第8話 実習通達
午前のホームルーム。
教頭とギルド職員二名、さらに二年生の顔ぶれが数名入ってきた瞬間、教室がざわついた。
「一年諸君。本日、帝国ギルド本部から正式な指示が下りた」
黒板に貼られた魔法紙に、文字が浮かび上がる。
『北部林道・未登録ダンジョン
危険度:暫定C〜B
資源性:高 』
「……資源性が高いって、つまり……?」
ミルナが小声で尋ねる。
「簡単に言えば、国が“攻略したくない”タイプのダンジョンだ」
ギルド職員が説明する。
「魔石、薬草、鉱石の反応を複数検知している。
深層が未知の場合、資源保護を優先して途中で止める判断、が下ることが多い」
「攻略しないの?」
リオが首をかしげる。
「少なくとも当面はな。
浅い階層を安全に回れるようにし、一定ラインまでだけ“踏みならす”。
その先は、資源と危険度を天秤にかけて、わざと残す」
ダモンがそこに口を挟む。
「お前ら。ダンジョンを“クリアするゲーム”みたいに考えるな。ダンジョンは、国にとっての“鉱山”だ。全部掘り尽くしたら終わりだろうが」
「でもさ、その“途中まで”って、どこまでなんです?」
カイが手を挙げる。
「それは現地で決める。魔力の濃度、魔物の質、資源の出方……だいたい、最初の調査では四〜五層くらいまで様子を見ることが多いな」
(五層まで“お試し”してもらうのは、こっちも歓迎だよ)
別の職員が紙をめくる。
「移動ルートは整備中です。北部林道までの獣道を、馬車が通れる幅に広げています。仮関所は二か所。魔力検知塔も建設中」
「ギルドと土木隊が急いでるって……危ないからですか?」
リオが問う。
「危険というより、価値が高いからだ。見つけ次第、国が“管理権”を確保する必要がある」
少し離れた席で、エリナはメモを取りながら、小さく頷いていた。
「資源性“高”……魔石だけじゃなく、希少金属の反応も出ているのね」
「薬草もね。北部は冷えるから、耐寒系の素材が多いはず」
ミルナはもう半分、錬金の計算を始めている顔だ。
二年生が前に出る。
銀髪の剣士ヴァルトもその中にいた。他にも、魔法士、弓使い、盾役といった“実習用の絵に描いたような編成”が揃っている。
「今年の一年実習には、二年の我々も同行する。
実戦指導と、前線の補助を担当する」
淡々とした声だが、強さが滲んでいる。
「ギルド部隊が先頭、その後ろに騎士団、その次に我々二年。一年は最後尾で、絶対に勝手な行動を取るな」
ヴァルトの視線が一瞬だけ、グレンに触れた。
「魔力に鋭い者は、特に北部では気をつけろ。
空気が重いと感じたら、すぐに報告を」
グレンは肩を震わせる。
「……黒いのが……寄ってきてる」
セナが慌てて背中をさする。
「今からそんなこと言わないでよ、怖いんだけど……」
ミルナがひきつった笑いを浮かべる。
「怖いからって、全部避けてたら一生強くなれないぞ」
カイはわくわくを隠そうともしない。
「未知のダンジョンに最初に足を踏み入れた、ってだけで冒険者としてはいい経験だろ?」
「……経験値、ね」
エリナがぽつりと呟いた。
「国から見たら“資源調査”。
ギルドから見たら“危険度の確認”。
私たちから見たら――“人生の分岐点”かも」
(そうだね。少なくとも一人は、そこで“人生ごと終わる”予定だし)
午前の授業が終わり、教室を出る。
「クロガネ、寝袋はどうする?
北部寒いし、凍えるって噂だぞ」
「……全員分用意する必要があるね」
「ったく、本当に不安そうな顔するなぁお前は」
リオが肩を組んでくる。
「でもさ、資源性高いってことはさ」
カイがテンション高く続ける。
「俺たち、運良ければレア素材拾えたりすんじゃね?」
「一年の分際で、欲張りすぎよ」
通りすがりの女子が呆れたように言う。
「でも、拾った素材を持ち帰って、正しく申告できるかどうかも“実習評価”に入るかもね」
「ミルナはどうするの?」
「私は……壊れやすい素材だけは、絶対に気をつける……」
ミルナはすでに自分の失敗パターンを想像して頭を抱えていた。
セナは、グレンの顔色を横目でうかがっている。
「グレン、大丈夫? 顔、ちょっと青いよ?」
「……あそこから、ずっと……濃いのが」
彼は教室の窓の外、北の方角を見た。
「……たぶん、慣れないと気持ち悪い。
でも……嫌いじゃない」
ミルナは薬品リスト、セナは救急箱。
他の班もそれぞれ地図や班構成を確認しながら、準備に追われている。
不安と期待と緊張で、クラス全体がそわそわしていた。
(……いいね。
本当に“巣穴に向かう獲物”そのものだ)
「クロガネは帰るの?」
「うん。今日は早めに休むよ」
「また明日ね!」
それぞれの声を背に、俺は寮から離れた。
寮裏の森に入ると、昨日より明らかに霧が濃い。
空気に混じる魔力が、皮膚を刺すように強くなっている。
(……急いで作ってるから、コアが熱を持ってるな)
裂け目に触れる。
空気が反転し、底のない影に落ちる感覚が走った。
草原に降り立った瞬間、足元で影がふわりと揺れる。
「お帰りなさい、マスター」
サキュバスが近寄ってくる。
声も仕草も、いつもより半歩ぶん近い。
「今日も、魔力の流入が多いですよ」
「実習が近いからな。
“開発ペース”を上げてもらわないと」
「ええ。あなたのために、全力で働いています」
彼女の指先が、足元の土を撫でた。
「まず報告から。ここ三日で、侵入者は合計九組」
「多いね」
「未登録ダンジョンの噂が、かなり広まっているようです。ランクの低い冒険者、半端な盗賊、ギルドに未登録の素人パーティ……」
サキュバスが指を折って数える。
「うち、三組は第一層で撤退。
四組は第二層で痛い目を見て逃走。
残り二組が、第三層まで足を踏み入れました」
「生存率は?」
「第三層まで来た二組は……片方が全滅、片方は半壊です。生きて帰った者は、全部で十一人」
「十分だ。死んだ連中の分だけ、草原の影が濃くなる」
「はい。第三層は完全に安定しました。
幻影狼たちも、自分たちの“狩り方”を覚えてきています」
影がふくらんで、俺の足首に絡みつく。
(……この層は完璧だ)
「四層の状況は?」
サキュバスは嬉しそうに微笑んだ。
「“形”としては、ほぼ出来上がっています。
――ご案内しますか?」
「もちろん」
俺たちは、草原の端を抜ける通路へ向かった。
第三層の影が、名残惜しそうに足元から離れていく。
地面が緩やかに傾き、暗がりが深くなる。
やがて、視界がぱっと開けた。
そこは、深い谷だった。
左右を切り立った岩壁が挟み、底には丈の高い草が密生している。
上から吹き込む風は、常に“進行方向とは逆向き”。
前に進もうとすると、風が顔に叩きつけられ、視界が乱れる。
「……なるほど」
「ここが第四層のメインルートです」
サキュバスが谷を見下ろす。
「第三層で追われて逃げてきた者たちは、ここで必ず足を止められます。
逆風、足場の悪さ、見通しの悪い草むら」
視線を落とすと、草むらの合間にぽっかりと影の穴がいくつも口を開けていた。
幻影狼たちの巣穴だ。
「狼は、ここで一度“姿を消す”。
獲物は、追われていないように錯覚する」
「で、気が緩んだところを?」
「谷の地形そのものが、ゆっくりと包囲を完成させます」
サキュバスが指を鳴らした。
足元の黒い線が浮かび上がり、谷の地図を描き出す。
獲物の想定移動ルートに沿って、“狼が出現しやすい地点”“足元をすくう崩落”“風向きが急に変わるカーブ”が印されていた。
「逃げ道が一見多く見えるのが、ポイントです。
選べると錯覚させておいて、どれを選んでも“包囲網のど真ん中”に運ばれる」
「いいね」
俺は、谷底の一点を見た。
「ここが殺す場所だな?」
「ええ。第三層で心を削り、第四層で体力と判断力を削り……“ここまで来たのに”という絶望の上から、静かに止めを刺す場所です」
「実習までには、五層までは最低限の形にはしておいて」
「取り掛かっております。細かな罠と地形の揺らぎは、今もコアが調整しています」
「魔力量は?」
「そこが問題でして」
サキュバスが小さく肩をすくめる。
「今の魔力量だと、第四層の仕上げと第五層の整備は並行になります。
どちらかを完璧にするより、“五層まで形にしておく”方を優先しました」
「問題ないよ」
「……本当に、楽しそうですね」
「当然だよ」
その時、足元の影が低く震えた。
谷の奥から、黒い霧がうっすらと吹き上がる。
第三層とは違う、もっと“凝縮された”気配。
「……五層も動いています」
「進捗は?」
「まだ形は曖昧ですが……“核”がわずかに生成されています。
影が、まとまり始めています」
俺たちの足元の周囲に、円を描くように濃い魔力が集まっていく。
ゆっくり、ゆっくりと、形を探しているようだった。
(今は、ただの影の塊……
ここに“魂の素”を落とせばいい)
「焦らせてしまってすみません。
本来なら、五層はもっと後で作る予定の層なのですが……」
「構わないよ。急いでほしいのは、こっちの都合だからね」
「……あなたのためなら、どれだけでも急ぎます」
サキュバスの声は静かで、それでいて甘い。
「四層が完成し、五層が形を持てば――
彼らは必ず、あなたの手の中に落ちます」
「そうなるように作ってるからな」
「ところで、冒険者たちの噂ですが」
サキュバスが、くすりと笑った。
「“影が走る草原”の話が、北部の酒場でけっこう流行っているそうです。
今日逃がした臆病者が、相当いい声で泣きながら語っているとか」
「ああ、あいつか」
「『見えない狼に囲まれて、仲間が二人やられた』
『足音と影がバラバラで、どこから来るか分からない』
『森の奥に、絶対に触っちゃいけない草原がある』……など」
「宣伝としては、満点だな」
「ええ。
ギルドは“危険すぎるから安易に近づくな”と通達しつつ、
腕に覚えのある連中は、逆に引き寄せられているようです」
「ちょうどいい」
俺は谷の向こう、まだ形のない闇を見つめた。
「素人は二層までで帰る。
低ランクは三層で泣いて帰る。
少しマシなやつらは、四層まで来て“ギリギリで生きる”」
「そして、上の連中は――」
「五層まで来る」
サキュバスの瞳が、楽しげに揺れた。
「……選別ですね」
「そう。
全部を殺したいわけじゃない」
俺は、自分の胸に手を当てた。
「“俺の巣にふさわしいやつだけ”を残したい」
谷に逆風が吹いた。
草はほとんど揺れないのに、影だけがぐにゃりと伸びる。
「実習まで、あと三日」
「はい。今日のあなたは、ひどく静かで……でも、嬉しそう」
「最高の舞台を整えてる最中だからね」
「では、私も……もっと報告を増やします。
冒険者の動き、人間の噂、魔力の推移……全部、あなたに似合う形に整えます」
「頼りにしてるよ」
サキュバスは小さく笑った。
影が、俺の足首をそっと撫でる。
(――準備は、あと少し)
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