第1章「諏訪」 第2話
2025.5.13 午前/諏訪大社・上社本宮
諏訪湖の霧はまるで眠りの続きのように薄く残っている。真理と桐生は諏訪大社・上社本宮を訪れていた。境内は凛とした静寂に包まれ、柔らかな木漏れ日が差し込む。
「さて、どんなお告げが待ってますかね」
「おみくじ引いとく?」
「それもお告げっちゃお告げっすけど」
桐生が何やら自慢げに左手を持ち上げた。手首には数珠のような趣味のよろしくないブレスレットが光っている。
「……ものすごく嫌な予感がするんだけど、一応聞くね。その素敵なブレスレットはなあに?」
「よくぞ聞いてくださいました!諏訪大社といえばパワースポット。そこで得られる霊力をマックスレベルにまで引き上げる、今巷で話題のスーパーアイテム“豪運君”です!
特にこの中央に配置された巨大水晶球が従来比500%の豪運を引き寄せ、家内安全商売繁盛、安産厄除け運勢アップと異次元の効果をもたらす逸品です!」
「……何でそんなのに引っかかったの?」
「失礼な!これは熊野の知られざる伝説の修験者、天雲上人がその霊力を込めた伝説の勾玉の近くにあったらしい水晶から作られたっぽい由緒あるお品ですぞ!」
「で、いくらで買ったの?」
「Amazonで1980円」
「高級品ね」
「ま、験を担ぐなら派手な方がいいっしょ」
二人は笑いながら鳥居をくぐった。
◇◇◇
桜舞う3月の研究室。SOPHIAが残した謎のメッセージのうち、数字は座標を示している事が分かった。長野県諏訪湖・水鏡が淵。謎のメッセージ以外のログは失われ、以来SOPHIAは沈黙を守る。
「桐生君。これ、どう思う?」
「ここに行け、って事じゃないっすか?AIのお告げに従って研究費が出るんならいいと思いますけど」
「そこに行けばSOPHIAの機嫌も治るかな?」
「諏訪の神様に祈ったら、ありがたいお告げが降ってくるかも」
「それいいわね。よし、予算の申請ならお手のものよ。見てなさい。がっぽりもぎ取ってあげるわ!」
不穏な言葉と共に浮かぶ真理の笑みは、魔女のそれを連想させる。
「……所長に同情するよ」
「そうと決まったら行動開始!音という音を観測できる機材、インターフェイスと得られる結果、その学術的価値を早急にまとめましょう。あと、“水鏡が淵”についての情報収集!諏訪大社にも詳細な文献が残ってる可能性があるから説明とアポ取りよろしく!」
「イエス、マアーム!」
◇◇◇
という経緯があり、今二人は諏訪大社の八重垣宮司に会うべく諏訪大社を訪れていた。鳥居をくぐると境内の空気が一瞬だけ鈍く震えた気がする。
視線の先、境内の奥から白い装束の男性が歩み寄って来た。60歳ぐらいだろうか。白くなった頭は老いよりも知性を感じさせる。
「おはようございます。八重垣宮司でいらっしゃいますか?電話で連絡をさせていただいた御堂と申します」
「おはようございます、桐生です」
八重垣は胡散臭そうな目で二人を見ると
「……八重垣だ」
一言だけを発してくるりと背を向け歩き出す。
「……ついて来い、って事?」
無言で進む八重垣を追う二人。たまにすれ違う神職や巫女の目が同情的に見えるのは気のせいだろうか。
「……入れ」
向こうを向いたままの八重垣に促され、社務所の奥へ。畳の香り、古びた木のきしみ。机の上には分厚い和綴じの文献が積まれていた。
八重垣が一番上に積まれていた文献を開き、二人の前に差し出す。いつの時代に書かれたものなのか、うねった文字は同じ日本語とは思えない。
「……“水鏡が淵”について書かれている。好きに読め。終わったらさっさと帰れ」
言い残すと八重垣は何処かへと去っていった。
「……感じ悪いっすね」
桐生が八重垣が出ていった方を見ながら素直な感想を口にした。
「お忙しいんでしょう。それにお願いしてるのはこっちだし。ご希望通り、手早く読ませていただきましょう」
真理が開かれたページを読み始める。そこには“水鏡が淵”にまつわる伝承が記されていた。
◇◇◇
その昔、村は未曾有の危機に晒されていた。ミカヅチヌシという怪異が夜な夜な村を襲い、いく人もの村人が食い殺された。困り果てた村人は諏訪の神に救いを求める。村長が社に祈りを捧げると、神のお告げと共に1枚の鏡が出現した。
曰く、「湖の声を聞き、鏡を掲げよ。その声が天に届く時、救いは訪れる」と。
湖の声が何なのか、村人の誰も見当がつかなかった。何度湖に掲げても鏡は応えず、その間にも被害は後を絶たない。
「思うに“ミカヅチヌシ”ってツキノワグマの事じゃないかしら?三日月がなまってミカヅチ、通常個体よりも大きいからヌシ」
「せっかく物語の中に入ってるんだから、冷める分析は後回しにして欲しいっす」
「ごめんごめん。じゃ、続けるわね」
そんなある日、村人の一人が明け方の諏訪湖で“声なき声”を聞いたという。村長は藁にもすがる思いでその場に赴き、鏡を掲げた。
すると“声なき声”に呼応した鏡が“音”を発し、天空を裂いて伸びる光の槍がミカヅチヌシを貫き村に平和をもたらした。
以後この地を「水鏡の淵」と呼ぶ。……というのが伝承のあらましである。
ちなみに鏡の“音”はまるで大地を震わせる鐘のような音であった、と書かれておりそれを“鳴金 (なるがね)”と呼ぶ。
「声ならぬ声、呼応する鏡と天を裂く光の槍。ロマンの塊だわ……」
「どこにでもありそうな日本昔ばなしの一つじゃないっすか?」
「他に面白そうなお話は載ってないかしら……」
真理がパラパラと古文書をめくる。
「これなんか面白そうじゃない?」
そこには物語というよりも、目を惹く一文が記されていた。
“天が地となり、地が天となる時、門が開く。黄泉の国は祝福の鐘を打ち鳴らし、七度の祝福を経て地は天に至る”
「何の事を言ってるんすかね?」
「前後の文脈がないから見当もつかないわ。でも、印象的じゃない?」
「先生の好きそうな感じですよね。厨二心くすぐられてるっしょ?」
「分かる?これをテーマにジブリが映画化してくれないかしら……」
「ラピュタ寄りのナウシカ、みたいな感じっすか?」
「惜しい!ナウシカ寄りのラピュタ!……ところで今気付いたんだけど、ここに出てくる“鐘”ってさっき読んだ“鳴金”と関係あったりするかな?」
「そんなバカな……と言いたいとこっすけど、同じ古文書に書かれてるからあながち否定もできないっす」
「諏訪の怪物を退治する鏡、発動すれば鐘が鳴って“門”が開く。で、今私たちの手元にはそれっぽい“鏡”がある、と」
「まさか先生?」
「やってみる価値はあるんじゃない?丁度ゲストもいらっしゃったし」
視線の先には不機嫌そうな顔でこちらに向かってくる八重垣の姿があった。
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