オードブル編:邪神配信を、食す

第5話 『味がしない? 灰色(リアル)を侵食する、極彩色の劇薬』

 霧が少し薄れたのだろうか?

 わずかな光が、館の窓から差し込んでいる。

 もう夕方も遅く。本来なら、赤く色づく夕陽が入ってきていてもおかしくないはず。

 しかし、その頼りない薄明かりはどこか冷たく、そして目を刺すような人工的な白さ。

 ステージセットのお屋敷に向けて巨大なLEDの投光器でも、濃密な靄の向こう側に設置したみたい。


 豪奢だったダイニングルームの壁紙は相変わらず、極彩色の油絵の具をぶちまけたように歪んでいる。

 お貴族様のお屋敷のように優雅だったシャンデリアからは、蛍光色の滴がポタリ、ポタリと垂れ落ち、毛足の長い赤い絨毯にサイケデリックな染みを作っていた。


「愛しいお客様?」


 紗雪の声が、どこか遠く、あるいは電子機器を通したようにノイジーに響く。

 厨房なのでしょう、扉の奥へと綾霞が消えて行ったあと、なぜか私の膝の上に横座りに乗ってしまった彼女。


 胸板に頭を摺り寄せたり。

 くんくんと、私の匂いを嗅いできたり。

 かと思えば、明後日の方向を向いて鼻歌を歌い始める。


 気ままで、勝手で、でもたまに向けられる視線に全部を許して愛したくなる。

 猫のように気ままな少女。


 今も腰まである灰銀色の髪をピコピコと揺らし、さわさわと触れる感触で私をからかっていた彼女。


 呼びかけに、ふと見つめると……私は息を呑む。


 灰銀の髪やメイド服は変わらない。けれど、その肌の質感がおかしい。

 陶器の滑らかさではなく、液晶画面のピクセルのように、微かに明滅している。

 つい、ついほんのさっきまで、そんな事なかった……!


 少女、人形少女は愛らしく気ままな、膝に収まる『私の』にゃんこだったのに。


「あら、驚かれました? ふふ、わたくしたちも少し、現代的になりましたでしょう?」


 紗雪が小首をかしげる。

 そんな動きも、FPSゲームの最中に急にフレームレートが落ちたかのように、カクカクと不自然。

 その動きに合わせて、翡翠色の瞳の中に、無数の文字列がまたも高速で流れていくのが見えた。

 意味の通らない言葉の羅列が、彼女の眼球の中で蠢いている。



「お客様、お待たせいたしました。……お次は目にも鮮やかな『前菜(オードブル)』でございます」

 厨房から現れた綾霞の手には、大きな銀のトレイ。

 彼女が身につけている和装メイド姿のエプロンもまた、先ほどまでの純白ではない。

 黒地にネオンカラーの幾何学模様が走る、奇妙なデザインに変わっていた。


 薄赤色の瞳は、無機質な絞りが瞳孔を大きく開いたり、窄めたり。ウィーン、ウィン、そんな音が聞こえてきそう。

 カメラのレンズのように無機質に、私の一挙手一投足を記録している。


「テーマは『色彩』への渇望。……灰色と化した世界に、日常に、絶望した魂が、禁断の色を求めて彷徨う物語でございます」

「まさに、あなたにピッタリですわ!」


 綾霞がトレイの蓋を開ける。そこにあったのは、薄くスライスされた白身魚のカルパッチョ……?

 よく見なくとも、その身は灰色一色。

 粘土製?


 皿の白さすら吸い込むような、完全な無彩色の鈍色だ。


「どうぞ、召し上がれ。『邪神百合配信』一口目。……色を失った少女が、ダンジョンの奥底で何を見つけるのか」


 紗雪が、不思議な多面体の瓶を差し出す。

 それは目が痛くなるほど鮮やかな、極彩色のドレッシング。


「まずはそのまま、お召し上がりくださいね。その後はご気分で……たっぷりと『色』をかけてあげてくださいな。そうすれば、きっと見えてきますわ。あなただけの、素敵な世界が。あなたを蝕む灰色も、きっと少しは、『満たされます』」


 私は言われるがまま、手に瓶を受け取った。

 何ていうのだったか……凧形二十四面体? トラペゾヘドロン? 何とも複雑な多面体の形に、ちょんと上に取ってつけたような注ぎ口が伸びた瓶。


 しかもなぜだろう、硬質な透明ガラスでできているはずの瓶が、うぞる、うぞる。手の中で蠢いているような?

 目を向ければ先ほどまでと同じ、美しい多面体の輝きを見せる瓶。

 しかしひとたび視線を皿へとやると、また手の中で面が、蠢いて……。


「さあ、まずは、一口どうぞ」

 考えるのをやめ、手を瓶から離した私。


 最初の一切れを口に運ぶと……まずい。

 まずい以前にそもそも、味がしない、食感もない?


 まるで、砂嵐の画面を舐めているような、ザラついた欠落感。

 味覚も、嗅覚も、触覚さえもが『灰色』に塗りつぶされていく恐怖。

 辟易する気持ちを抑えて、なんとか呑み込むと。



 ◇  ◇  ◇



(……つまんない。『色』が欲しい)


 ふと、私の頭の中に、知らない少女の思考が割り込んできた。


『……こんしろぉ。底辺探索者の、“ましろ”……だよぉ』

 なぜかいつも同じ、同時接続数12の表示。

 視聴者さんは入れ代わり立ち代わり、変わるのに。いつも、いつでも、『12』。


 視界が揺れる。ここはどこ? 駅のホーム。大学の講義室。交差点。

 すべてが灰色に塗りつぶされた世界。


(ああ、まただ……。)

 私の意識は、色を失った少女――ましろと同期する。


 彩度を失い、明度までも極端に平坦になった、灰色の世界。

 ただ淡々と、無機質に過ぎ去っていく時間。


 この、『穴』、ダンジョンの中と。皆との配信による『繋がり』を除いては。


 視覚だけじゃない、味もしない。匂いもしない。全部全部灰色。

 ただ、灰色の砂を噛んでいるような虚無感。


 あぁ、でもなんだか私にとってはすごく、見覚えがある。

 推しだけが私の色だった。全部全部、日常という名の退屈な地獄の事。

 生きていても死んでいても変わらないような、退屈で緩慢な地獄。


 つまらない。息が詰まる。


 誰か、私の色になって……。

 ううん、きっと違うんだ。

 私に色を、ちょうだい。


 渇望する私の目の前に、ふと、裂け目が現れる。

 ダンジョンの壁にできた亀裂。

 極彩色の亀裂。


 そこから漏れ出す光は、見たこともないほど毒々しく、美しい。

 薄桃色、紅色、照柿色、裏葉色。

 聞いたことも無かったような色の洪水が、私の網膜を焼き、灰色の脳髄を侵していく。


「すごい……きれい……!」


 その裂け目に指を入れたい。全身で飛び込みたい。

 理性が危険だと警鐘を鳴らすよりも早く、本能がその色彩の沼へとダイブしていた。


 ◇  ◇  ◇



「……わかりますか? お客様」

 綾霞が、私の耳元で低く囁く。


 いつの間にか、彼女の手には無骨なビデオカメラが握られていた。

 赤い録画ランプが、怪しく点滅している。


「あなたが物語を飲み込むその表情、その戦慄……全て、記録させていただきますね。……向こう側の『視聴者(かみさま)』たちが、それを望んでおられますから」


 部屋の隅で、紗雪がくるくると回っている。

 カク、カク、とコマ送りのように。

 彼女の背後に伸びた影が、壁の極彩色と混ざり合い、不定形の怪物のように蠢き始めた。


「てけり、り……てけり、り……」

 どこからか聞こえる、奇妙な鳴き声。

 それは紗雪の口から漏れているのか、それとも館そのものが軋んでいる音なのか、私にはもう判別がつかない。

 ただ、目の前の灰色の皿だけが、妖しく私を誘っていた。




【本日のメニュー:Hors-d'oeuvre】

『邪神百合配信』 ~極彩色ダンジョン風、不定形な邪神娘のカルパッチョ~

 第1章 『私に”色”をくれる場所』

https://kakuyomu.jp/works/822139840224583947/episodes/822139840275803337

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