30話 人を愛した四霊

 陵漣の言葉に、一瞬、ときが止まった。月瑤に向かって、陵漣は『霊亀』と言った。


「陵漣さま。霊亀天子は、聖護子玄さまではないのですか?」

「そうだ。いまそこにいるのは、霊亀そのもの」

「そのもの、って……天子ではないのに、ですか?」

「天子というのは、瑞獣を人間の政治制度に当てはめるため、便宜上、定めた単語にすぎない。瑞獣は好きに身体を選び、移り変わることも可能だ」

「世代交代をしたのではなく?」

「違う。そもそも、天子が瑞獣の意を代弁すれば、それでいいんだ。肉体の中で意思疎通を図ろうが、口頭で議論しようが、どっちでもかまわない」

「人間の言葉で対話するということですか? でも、話せないから天子を選ぶのでは?」


 すぐに理解はできなかった。瑞獣と天子は一心同体というのが、この世界の日常だ。首をかしげていると、理人が説明をしてくれる。


「政治で表に立つのは聖護子玄で、霊亀の宿主は月瑤ってことだよ。月瑤が霊亀の意向を聖護子玄に伝え、聖護子玄が人間へ発表する。霊亀の天子は二人いるんだ」

「あ、ああ、なるほど。ですが、なんのために? 鳳凰陛下は、なさらないですよね」

「どの瑞獣も、普通はやらない。けど、霊亀には独自の目的があるんだ。それこそが、鳳凰陛下が霊亀国に出向かざるを得ない『わけ』なんだよ。ねえ、霊亀陛下?」


 月瑤の姿をした霊亀は、深く息を吸い、ゆっくりと吐き切った。眉尻を下げて薄らと微笑んだのは、悲しみなのか、諦めなのか。

 どちらにせよ、儚くも美しい月瑤は、瑞獣を宿すに相応しい高潔さを感じた。


(月瑤さまが霊亀なら、では、聖護子玄さまはどこに? なぜ姿を現さないの)


 視界へ収められる範囲に、聖護らしき男の姿はない。わけがわからず、陵漣に尋ねようと思ったけれど、詩響の胸の内で熱が蠢いた。


(熱っ! 鳳凰陛下!?)


 燃えるような熱が、詩響の体内に広がった。一瞬にして、全身は汗ばんだ。熱の意味もわからないうちに、陵漣の剣は、月瑤――霊亀の首に当てられていた。


「相変わらずのようだな。お前は会うたびに身体が違う。それは何体目だ?」

「さて……」


 全員が緊張した空気に身をすくめている。けれど、詩響は思わず一歩踏み込んだ。


(変だわ。口調の音程も音階も、いつもの殿下とは違う)


 詩響にとって、会話は旋律だ。話すときの癖は音階となり、人それぞれ異なる。

 発せられた陵漣の旋律は、聞きなれた音の運びとはまったく違っていた。まるで別人に入れ替わったようで、そろりと陵漣に近づき顔を見る。

 顔は陵漣だった。間違いなく陵漣だ。けれど、瞳は炎のように赤く光っていた。紅玉など霞むような輝きは鋭く、恐ろしさも感じる。


(これは、まさか……)


 揺れる赤い輝きには、見覚えがあった。


(鳳凰殿下! 陛下が、殿下の体を使って話してるんだ!)


 瑞獣と天子の係わりかたなんて、具体的に考えたことはなかった。天子に宿るというのは、単に姿を現すことだとばかり思っていた。


(なら、あれは月瑤さまだわ。ちゃんと生きて――え? 屠るのは霊亀だけ、よね?)


 身体を動かしているのが陵漣ならば、月瑤ごと切り捨てたりはしないだろう。

 けれど、いまの陵漣は鳳凰だ。只人の詩響は、鳳凰の意向など想像もつかない。陵漣の肉体を使っている霊亀は、剣を月瑤から離す素振りもなかった。


「霊亀よ。私は役目を果たしに来た。道を踏み外した瑞獣を滅することは、鳳凰の役目。人を焼かぬ炎は瑞獣を焼くためにあると、当然知っているな」


 陵漣の声で、陵漣とは違う音が紡がれる。ならば、言葉は鳳凰の意思そのものだ。

 思い返せば、鳳凰陛下は四霊の中でも特別な役目を担っていると、陵漣は言っていた。てっきり、民は知らない政治のようなことと思っていたけれど、見当違いだった。


(道を踏み外したっていうのは、侵略のこと? でも、聖賢は『下劣』とおっしゃった。『侵略』から受ける印象は、下劣とは違う気がするけど……)


 侵略を罵倒するなら、民への裏切り、信じられない、のような意見ではないだろうか。

 ましてや、聖賢は霊亀国の皇子だ。霊亀の国政に反対することはあっても、存在ごと否定するのは妙に感じる。


(個人的に許せない? この状況なら……月瑤さまを返せ、とか――熱っ!)


 そのとき、詩響の体内で熱が弾けた。刺さるような熱に、慌てて鳳凰を見る。鳳凰の目線は霊亀に向いているけれど、纏う熱気は、いっそう激しくなったように感じた。


(霊亀が月瑤の肉体を使うこと自体に、なにかあるの? なぜ聖護子玄さまお一人では駄目なの? 聖護子玄さまは、いま、なにをなさってるの?)


 詩響は霊亀を観察した。肉体は、詩響と同じ女性そのものだ。けれど、よく見れば、詩響とは絶対的に違うところもあった。


(お腹が大きい……?)


 肥満ではない。腹だけが丸く膨らむ様子は、詩響にも見覚えがある。

 廉心が生まれる前、母の腹は、月瑤と同じように膨れていた。


「妊娠しておられるのですか?」


 想像しうることを言葉にすると、ずるりと聖賢が床に座り込んだ。顔は青ざめて、ぶるぶると震えている。

 霊亀は、ゆるゆると己の腹をさすった。ゆっくりと、小さく頷く。


「なんということを。出産は、母子ともに命を落とすこともある。なぜ安全な人間を選ばなかったのです。女性でも、屈強なかたはいらっしゃるでしょう」


 これは、たしかに、兄の聖賢から見れば『下劣』と思うかもしれない。

 瑞獣の周辺は、決して安全ではない。陵漣は自ら戦地へ赴く。同じように、妹も子も危険にさらされれば、腹も立つだろう。


(……それでも、『下劣』というほどでは、ない気がする)


 配慮は足りない。けれど、皇族ならば当然という見方もある。

 それに、大変なのは政治の表舞台に立ち、瑞獣の意を国政に昇華することだ。瑞獣の言葉を伝えるだけの仕事は、座っていてもできる。


(わからないわ。それに、誰の身体を使おうが、国が亡びる理由にはならない。いま月瑤さまの肉体は無事なんだから、聖護子玄さまが政治をなさればいいだけのこと)


 どうもしっくりこない。詩響は眉間にしわを寄せた。

 すると、答えをくれるかのように、理人が語り始める。


「順番が違うんだ。月瑤が身籠ったのは、霊亀の宿ったあとさ。それこそが、聖護子玄の姿を消した理由。下劣というのは、とても的確な表現だよ」


 びくっと聖賢の体が揺れた。一人で座ることもできなくなったのか、全身を理人に預けている。いまにも倒れてしまいそうだ。


(月瑤さまの望まぬ妊娠を強いたの? けど、皇女殿下なら政治的な婚姻よね。皇族には当然のことで、下劣とは言えない。嫌な婚姻だったとしても、聖護子玄さまが姿を隠すのは変だわ。傍で娘を守ろうと思うはず)


 皇族や地位のある者は、国交を目的とした婚姻を結ぶ。想う相手と結ばれることなど、まずない。しかも子を成したならば、相手との関係は、より強固になっただろう。

 それなのに、皇帝の聖護子玄が消えてしまったら、なんの意味もない。

 聖護子玄の消えた先を考えようとした、そのときだった。陵漣の肉体から、凄まじい熱気が放たれる。


「聖護子玄は、鳳凰国で自害した」


 場の空気に熱が迸った。想像していなかった言葉に、詩響は思わず声を漏らす。


「お亡くなりに、なっているのですか……?」


 つい出た詩響の言葉に、霊亀の身体は大きく震えた。詩響の頭も混乱し、説明を求めて鳳凰を見上げる。


「聖護子玄は、お前の下劣な行いに苦しみ、嘆き、死を望んだ。しかし、霊亀国内ではお前に守られ死ぬこともできない。だから鳳凰国へ来た。お前を恨みながら、奴は死んだ」


 責め立てる鳳凰の言葉に、霊亀は拳を握り震えていた。俯き、長い髪に隠された表情は見えない。細い肩は震え、手は縋るように腹を撫でている。

 弱弱しく、いまにも消え入りそうだった。母となり子を育てるには、不安を覚える。

 しかし、事情はどうあれ、月瑤は聖護子玄の娘だ。父として、傍で支えるべきだろう。詩響はようやく冷静さを取り戻し、鳳凰に一歩近づいた。


「聖護子玄さまは、なぜ自害を? このような状態で、月瑤さまを遺していくなんて」

「霊亀の下劣さに耐えかねたからだ。霊亀は、我が子を次期皇帝にすると決めた。月瑤の腹にいるのは、皇帝の実子だ」

「実子? 皇帝は聖護子玄さまですよね。月瑤さまの父君で――……え?」


 詩響は一瞬で『下劣』の意味を理解した。

 子も国も捨てて死んだ、月瑤の父であり皇帝の聖護子玄。創生の瑞獣を憎む、月瑤の兄であり皇子の聖賢。

 そして、月瑤の身籠った子は、皇帝である聖護子玄の子。月瑤は、聖護子玄の娘だ。


「まさか……霊亀は、月瑤さまのお身体を、使って……」


 詩響の身体は、動きが鈍くなった。古びた扉のように、ぎこちなく霊亀を見る。顔色一つ変えず、霊亀は月瑤の腹を撫でていた。

 母のように腹を撫でる姿に、怒りが湧き起こる。全員の怒りを現すように、鳳凰は強烈な熱を放出した。


「瑞獣は、人間と想いを交わすことなどない。だが、なにかの拍子に、特定の人間へ強い想い入れを持つことがある。それは家族愛であったり、友情であったり」


 鳳凰の剣の切っ先が、月瑤の腹に向けられる。そして、聞きたくない言葉が出た。


「――異性としての愛であったり」


 放たれる熱気はとまらない。涙を流す聖賢からも、同じような熱を感じた。


「天子は瑞獣に逆らえない。概念ではない。瑞獣が身体の支配権を握り、思うように動けなくなる。いまの、これのように」


 剣を握っていない左手が、陵漣の胸に置かれた。


「天子は瑞獣に従う。どんなに非人道的な命令であっても、瑞獣の意のままだ」

「では……聖護さまの自害は……」

「愛娘を絶望に突き落とし、禁忌を犯した罪の意識に耐えられなかった」


 聖賢が、わああ、と声をあげて泣いた。埃の積もる薄汚い床に、ぱたぱたと涙が飛び散る。悲痛な叫びは、詩響の胸にも突き刺さった。

 詩響の体温が上がる。鳳凰の熱か、はたまた自身の怒りからか。体内で炎が蠢き、怒りという爆薬に着火した。


「それが瑞獣のすることですか! 私欲で君臨するのが、創生の瑞獣なのですか!?」


 霊亀はなにも答えなかった。俯いたまま、腹を撫でるばかりだ。「うう」と、小さなうめき声が聞こえてくるけれど、嘆きすら不愉快だった。


「誰も同情などしません。残された民のためにも、あなたは消えるべきだわ!」


 霊亀国の荒廃ぶりは、復興などできない。したくもないだろう。霊亀による新たな統治など、従う民がいるはずはない。

 怒り任せに叫んだ詩響だったけれど、呼吸の整う前に、鳳凰は剣を鞘に納めた。

 鳳凰は陵漣の体で詩響の前に立ち、陵漣とは種類の違う、あくどい笑みを浮かべる。


「よく言った。ここからは、お前に任せよう」

「へ?」

「お前が霊亀を屠れ。そのために、お前を連れて来た」

「……え?」


 体の中で火花が散った。刺さるような熱さに、詩響はよろめく。しかし、力強い腕に抱き留められた。腕は、陵漣のものだった。


「大丈夫か、詩響」


 聴こえた言葉の旋律は、いつもの陵漣に戻っている。


「陵漣さま、ですね。はい。なんともありません。ですが、鳳凰陛下の役目とは……?」


 言うと、陵漣は血のにじむほど唇を噛んだ。震える拳で、自分の足を殴りつける。


「どういうつもりだ、鳳凰め! なにを考えている……!」

「え? 陵漣さまは、ご存じないのですか?」

「聞いてない! お前には対話を任せるとしか、言っていなかった!」


 陵漣は全身で怒りを訴えていた。いつも鳳凰への敬意を示しているのに、不快感どころではない、敵意を爆発させている。


「……許さんぞ、鳳凰」


 震えていた。陵漣の全身は、とてつもない怒りに満ちていた。

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