第7話 影が走る草原

 午前のホームルーム。

 ダモンが教壇に立つと、黒板に帝国地図が浮かび上がった。


「まず結論だ。“北部林道の魔力異常”は、ギルド評議会が正式に確認した」


 教室がざわつく。


「つまり……新しいダンジョンができかけてるってこと?」


 ミルナが顔をしかめる。


「ああ。未登録域に“魔力の穴”が出現している。あの規模は、自然現象では説明がつかん」


 ダモンが地図の一点を指した。


『――北部林道・深層部

 未登録ダンジョン存在の可能性 高』


「今年の一年実習、ほぼここになるだろうな」


「マジか……」


「えぇ……寒いし怖い……」


 リオとミルナの声が重なる。


 エリナが冷静に補足する。


「でも、未登録ダンジョンって、本来は国にとって“チャンス”なのよ」


「チャンス?」


「ああ。よく覚えておけ」


 ダモンが腕を組んだ。



「お前ら。ダンジョンというのは――」


 チョークで、簡単な図が描かれていく。


「一つ、“攻略するもの”じゃなくて、“利用する資源”だ」


「魔石、薬草、魔獣素材、希少鉱石……全部、ダンジョンから取れる資源だ。攻略して崩壊させたら、全部消える」


「二つ、強い国ほど“深層をあえて残す”。奥まで行かず、浅層だけ整備する。魔物を増やしすぎず、減らしすぎず、資源が循環するように管理する」


「三つ、未登録ダンジョンは“経済的ボーナス”だ。放置すればスタンピードを起こすが、うまく管理すれば、新しい金脈になる」


 ダモンは地図の北部を軽く叩いた。


「つまり、北部林道に新しい穴ができているなら――帝国としては、できるだけ早く“把握”したい。危険度と、資源価値をな」


「だから俺たちも調査に行くってこと?」


 リオが手を挙げて聞く。


「そうだ。一年はもちろん浅層だけだが……“本物のダンジョン”に足を踏み入れる経験にはなるだろうな」


 ダモンは、地図の北部に沿って線を引いた。


「現在、ギルドと帝国土木隊が“北部林道までの安全ルート”を暫定整備している。獣道レベルだった道を広げ、仮の関所も建てているところだ」


「関所?」


「未登録ダンジョンは、勝手に潜らせると死人が増える。

 なので入口付近には、必ずギルド詰所か帝国の監視塔を置く。

 ……今回もそれを急いでいる最中だ」


「ってことは、俺らは“整備が終わったばっかの道”を通るってことか?」


 カイがちょっと楽しそうに言う。


「そうだ。馬車隊・護衛騎士・ギルド職員・それから学園の教員部隊。

 お前ら一年は、その一番うしろで大人しくしていろ」



 俺は地図のその点をぼんやりと見ながら、少しだけ目を細めた。


(そこ、“俺の家”なんだけど)



 午後の授業が終わり、教室を出る。


「クロガネ、実習の準備もう始めるか?」


 リオが隣に並ぶ。


「うん。そろそろ、かな」


「リオはまず、寒さ対策からね」


 セナが苦笑する。


「ミルナは薬品、凍らないようにちゃんと考えとけよ」


「……はぁ。もうちょい南のダンジョンにしてくれればいいのに」


 ミルナは天井を見てうめいた。


 グレンは無言で歩いているが、時々、北の方角を見て眉をひそめる。


(よし。“表側”は順調に不安と期待で満たされている)


(じゃあ、“裏側”もそろそろ完成させないとな)


 俺は、いつものように途中でみんなと別れた。


「ごめん。今日も先に寮戻るね」


「おう、また明日な!」


 リオが手を振る。



 夜。


 寮の裏口から外へ出ると、森の空気が、昨日よりさらに重くなっていた。


 霧が地面近くを這い、木々の影がひとつ長く伸びている。


(……魔力の圧、上がってるな)


 裂け目に触れる。世界が裏返る。



 湿った土と、腐葉土と、血の薄い残り香。


 ダンジョンの空気は、もう完全に“自分の匂い”になっていた。


「マスター」


 サキュバスが、木陰から音もなく現れる。


「第三層の安定度が、閾値を超えました。

 ――“完成”と言っていい状態です」


 彼女の背後に、黒い穴がぽっかりと開いていた。


 穴の向こうには、淡い霧と、うっすらと揺れる“影の地平線”。


「……やっとか」


「人間と魔物の死から取り込んだ魔力が、十分に蓄積されました。

 コアは、“草原型層”を常時維持可能だと判断しています」


「見に行こう」


 俺は穴の中へ一歩踏み込んだ。



 第三層は、“完成した影の草原”になっていた。


 足元は、柔らかい土と短い草。

 ところどころ、黒ずんだ草が混じり、踏むたびにかすかに魔力がにじむ。


 空は曇っているわけでもないのに、光は低く、影だけが濃い。


 風が吹いた。


 けれど――草はほとんど揺れない。代わりに、地面に落ちた影だけがざわざわと波打つ。


「……いいね。完成形だ」


「影の動きに、微弱な幻覚を混ぜています。

 長くここにいるほど、“何かが走っている気がする”ようになります」


「幻影狼は?」


「すでに全域に配置してあります」


 サキュバスが指を鳴らすと、少し離れた丘の影が、四つ五つ、するりと形を変えた。


 黒い塊が、影から影へ跳び移るように動く。


「“幻影狼(イミテイション・ハウンド)”。

 実体を持つ個体は、群れの中に一体か二体だけ。

 残りは“影と音だけ”の偽物です」


 遠くから、草を踏む音が聞こえた。だが、目で追っても姿は見えない。


「本物と偽物の足音を混ぜてあります。

 気配に敏い者ほど混乱します」


「いいね」


(グレンとか、確実に相性悪いな)


「――最初の獲物、来てるんだよね?」


「はい。今、第二層を抜けました。

 三人組です。一人は前衛、一人は魔術を少し嗜んだ冒険者、最後の一人は……逃げ足の速そうな臆病者」


「ふむ」


 俺は草原の中央に視線を向けた。


「じゃあ、こいつらに“初狩り”をしてもらおうか」



 草原の中心近く。


 男三人が、周囲を警戒しながら進んでいた。


「おい……なんだここ……?」


「さっきまでの森と空気違いすぎだろ……」


「や、やめとこうよ……。さっきから風の音、おかしいって……!」


 臆病そうな男の声は、すでにわずかに裏返っている。


(いい喉だ。悲鳴もきっとよく通る)


 彼らの足元で、影が細く伸びた。


「おい、見ろ。あれ……」


「……犬か? 狼か?」


 前衛らしき男が目を凝らす。


 霧の向こうで、黒い四つ足が一瞬だけ形を取り、すぐに溶けた。


「ちがう、今の……」


 冒険者が眉をひそめる。


「足音が逆だ。見えてた方向じゃない」


「気にしすぎだって。ビビってるだけ――」


「うわっ!?」


 臆病者が悲鳴を上げて飛び退いた。


 足元の影から、細い牙のようなものが一瞬伸びて、靴の先を噛む真似をする。

 実際には何の傷もついていない。


「な、なんだよ今の……!」


 彼は足をこすり、震えた声を出す。


「落ち着け。噛まれちゃいねぇ」


 前衛が肩を掴む。その手が、少し汗ばんでいるのがここからでも分かる。


 影が、三人の周囲で円を描くように揺れ始めた。


 上から見れば、それが“囲い込みの線”になっているのが分かる。


「……走ってる」


 冒険者が呟く。


「え?」


「影が、俺たちの周りをぐるぐる回ってる。

 足音は一ヶ所からじゃない。……群れだ」


(判断は悪くない。けど、遅い)


 影が一ヶ所に集まり、一匹分の形を取る。


 霧の中から、白い牙だけが先に浮き上がってきた。


「――来るぞ!!」


 前衛が叫ぶのと、影が弾けるのはほぼ同時だった。


 幻と音だけの狼たちが、視界の端を埋め尽くす。

 真正面から飛びかかってきた“ように見える”狼に、前衛が剣を振り下ろす。


 手応えは、ない。

 代わりに、背後から風を裂く音。


「後ろっ!!」


 冒険者の叫びと同時に、本物の一匹が側面から喉を狙った。


 前衛はギリギリで腕を差し出す。牙が肉に食い込み、血が飛び散った。


「ぐっ……!」


「兄貴!!」


 その体勢のまま、前衛は必死に剣を振るい、狼の体を跳ね飛ばす。


 本物は一度だけ後退した。影の中に紛れ、形を失う。


「なんだよこれ……ふざけんな……!」


 冒険者は顔色を失っている。


「なんだよ“奥まで行かなきゃ平気”って……全然……」


(ああ、誰かが広めたんだっけ。“奥に入らなきゃ安全”っていう、都合のいい嘘を)


 影の中から、また足音だけが近づいてくる。


 今度は三方向から同時に。


「来る……三匹……!」


「本物は二匹だけ」


 サキュバスが小さく呟いた。


「一匹は、ただの“音だけ”です」


「じゃあ、その音を一番信じたやつから死ぬな」



 結局──戦士は、二度目の突進を受け止め切れなかった。


 影の群れに意識を削られ、判断が一瞬遅れた。

 狼の本物の牙が、今度は喉を噛んだ。


「が、はっ……」


 血が草を染める。草はすぐに、それを吸い込むように消していく。


(まず一人)


 冒険者は、理性よりも先に足を動かした。


「やってらんねえ! 俺は帰る!!」


 背を向けて走る。


 幻影狼たちが、“それっぽい足音”で追いかける。

 時々、視界の前方にも現れては消える。


「前にいるのかよ!? 後ろなのかよ!!」


 朗々とした悲鳴。

 背中に感じる気配は、実際にはほとんど幻だ。


 本物は、一本の道を塞ぐ位置でただじっと待っているだけ。


 彼がそこを選んで走ってくるのを、じっと。


「う、あああああっ!!」


 最後の曲がり角で、冒険者は自分から狼の口に飛び込んだ。


 牙が腹を貫き、彼はその場で崩れた。


(二人目)


 残った臆病者は、その場から一歩も動けなくなっていた。


 膝をつき、ガタガタと震えながら、空気を掻くように手を伸ばしている。


「いやだ……いやだいやだいやだ……!

 なんで、俺らだけ……!」


 幻影狼たちは、彼の周りをゆっくりと回るだけで、決して距離を詰めない。


「……どうなさいますか?」


 サキュバスが俺を見る。


「返す。今日はもう十分だ」


「かしこまりました」


 彼女が指を弾くと、幻影狼たちの影がすっと薄くなる。


 草原の一部が裂け、元の森に繋がる出口がひとつだけ開いた。


 臆病者は、しばらくその場で嗚咽し、それから四つん這いで出口へにじり寄った。


 足もとがもつれ、何度も転び、それでも外へ出ていく。


 森へ抜けた瞬間、彼は肺の空気を全部吐き出したみたいに叫んだ。


「う、うああああっ!! うわあああああっ!!!」


 しばらくそうしてから、ふらふらと北部街道の方へ消えていく。


「……生きて帰りましたね」


「うん。いい噂を広めてくれるよ」


 俺は肩を回した。


「“影が走る草原の穴”……とか、そんな感じで」


「名前のセンスに自信があるのですね?」


「人間のほうが勝手に付けるさ。

 こっちはただ、“印象だけ”食わせておけばいい」



「第三層の魔力、完全に安定しました」


 サキュバスが周囲を感じ取るように目を閉じる。


『第三層核:安定度 91% → 100%』


 コアの無機質な声が響いた。


「これで形式上は“完成”だな」


「はい。あとは“死と時間”で、さらに深みが出ていきます。

 今は、罠と配置の微調整が好きなだけできます」


「罠の案、何か出てる?」


「風向きが一定時間ごとに変わる仕組み、

 影だけ先に進む幻覚、

 “仲間の声”を真似る草むら。」


「……最後のいいね」


 俺は少し笑った。


「第三層にはまだ“本気の殺し”は持ち込まなくていい。

 ここは、心を削る場所だ」


 サキュバスが俺を見上げる。


「では、第四層は?」


「取りかかり始める、くらいでいい」


 俺は首を振った。


「コアには、“草原の奥”の案だけ出させておいて。

 追跡用の地形とか、包囲しやすい丘とか、その辺の“骨組み”だけ先に作らせておく」


「最終的な形は?」


「第三層がもう少し“荒れて”から決める。

 走り切った獲物が、どんな顔で次に落ちてくるのか見てから」


「……なるほど」


 サキュバスは、少しだけ感心したように目を細めた。


「先に全部決めてしまわないところ、あなたらしいですね」


「柔軟性は大事だからね。

 地上の状況も変わるし」


「実習、ですね」


「そう」


 俺は草原の風を一度深く吸い込んだ。


「地上の連中が、どんな顔でここに落ちてくるか。

 それを見てから、四層と五層の“本当の形”を決める」


「そのほうが、彼らに似合う巣になります」


 サキュバスが小さく微笑む。


「今日のあなたは……とても静かで、研ぎ澄まれていますね」


「実習が近いから」


「夜のあなたは、本当に“刃物”みたいです」


「じゃあ、切れ味を落とさないようにしないとだね」



 草原を少し歩く。


 さっき血で染まったはずの場所は、もうただの湿った土に戻っていた。


 代わりに、土の下から微かな魔力の筋が伸びている。


 風が吹く。

 草はほとんど揺れないのに、影だけがぐにゃりと伸びた。


「――選別の準備は、だいぶ整ってきたな」


「ええ」


 サキュバスが、静かに頷く。


「あとは、獲物が足を踏み入れるのを、待つだけです」


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