第38話 王子様の正体
ミステリー作家・有永昌義について、僕はさっと思い出した。
何作もベストセラーを出している小説家で、ドラマ化したり映画化したりした作品が多数ある有名作家なはずだ。なかにはアニメ化したものもある。
だから、王子様が大ファンでも別におかしくない。大人だけがファンなんてことはなくて、中学生からの人気もなくちゃ、ベストセラー作家になんかなれないだろうしね。
そういえば、有永昌義は文芸部のOBだって菜月が言っていたっけ。つまり南ヶ丘中学校出身ってことだ。
ただ……それと、王子様が『シャフリヤール王』なのが結びつかない。物語に夢中になって改心した王様と、図書室の王子様はなにが似ているというんだろう?
「あなたが読んでいたのは、有永昌義が中学校時代に所属していた時代の文芸部の文集でしたからね」
柘榴塚さんは咲き誇るいくつもの濃ピンクの薔薇の下で、王子様をその丸っこい瞳でじっと見つめて話を始めた。
「そして、この前あなたが慌てて席を立ったときに机に伏せたのは、『ある人物』が寄稿した作品の途中だった。あなたが有永昌義を探している最中に出会った有望な書き手です。しかも『犯人はこの人です』と探偵役が名指しして、次のページでいざ犯人が明かされるってところでした」
といって、彼女は王子様に文集の表紙を見せた。白手袋で持たれたその文集のタイトルは、『南ヶ丘中学校文芸部 言の葉通信』。つまり、有永昌義がOBとして存在する文芸部の文集……。
「犯人が分からないんじゃ、ヤキモキしますよね」
薄く笑う柘榴塚さんに、僕はハッと息を呑んで口元に手をやった。
「えっ、あっ、えぇっ!? それでシャフリヤール王!?」
お話の続きが気になって、捕まる危険を冒してでもまた図書室に来たんだ。大臣の娘を処刑できなかった残虐な王様のように。
そういうことだよね、柘榴塚さん? うわ、ほんとに洒落たこといってたんだな!
「……君は有永作品の探偵みたいだね」
王子様が、心底感心した、とでもいうように呟いた。
柘榴塚さんはふっと苦笑しながら、王子様の整った顔を真正面から見て指摘する。
「探偵ついでにもう一つ。あなた、他校の生徒ですよね?」
「へっ?」
彼女の意外な言葉に反応したのは、王子様ではなく僕だった。
王子様が、他校の生徒? なに言ってるんだ、柘榴塚さんは……?
「だからこの文集を借り出すこともできず、先生に捕まるわけにもいかず、もちろん生徒に名前や学年を明かすわけにもいかなかった。他校に不法侵入してるってバレたら自分の学校に連絡が行きますから」
「でっ、でも、ウチの制服着てるよ?」
僕の言葉に、柘榴塚さんはやれやれというように首を振ってみせた。
「制服着てるだけでしょ。そんなの生徒じゃなくても用意できるよ。たとえば、兄弟がいればその人から借りることもできるし」
まあ、確かに柘榴塚さんのいうとおりだけど……!
僕は目を見開いて王子様を見た。
王子様は、覚悟したように、切れ長の目でじっと柘榴塚さんを見ていた。
彼の雰囲気は、柘榴塚さんの言説を肯定している。それに、僕は息を詰まらせてしまう。
「じゃあ菜月の担当日にしか来なかったのはどういうことなの? 菜月のことが気になるからそうしてたんでしょ?」
「藤元さんは関係なく、自分の予定の兼ね合いだろうね。学生だって、クラブの活動日とか塾の日とか、いろいろあるでしょ。で、何も用事がない日がちょうど藤元さんの担当日だった。それだけのことだよ」
あ、そうか。つまり、菜月の担当日は週のなかでも王子様が暇な日だった――つまりは、偶然の一致ってことか。でもそんなことってある? 菜月はあんなにはしゃいでたのに……。
パチ、パチ、パチ……と、乾いた音がした。王子様が手を叩いたんだ。
「お見事、名探偵くん。そう、その通り。塾と部活がない日にここに来てるんだ。この制服は貰い物だ――南ヶ丘中学校出身の友達に貰ったんだよ」
「ということは、あなたは高校生ですか」
「そういうこと。高一だ。高校生なのに中学生のフリをして忍び込むのは……なんていうか、ちょっとイタいかなとは思ったんだけど、でも目の前にチャンスがぶら下がったらファンとしては飛びつくしかないだろ?」
高校生!? どおりでなんか大人っぽい感じがするわけだよ。背も高いし。しかし、高校生かぁ……。
王子様は周りを見回しながら、感慨深げに微笑んだ。
「これが案外、誰にも気付かれなくてね。スパイにでもなった気分だった。最初はそれで満足していたんだ、これが有永先生の母校か……って空気感だけでも俺にとっては宝物だから。でも有永先生が中学時代から創作を始めたというエピソードを思い出した俺は、図書室でその時代の文芸部の文集を漁るようになった。もちろん先生の寄稿作品を探すためにね。……借り出すことができないから図書室で直読みするしかなかったのも、君の言うとおりだ」
どこか楽しそうに語る王子様に、僕は菜月の言葉を思い出していた。『王子様は本を借り出さないから名前が分からない』――借り出さないんじゃなくて、借り出せなかったんだ。他校どころか高校生じゃ、そうだよね……。
「そこであなたは、夢中になれる書き手を見つけた」
と、柘榴塚さんは文集をパラパラとめくってそのページを開き、僕たちに示した。
「この人です」
その著者の名前は――。
え? これって。
著者の名前に戸惑う僕をよそに、王子様は深く頷いた。
「そう、彼だ。荒っぽいながらも最初の行からぐいっと引き込まれる巧みな筆致、躍動する登場人物たち、理路整然としたトリック――有永作品に通じるテーマもしっかり内包されている。もしかしたらその人がのちの有永昌義先生なんじゃないかって思ったんだけど、俺じゃ確定できなかった。……南ヶ丘中学校に伝わっていたりしないかな。有永昌義の本名は――少なくとも中学時代に名乗っていた名前は、柘榴塚
そう。柘榴塚さんが開いたページには、柘榴塚昌公とあったんだ。
柘榴塚なんて珍しい苗字が他にある可能性は低いだろうから、これは、つまり……柘榴塚さんの親戚とかかな?
「その勘は当たってますよ」
柘榴塚さんは頷いた。
「柘榴塚昌公は、後の有永昌義です。娘の私がいうんだから間違いありません」
「えぇっ!?」
また僕は驚きの声をあげていた。
柘榴塚さんが、有永昌義の娘ぇ!?
だけど。王子様の反応は、僕とはまた違った。
「じゃあ、君も柘榴塚っていうのか。もしかして、あのウサギ解体の……?」
え?
王子様の言葉を聞いた途端、ざらりとしたサンドペーパーが、僕の胸を撫でたような感覚があった。
ウサギ解体……?
真っ赤な血のイメージが一瞬のうちに僕の心の中に広がっていく。
柘榴塚さんのしている綿手袋の白さが、白ウサギに見えて……。
当の柘榴塚さんはといえば、しまった、というような顔付きで王子様を見つめていた。
「……あなた、青蘭生ですか」
「あぁ。青蘭常磐学園高等部の
王子様――木谷先輩の顔が、そこで不意に爽やかな微笑みに変わった。
「有永先生の娘さんならこの推理の鋭さにも納得だ。よければ、連絡先を交換してもらえないかな、俺の名探偵くん」
「ッ!?」
息を呑んで驚くのがもう何度目か覚えていないけど、でも今回は今まで以上の特大の息を飲み込んでしまった。
一瞬で血のイメージが吹き飛んだ。
お……俺の名探偵くん!?
ちょっと、なにいってるの。柘榴塚さんは
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