第13話 : 家庭科実技で“千華ボディの秀次”が無双してしまう回

 家庭科実技で“千華ボディの秀次”が無双してしまう回**


 五時間目。

 廊下に漂う甘い香りが、今日の授業内容を告げていた。


「はい今日はクッキー作りだぞ〜!

 班で協力して、焦がすなよ〜」


 家庭科教師の明るい声と同時に、調理室は一気に熱を帯びる。


「千華ちゃ〜ん、こっちこっち!」

「黒川さん、型抜き似合いそう〜」

「今日もかわいい〜!」


(……授業開始前なのに、すでに情報量の暴力……)


 秀次(千華ボディ)は、すでに精神力の三割ほどを失っていた。



「まずはバターを柔らかくして……

 砂糖と混ぜて……よし」


 手は迷いなく、流れるように動く。


 元々、秀次は“生活スキル高め男子”である。

 そのうえ千華の身体は、驚くほど器用で繊細だ。


(スプーンの角度が勝手に調整される……!?

 手首のしなりとか反則だろこれ!)


 生地はなめらかにまとまり、

 型抜きは均一・美麗。

 焼き加減も匂いだけで判断できるほどの冴え。


 オーブンから立ち上る香ばしい甘い匂いに、女子たちが騒ぎ出す。


「千華ちゃんプロでしょ!?」

「手つきやば……惚れる……」

「天使が料理してる……」


(惚れんな! 俺ただの一般庶民なんだが!?)



 焼きあがったクッキーを見たギャル友の一人が、目を見開いて叫ぶ。


「千華ちゃん!! このクオリティ、影山には絶対渡すなよ!!」


「えっ……!?」


「マジで!! あいつにだけは食べさせちゃダメ!!」

「何されるか分かんないから!」

「狙われてるのガチなんだから!!」


 その表情は冗談ではなく、本気の警戒そのもの。


 クッキーひとつにここまで拒絶反応を見せる意味。

 そこにある“影山”の存在の異常さ。


(影山……

 やっぱり普通じゃない……

 なんで学校全体が“危険人物”扱いなんだ……?)


 胸の奥がきゅう、と冷えていく。



 一方で男子たちは、クッキーの香りに釣られつつヒソヒソ話していた。


「黒川さん、顔良くて優しくて料理もできんの?最強じゃん」

「マジで付き合いたいレベル」

「いや結婚したい」

「それな」


(なぜ結婚がデフォルトルートみたいになってんだよ!!)


 秀次はクッキーを冷ましながら絶望していたが──

 その会話を、少し離れた場所で聞いていた人物がいた。


 ――秀次ボディの千華(中身)。


 男子の声を、千華は横顔のまま静かに聞いていた。


(……こんなふうに……言われてたんだ、私)


 人気は誇り。

 でも人気は圧でもある。


 自分が“記号として愛されていた”現実。

 いつからか千華は、そういう世界に疲れていた。


 でも──秀次の身体でその言葉を聞くと、

 胸の奥に、別の痛みが走った。


「……好意なのに、重いわね。

 なんでだろ……少し苦しい」


 その小さな呟きは、

 千華の心がほんの少し変わり始めている証だった。




「え? 焦げてる……?」

「焦げてるわよ!? 全面真っ黒よ!!」


「ま、まぁ……こういうのも味があるよな!?」


「ないわよ!!!」


 バターは溶けすぎ、

 砂糖は机に散り、

 生地は形を成さず、

 天板は真っ黒焦げ。


 クラス中から爆笑が起きる。


「田辺って不器用なのに頑張ってるの可愛くね?」

「分かる、なんか守りたくなる」


(“不器用で可愛い”……!?

 私、この身体でそんな評価……!?)


 千華(中身)は、人生初の評価軸に混乱していた。




 放課後。

 合流した二人は、神社へ向かう道を静かに歩いた。


 風の音だけが耳を撫でる。


 沈黙は重くなく、ただお互いの胸に整理すべき感情があった。


「……今日、色々あったな」


「ええ……色々ね」


 しばしの間ののち、千華(秀次ボディ)がぽつりと呟いた。


「男子たちの言葉……好意だって分かるのに……

 なんか、苦しかった。

 私、ずっと“人気”をただのノイズだと思ってたけど……

 ちゃんとした感情なんだって気づいたら、胸が重くなった」


「そっか……」


「……でも、分かったの。

 私、少し逃げてたんだと思う」


 どこか少しだけ、表情が大人びていた。


 入れ替わりという非日常が、

 千華の心をすこしずつ変えていく。


 そして秀次もまた、真剣な声で言う。


「影山のこと……今日も変だった。

 クラスの空気、明らかに普通じゃない。

 あいつ……マジで何かあるよ」


「……話すわ。

 でも、今じゃない」


「うん。待つよ」


 夜風がふたりの間を静かに揺らした。


 今日もまた、二人は少しだけ“お互いの重さ”を背負い合った。

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