第37話 薔薇の東屋
王子様は周りを気にするように視線を配りながら、僕たちが見張っている本棚に近づいてきた。そして、迷うことなく腰をかがめて、例の文集を抜き出した棚を調べ始めたんだ。
王子様が入ってきたことで、より視線から逃れるように僕はさっと身を逸らして本棚の影に寄り添った。あまりにも背筋を正したもんだから、ピキキ、と音が鳴って、それが聞こえちゃったんじゃないかと思って慌てて柘榴塚さんを見てしまう。
……けど、柘榴塚さんはなにもいわない。よかった、聞こえてなかった。
柘榴塚さんはしばらく王子様を見つめていた。そして、王子様がなにかを諦めたみたいな息をついて腰を伸ばしたのを見計らい、彼の背後に踏み出したんだ。
「これをお探しですか?」
彼女は手に持った本を軽く示しながら訊ねる。王子様がハッと振り向いたのと同時に、柘榴塚さんはニヤリと笑った。
「お待ちしていましたよ、王子様――いや、シャフリヤール王」
とか柘榴塚さんがいっている間に、僕は王子様がいつ逃げ出してもいいように身構えていた。具体的には、彼にすぐに飛びつけるように手を前に構えたんだ。この前みたいに急に逃げ出されたら困るからね。
てか、なんだ? シャフ……って。
半身を引いていつでも逃げられるような体勢をとる彼に、柘榴塚さんは軽く続ける。
「とって喰やしませんよ。それはシャフリヤール王の役目ですし」
「……」
王子様はくっと顎を引いて柘榴塚さんを睨むように見据えたまま固まっていた。その目にあるのは、明かな警戒と焦りだ。
だけど柘榴塚さんは軽い調子で彼に向かって背を向けたんだ。
「ここじゃ込み入った話はできないし、場所を移しましょう。ついてきてくれます?」
それだけいって、彼女は先頭を切って歩き始める。
そんな。柘榴塚さん、この人のこと信頼していいの? この人、一度僕たちから逃げ出してるんだよ?
なのに、その背をしばらく見ていた王子様が、ゆっくりと柘榴塚さんのあとについて歩き出したんだ。
え? これってどういうこと?
なんでついていくわけ? シャフ……王? とかいうのは、なんか王子様の気を引く言葉だったの?
頭にハテナがいっぱい浮かんだ僕だけど、置いていかれるわけにはいかないし、なにより王子様の気が変わっていきなり逃亡する恐れもあるから、急いであとを追いかけたんだ。
目を見張る菜月のいるカウンターを抜けて図書室を出た柘榴塚さんが向かったのは――特別棟からちょっと離れた場所にある、小さな
「ここなら校舎の中からは見えにくいし。話をするにはうってつけですよ」
柘榴塚さんはベンチには座らず、まるで自分の部屋に招いたみたいに振り返って後ろの僕たちにそう伝えた。
みずみずしく咲く濃ピンク色の薔薇アーチの下、柘榴塚さんがさっとベンチを指し示すけど、王子様は座ろうとはしなかった。
ピンク薔薇の清々しい香りが漂うなか、王子様は彼女を見つめて、腕を組んで唇の端を皮肉げに上げた。
「シェヘラザードか。本当にシャフリヤール王になった気分だな」
「へ?」
なにザード? 洒落たこと言ってるってのは分かるんだけど……?
「アラビアの昔話だよ」
と、柘榴塚さんが説明してくれる。
――妻の不貞に怒った王様が、その妻を処刑した。女というものを信じられなくなった王様は、生娘と結婚しては翌朝には処刑するという残虐な行為を繰り返すようになる。そこで大臣の娘が一計を案じた。……自分が王様と結婚し、毎夜毎夜、寝所で面白いお話を聞かせたのだ。そして話が盛り上がって続きが気になる! というところで切り上げて、『続きは明日』をやり続け、翌日の処刑を回避させたのである。そうして一夜、一夜と長らえていった賢い娘のおかげで、王はやがて改心をした……。
「その王様の名をシャフリヤール、大臣の娘の名をシェヘラザードっていうの。ちなみにシェヘラザードが語った物語が千夜一夜物語――アラビアンナイトと呼ばれているものになる。シンドバッドの冒険やアラジンと魔法のランプが有名だね」
「へー」
よく知ってるなぁ、柘榴塚さんは。物知りだなー。
でもそれがなんの関係があるんだろう?
柘榴塚さんは僕の反応に肩をすくめると、王子様に丸っこい瞳を向けて、いきなりズバッと切り出した。
「で、シャフリヤール王。あなたはミステリー作家・有永昌義のファンですね」
「へっ?」
いきなり出てきた関係のない名前に、思わずまた腐抜けた声をあげる僕の横で――王子様はふぅっと、まるで、負けを認めたかのように息をついたのだ。
「その通り。俺は有永先生のファンだ。大のファンといってもいいくらいのね……」
王子様は真っ直ぐに僕たちを見て――なにより柘榴塚さんを見て、潔く認めた。
え、どういうこと?
なんか柘榴塚さんと王子様は互いの目を見合って分かりあった感じになってるけど、僕は全然話についていけないぞ?
なんで有永昌義が、いま関係あるの?
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