるよね」


「うるさいよりいいだろ」


「でも、なんか…寂しそう」


遥は、そんなふうに言って、笑った。

その笑顔が、律の心をいつも温めてくれた。


*


ある日、遥は突然、転校した。

「家の事情で」とだけ伝えられ、彼女は何も言わずに去っていった。


最後に交わした言葉は、たったひとつ。


「律、夜が長くなったら、私のこと思い出してね」


それ以来、律の夜は長くなった。


*


彼は、百人一首の歌を読み漁った。

その中で、柿本人麻呂の歌に出会った。


山鳥は、昼間は雌雄で一緒にいるが、夜になると谷を隔てて別々に寝る――

そんな習性があるらしい。


「まるで、俺たちみたいだな」


昼間は一緒にいたのに、夜になると離れてしまう。

その寂しさを、律は今、身をもって感じていた。


*


ある晩、律はギターを手に取った。

遥が好きだった曲を、指先でなぞる。

音は、静かに部屋に響いた。


その音に乗せて、律は歌を口ずさんだ。


「ながながし夜を、ひとりかも寝む…」


その瞬間、スマホが震えた。

画面には、遥の名前。


「律、元気?」


たったそれだけのメッセージ。

でも、律の胸は一気に熱くなった。


*


「夜が長いのは、君を想ってるからだよ」


律は、そう返信した。

送信ボタンを押す手が、少し震えていた。


窓の外には、山鳥の尾のように長い夜が広がっていた。

でも、もうひとりじゃなかった。


*


――秋の夜は長い。

でも、その長さは、誰かを想う時間でもある。

それは、孤独じゃなくて、愛の証なのかもしれない。


そして、長い夜の先には、きっと朝が来る。

その朝に、また会えることを信じて。

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