29話 死に埋もれた宮廷
天祥宮の中は、外から見るよりも、さらに凄惨だった。
竜巻が暴れたと思えるほどの崩れかたで、壁も床もえぐれている。家具は一つも原形をとどめておらず、なにを目的とした部屋かもわからない。
(ここも水圧で崩れたのかしら。鳳凰国の宮廷に比べれば、廃墟同然だわ……)
滅びたと断言していいかわからないが、人の気配はまったくない。しかし、上陸後に見た人間は、遺体だけだ。統べる者も国民もいないなら、生きている国とはいえない。
誰も言葉を発することなく、静かに歩く。階段に差し掛かると、踊り場に一枚の絵画が掲げられていた。
「あれは……」
絵画には、二名の男女が描かれている。陵漣と同じくらいの男性と、男性によく似た少女だ。少女は、詩響よりも少しばかり幼く見える。
(親子かしら。あの装束は、雀晦村のおとなと同じ形だ。お幸せそうな笑顔だけど……)
妙だった。あたりは廃墟同然なのに、絵画だけは美しく保たれている。
「陵漣さま。あの絵は、なんでしょう。あれだけ汚れ一つない」
「霊亀国皇族だ。男は霊亀国皇帝にして霊亀天子、
「お知り合いなんですか?」
「数回、会っただけだがな。隣にいるのは、皇女の
「そうなんですね。どうして月瑤さまだけなんでしょう。普通、家族全員ですよね」
「……そうだな」
掠れた声で零すと、陵漣は固く目を閉じた。唇を噛み、苦しそうな顔をしている。
(当然よね。縁のあるかたの居城が廃墟だなんて。生きているかも怪しい)
個人的に親しくなくても、瑞獣の天子同士だ。詩響などでは、想像もできない思いもあるだろう。気の利いた言葉の一つ思いつかない自分が悔しい。
陵漣は少しだけ足を止めていたけれど、すぐに歩き始めた。
しかし、崩れた場所ばかりで変化はない。良い変化が訪れるとも、思えなかった。
しばらく歩くと、陵漣はぴたりと脚を止めた。いきなりのことで、詩響は陵漣の背にぶつかってしまう。
「わっ。す、すみません。どうしたんで――ひっ!」
陵漣の背から前を覗くと、大きな塊がいくつも転がっていた。
塊がなんなのか、一目でわかった。枯れ木のような塊は、霊亀国の服を着ている。塵と埃にまみれた塊は、人間の骨格と同じ形をしていた。
「人の遺体……!」
常軌を逸した状態に、詩響は後退った。廉心は支えてくれたけれど、朱殷は躊躇わず遺体に近づく。枯れた遺体に触れ、指についた塵を擦っている。
「焼死体ではないな。干上がってる。木乃伊の作りかたには、詳しくないのですが」
平然としている朱殷に、陵漣も並んで遺体を観察し始めた。
「水分を抜き取られたんだな。霊亀は、あらゆる水を支配する。人の血液も水分だ」
「ま、そうですよね」
呆れたように朱殷は頷いた。しかし、詩響には理解できない。
「そんな! では、この惨状は霊亀が……瑞獣自らやったと!?」
「だろうな。人間が干物になる自然現象などない。創世の瑞獣が聞いて呆れる」
詩響の全身が冷えた。瑞獣に殺されることがあるなんて、考えたこともなかった。
鳳凰も、熱気による二次災害はある。けれど、陵漣は民を救うために東奔西走した。天子の判断と行動は、鳳凰の意思決定だ。民を守る心は、陵漣を見ていればわかる。
(鳳凰陛下を疑ったことは、一度もない。幸せな日常は、鳳凰陛下のお心の現れだもの)
瑞獣と天子に対面できずとも、鳳凰は民に愛を向ける存在だと実感している。けれど、いま、この場所に愛の一欠けらも感じない。
――帰りたい。鳳凰国へ、今すぐ帰りたい。
この場の空気を吸うことすら苦しい。暗がりは黄泉への入り口のように思えて、詩響は一歩も進めなくなってしまった。廉心も朱殷も、理人も青い顔をしている。
静まり動けなくなっていると、どこからか、こつん、こつん、と、足音が聞こえた。
「そこにいるのは誰だ。誰も宮廷へ入るなと言ったはずだ」
突如として聴こえた男の声に、全員が大きく震えた。朱殷は剣の柄を握り、廉心は詩響を抱き寄せてくれる。唯一、陵漣だけは冷静に一歩前に出た。
「瑞獣霊亀に話があり参った。取次ぎを頼みたい」
「……霊亀?」
詩響たちの緊張を他所に、足音は近づいてくる。
揺れる声と足音のする方向を見つめると、ぬるりと、一人の男が姿を現した。枯れ木のように痩せ細っていて、顔は土気色だ。歩くのもやっとなように見える。
(廉心と同じ年頃、かしら。生気がなくて、よくわからない)
朱殷は剣を抜いて構え、廉心は詩響を背に隠した。理人も後ろにさがる。しかし、陵漣だけは前に出た。警戒したのかと思ったけれど、驚いたように目を見開いている。
「お前、第三皇子の聖賢だな。俺は鳳凰国の嚆陵漣。子玄の生誕祭で、一度会ったな」
「……嚆陵漣……さま……?」
告げられると、聖賢は目を見開き丸くした。縋るように手を伸ばし、肉の衰えた足で陵漣に歩み寄る。
「鳳凰天子殿下! ああ、では……ようやく……!」
崩れ落ちるようにして、聖賢は床に膝をつく。霊亀国皇族だというのに、鳳凰天子の陵漣へ平伏した。
「お待ちしておりました。ご足労おかけしたこと、深くお詫び申し上げます」
「よせ。他国の瑞獣に伏すのは、瑞獣への礼儀に反する」
「いいえ! 霊亀は、もはや瑞獣ではありません! 妖鬼だ! 敬う価値はない!」
血を吐きそうなほどに、聖賢は激しく叫んだ。ついさっきまで、砂になりそうだった男とは思えない。爆発した怒りに、陵漣もが驚いた顔をしている。
なにか察したのか、陵漣は、聖賢の背を優しく撫でた。
詩響は廉心と目を見合わせたけれど、廉心も困ったような顔をしている。理人は聖賢から目を背け、悔しそうに唇を噛んでいた。
(なにかご存じなのかしら。霊亀国の『わけ』って、一体……)
重い空気になるけれど、朱殷は飄々と肩をすくめた。聖賢の荒ぶる姿に、首を傾げる。
「生きてる民もいるだろう。皇族なら、霊亀を支え、復興を考えるべきじゃないのか」
鳳凰国ならば当然の疑問だ。けろりと朱殷が言うと、聖賢に睨みつけられる。朱殷は不愉快に思ったのか、むっとした表情になった。
詩響ははらはらしたが、陵漣が朱殷を制してさがらせた。
「よせ、朱殷。支えられない事情があるんだ。同じ瑞獣でも、霊亀と鳳凰陛下は違う」
「違うどころではない! あんな下劣な奴、鳳凰陛下と名を並べることは許されない!」
「下劣って、お前、それはちょっと……」
朱殷は一瞬怯んだ。これほど強く瑞獣を罵倒する人間は、初めて見る。雀晦村でも鳳凰を悪しざまに言う者はいたが、下劣などという言葉はなかった。
口を挟める雰囲気ではなくて、詩響は、聖賢が陵漣に縋る様子を見守るしかできない。
「殿下。どうか、霊亀を屠ってください。霊亀国は滅んだけれど、腐っても瑞獣の大陸。瑞獣に幕引きをいただかなければ、海の藻屑になることもできないのです!」
繰り返し、聖賢は滅亡を求める言葉だけ叫び続けた。異様とも思える聖賢の言葉に、詩響は疑問に思わざるを得ない。
(霊亀は、民を救うために、危険を承知で鳳凰国へ逃がしていた……というわけじゃ、なさそうだわ。聖賢さまの言葉は、すべての元凶は霊亀だと聴こえる)
横目で理人を見ると、聖賢と同じように、憎々しげな顔をしている。
(陵漣さまは、原因は天子だけれど、天子のせいではない、と言ってたわ。霊亀が、聖護子玄さまへなにかしたのかしら。聖賢さまが、下劣と思うほどのことを)
ちらりと陵漣を見ると、悲しそうな顔をしていた。同じ瑞獣を宿す立場にいて、聖賢の言葉は聞くに堪えないのかもしれない。
それでも陵漣は聖賢を咎めず、手を引いて立ち上がらせた。
「まずは様子を見てからだ。霊亀のもとへ案内してくれ。お前の身は俺が守ろう」
「……有難うございます」
聖賢は俯いたまま歩き出した。光明を高らかに、いざ悪鬼討伐へ行かん! とはならないようだ。足取りは重く、一歩がなかなか進まない。
進むほど聖賢の顔色は悪くなった。しかし、大扉の前に着くと、ゆっくり顔をあげる。
大扉には埃がこびりついている。けれど、彫られた模様は繊細で、もとは豪華だったことがうかがえる。
「玉座の間です。霊亀は、ここに何年もこもっています」
「……ふうん」
陵漣は扉へ手を伸ばす。けれど、手は扉に触れることはできなかった。閃光を放つほどの強い静電気が、陵漣の手を弾く。
「陵漣さま!」
詩響は咄嗟に陵漣の傍へ駆け寄る。静電気の走った手を取ると、怪我はないようだった。ほっと胸をなでおろす。
「いまの静電気はなんでしょう……」
「霊亀の結界だ。霊亀は世界最強の硬度を誇る。人間では手出しできない。全員さがれ」
陵漣は詩響の肩を押し、よろけた詩響を朱殷が受け止める。全員が距離を取ったことを確認すると、陵漣は大きく息を吸い、声を張り上げた。
「我は鳳凰が天子! いまならば、貴国救済に手を尽くす! 開錠せよ!」
荒れ果てた宮殿に、陵漣の切り付けるような声が響き渡る。けれど応答する音はない。
少し待ってみたけれど、やはり扉の開く気配はなかった。
「最後通告だ! 開錠せねば瑞獣の資格なしと判断し、宮廷ごと焼き払う! 問答無用で滅びたくなければ、即刻開錠し、対話に応じろ!」
ちりっと火花の散る音がした。沈黙していた真っ暗な宮殿内に、ちかちかと光が降る。
(鳳凰陛下の火! 本当に、焼き払うおつもりなのだわ……!)
水気のない場所で火がついたら、焦土と化すのも速いだろう。霊亀に国を守る気がないのなら、輪をかけて速いかもしれない。
対話に応じてほしいと願うと、ぎい、と重々しい音で玉座への扉が開かれた。開いたと言っても、わずかな隙間だけだった。
(歓迎は、されていないわね。やはり、後ろ暗いことがあるんだわ)
陵漣も感じ取ったのだろう。ちっ、と舌打ちをして、扉を蹴り飛ばし全開にした。いつものように荒々しい陵漣らしい振る舞いは、詩響の気持ちを落ち着かせてくれる。
足を踏み鳴らし部屋へ入る陵漣に続いて、全員が玉座を視界に収める。
室内は、例にもれず酷い状態だった。壁は崩れ窓も割れ、残るのは塵と埃だけだ。
いまにも崩れそうな内装に目を細めたが、たった一人、生きているものがあった。
玉座に女性が座っている。小柄だけれど、枯れ木のような肉体ではない。丸みのある健康的な体だ。
「陵漣さま! あそこ! 女の人です! まだ生きてる人がいたんですよ!」
ようやく出会った聖賢以外の人間に喜び、駆け寄ろうと思った。けれど、強く腕を掴まれた。掴んできたのは、聖賢だ。
「いけません! 絶対に近づかないで! 女性はとくに、絶対にいけません!」
「でも、あの人を助けないと。こんな場所では、生活もできないでしょう」
「違います! あれは民ではない! あれは……!」
聖賢は震えていた。やつれた腕に力を籠め、詩響を朱殷に押し付ける。早く部屋を出ろ――と言っているように感じた。
(なにに怯えているの? 民じゃないなら、なんだというの?)
玉座に座る女性をじっと見つめた。やはり人間だったけれど、ふと違和感を覚えた。
(綺麗だわ。耳飾りも首飾りも指輪も、すべて輝いている。手入れをしてるんだ。髪も艶やかだし、肌は傷一つない。体そのものが、磨かれた宝石のようだわ……)
崩壊した宮廷で、整った身なりを保つのは奇妙に感じる。さらに全身を観察すると、女性の顔は見覚えがあった。
(あら? あの顔は……)
眩い女性は、絵画で微笑んでいた若き皇女、月瑤だった。
「皇女殿下ではありませんか! 聖賢さま! 皇女殿下です!」
「違う! 違うんだ! あれはもう、妹ではない!」
「え? でも、絵画にあったお姿です」
間違いなく月瑤だ。絵画を見て、陵漣は断言していた。意味がわからず陵漣を見上げると、ふう、と陵漣は浅く息を吐いた。
「聖賢。大丈夫だ。わかっている。詩響は、さがっていろ」
腰に下げていた刀を抜き、陵漣は迷いのない足取りで玉座へ向かう。
(陵漣さまが刃を手にした。つまり、これは……)
国を統べる太子であり、鳳凰の代弁者たる天子の陵漣が、武器を持って人前に立つことなど、まずない。敵対の心ありと断言するに等しいからだ。
(……始まるんだわ。創生史に一度とない、瑞獣討伐が)
鳳凰の意に反することなら、陵漣は動くこともできなくなるはずだ。けれど、鳳凰は現れない。詩響の胸も、平熱を保っている。
(鳳凰陛下のご意志なのだわ。いま、この場で歴史は大きく動く)
重責を担う陵漣は、月瑤と思われる女性に剣先を向けた。しかし、陵漣の読んだ名は月瑤ではなかった。
「我は鳳凰天子、嚆至陵漣。お前の命をもらいにきたぞ、瑞獣霊亀」
月瑤の顔をしたそれは、ゆらりと顔をあげた。見えた顔は、闇夜を照らす月のように美しい。滅びゆく玉座を守る女は、腹が立つほどに美しかった。
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