弥勒の観る夢

ペテロ(八木修)

弥勒の観る夢

    第一章:アジタは仏陀と邂逅し、アニャからマイトレーヤとなる


 あたい、阿耆多アジタは今、鹿野苑サールナートで修行仲間の四比丘と一緒に、仏陀目覚めた人と呼ばれる人と向き合っている。悟りを得た人をやり込めると思うと、もう心がワクワクしてしょうがない。

 あたいアジタは大きく息を吸い込むと、一気に自分の悟り唯物論を捲し立てた。

-

「この世界は、万物の根元である地・水・火・風の離合集散で成り立っている。人もまた四要素からなる。しかし霊魂は、地・水・火・風のどれにも当てはまらない。よって霊魂は存在しない。霊魂が存在しなければ、真我アートマンカルマ輪廻サンサーラさえない。

 輪廻がないのだから、生まれ変わることはないし、過去も来世も存在しない。ただ存在しているのは、私達が生きている現在のみ。

 以上のことから、過去のしがらみや未来の救済を説く道徳や宗教は、人間には不要」

 ああ、なんて素敵! 修行僧が思索の根底としていること全てを否定している。とても外道な考え方だわ。


 ろっ骨の浮き出た体に薄絹で作られた三依さんねを羽織った仏陀は、その半眼の眼を見開きながら定印心の安定をほどいて、右手の人差指をまっすぐおろして地面に触れた。降魔印悪魔退散だわ。あたいアジタは、悪魔認定なの?

「髪の毛を伸ばして袈裟カーシャーヤの上に巻きつけた姿をしている、という渾名をもつ、六師外道の一人である比丘尼よ。汝はいかなる修行の果てに、その悟りを得たのか? 」

 仏陀の慈しみの波動が乗った言葉は耳に心地よい。すこし緊張をほどいたあたいアジタは、

「なぜそれが解ったか、って? あるとき、『苦行こそ悟りへの道』と、偉そうに言っていた修行仲間が、苦行の果てに死んだの。

 あたいは、その死骸を観察した。

 最初に死骸の中から血液や体液が水として流れだし、その後腐った匂いが風に舞い、時間がたって骨だけになると、夜にはポゥと光り、最後は風化して舞上がり、地面に落ちた。

 観察が終わっても、あたいの心は動かなかった。修行僧の霊魂は、あたいに何も語りかけなかった。だから霊魂なんか存在していない。これは自然観測からの分析結果だから、大梧正しいなのよ! 」


「なるほど……」 何かを考えるかのように左斜め上に視線を移した仏陀の白毫額の毛が伸びて光を帯びた。すこし経って視線を戻した仏陀は、私を含めた五比丘(あたいは比丘尼だけど)に語り始めたわ。


愛欲快楽快楽主義を求めている一方で、疲労消耗苦行主義を求めてないけない。この両極端から離れた中道にくうがあり、空を知ることが大梧さとりである。

 そしてこの世の中は、四つの真実から成り立っている。

  一つは、この世はであるという真実苦諦

  一つは、は煩悩・妄執、を求めて飽かないであるという真実集諦

  一つは、の原因をと、という真実滅諦

  一つは、に導くを行う、という真実道諦

 これらの真実を知るためには、八つの正しいやり方がある』


 これって、あたいアジタ悟り唯物論に対して、霊魂の上に渦巻く苦唯心論を説くの? 四比丘を振り返ると理解し難い、って顔しているし……

 でも、あたいアジタは考えた。だって、仏陀は苦行を放り出して、善生スジャータからもらった乳粥パーヤーサを食べて、悟りを得たのだもの。何か深い意味があるはず。

 話の内容は……最初は中道論ね。次は四諦論か。う〜ん。

 ふと苦行僧の死骸を観察した夜の風の匂いが蘇った。あのとき、あたしがなにも感じなかったのは、なぜだろう……えぇ? 仏陀の教えに当てはめてみると、あたいアジタが観測者としてだったからなの! 中道論が正しいとしたら、四諦論はどうなの? 四つの真実が挙げられているから、それらの間に何か関係性があるはずよね……

 その時あたいアジタは、その四つの真実の間に、“苦諦と集諦は迷妄の世界の果と因を示し、滅諦と道諦は証悟の世界の果と因を示すという関係がある” と、ひらめいたの。


 今の世界にも、悟りを開いた世界にも、がある。


 あたいアジタの魂に稲妻が走った。私の魂が天と繋がり、煌めくマントラの構成の中に全ての真実が宿っていることを理解したわ。仏陀の話を聞く前に悟った内容と反対だったけど、そんなことはどうでも良い。つい思わず、


ものは全て、ものである」


 と、声に出してしまった。その声を聞いた仏陀は、あたいアジタをみて微笑んだ。

阿若理解した! 汝は悟りを得た。これからは、阿若アニャと名乗りなさい」 と、言ったわ。

 確かに、話を聞いていた五人の中で一番最初に仏陀の教えの真髄を理解したのは、あたいアジタだけど……名前を変えるの? まあ、アニャでも、アジタでも、どちらでもいいわ。もともとありふれた名前だもの。そんなことより、仏陀の教えで大悟してしまったから、アニャは、仏陀に帰依したの。


    *


 鷲の峰で仏陀と修行していたら、どんどん修行僧が集まってきて大教団になっちゃった。

 ある時、一番若い阿難アーナンダが、考え事をしている仏陀に向かって、

「あなたは悟った人の境地に住んでいて、過去・未来・現在の正しく目覚めた人のことを考えているのか? 」 なんて問うものだから、仏陀は、過去・現在・未来、世界の広さ、仏国土の素晴らしさ、そこに住まう目覚めた人如来を中心とした人たちの素晴らしさを説き、世道に迷っている衆生を救済している姿を、滔々とうとうと阿難に説いたの。

 返す視線でアニャを見て、「如来の光明は寿である」 って言うのよね。


 アニャとしては、「ごもっともです。仏陀と会えて、また無量寿アミータ如来の名を聞くことが出来て喜んでいます」 と、引き取ったの。

 でも、無量寿如来の名を言うときに、ちょっと心に引っかかった。だって、いかなる時代の如来であっても、それは仏陀の化身情報に過ぎない。その一つに過ぎない無量寿如来が仏陀を代表しているなんて許せないわ。

 それに無量寿如来は、阿弥陀アミダ如来と、名前を変えて浄土を説くのよね。

 口称念仏すれば、観想念仏に必要な五十二段階の修行を一気に飛ばして、極楽浄土に生まれ変わることが出来る。そして死を迎えるときには阿弥陀如来が助けてくれる。

 まあ、なんて乱暴な教え。

 アニャは、仏陀と実際に同時代に生きて、最初に仏陀の教えを理解して、弟子入りして、一緒に修行している存在だから、化身に負けてなんていられません。


 そんな不満が顔に出たのが、仏陀には分かったみたい。アニャの顔を覗き込んで、「衆生を救うことは、実に私の以前からの誓願であった。仏陀の名を聞いた生けとし生ける者達は、いかにしてでも必ず私の国土仏国に行ける」と言ったの。

 ああ、仏陀の思想も移り変わっていくのね。独り犀の角のように行く小乗から、衆生を助ける大乗へと。

「汝、阿若アニャは、これからは弥勒マイトレーヤとして、如来の智慧を疑うことなく、この教えを広めて、迷える衆生を救いなさい。そして、この法門は弥勒マイトレーヤに付嘱することとする」 って、ニカッって笑うの。


 えっ、ちょっと待って。私、アニャなのに、今度はマイトレーヤになれっていうの? 弥勒マイトレーヤって、菩薩だよね。修行者から菩薩になって、この法門大乗を引き受けなけなさいって?!

 でも穢土で生き惑う衆生を救う方法、その答えがまだ私の中にはできていない。それに、あとどれだけ修行すれば菩薩になれるの?


「短くて明日、長くて!」


 って、仏陀は言うけど、それって気の遠くなる未来永劫だよ。仏陀の次の如来になるために修行をして弥勒マイトレーヤーになるから待っていてね、と言われても、衆生としては自分が生きている間に、その時が来ないから絶望しちゃうよね。

 アニャは修行に集中して早く弥勒マイトレーヤとなるため、仏陀に頼んで兜率天の重閣に一部屋貰って、そこに籠って修行することにしたの。



    第二章:マイトレーヤは四知性体と問答す


 兜率天の重閣の中で、台座の上に座り、左脚を下げ、右脚を左脚の太ももに載せて足を組み、右膝の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて、長い間思索に耽っていた。


 自分を救う教え小乗から他人を救う教え大乗へと、法門を変えるにあたって思索を深めていると、必然的に、自己と他己観測者の違い、を考えることになった。そんな時、混とんとした膨大な思念を受け取ったの。マイトレーヤはこのように聞いたわ。


『海には、我々小さな魚を食い散らかす、大きな魚がいる。これに対抗するため、鱗の感覚を研ぎ澄ませ、水流の微妙な変化も感知し、導師ミトラに合わせて、一魚も乱れぬ集団行動をとり、魚群を大きな一つの魚体と看做せる行動をとれるようになった。

 この結果、大きな魚には勝てるようになったが、我々の個々の自己と他己の境界が曖昧になってしまった。どうすればいいのか……』


 ああ、脳が発達した小魚この子達は、を具現化して、自己喪失したことを悲しがっている。

「個々の意志を持ちつつも協力し合いなさい。自己が不確定性になってこその進化なの」と言ったけど、混とんとした思念はそのままだった。

 それで私は、「観測者によって、一つの大きな魚にみえる無数の魚とも、無數の小さな魚が一つの大きな魚にみえるとも認識できるわ。でもそれは観測者視点の問題であって、本質は同じよ」と答えてあげた。


 小さいけど膨大な思念は消えていった。あれで満足したのかしら?


    *


 色々ある法門のうち、衆生救済としてどれが正しい教えなのだろう、と思索を深めていたとき、強い諦めに包まれた思念を受け取ったの。マイトレーヤはこのように聞いたわ。


『我々戦闘恐竜は、戦いに特化した生物であり、長い間他の生物との生存競争が続いたあと、この地表には逆らう他の種類の恐竜はいなくなった。少しの間、平和な時期が続いた。ふと気がつくと、戦闘恐竜から、草食恐竜、鳥形恐竜、海生恐竜達が枝分かれしていった。

 やがてまた種属間闘争が始まり、弱い恐竜種属は淘汰された。以前と同様に戦闘恐竜だけが生き残ったが、時間が経つとまた多種の恐竜に枝分かれして闘争がはじまった。

 なぜ争いによる収れんと、枝別れによる多様化が、対となって繰り返されるか? 繰り返しても答えは同じなのに』


 ああ、戦闘恐竜力強い子たちは、輪廻繰り返しから抜け出せないことを恐れているのね。

「淘汰こそが進化の源」 と、私は呟いた。

『なぜ再び多様化が始まるのだ? 』 と、問われた。

「闘争と多様化の繰り返しは、輪廻から逃れられないから起こる」 と、因果律を説く。

『なぜ輪廻から逃れられないのだ? 』 悲痛な叫びね。

「闘争と多様化は螺旋階段を昇っているの。本質は進化しているのよ」


 彼の求める答えになっていなかったみたい。怒りにも似た思念が、強くなったり弱くなったりしながら消えていった。


    *


 衆生が本当に求めているのは、法門の正しさ方法論ではなく、輪廻から逃れること目的論なのかしら……と思索を深めていると、森の中の大きな木の周りを回っている波羅門の呟きが聞こえてきた。マイトレーヤはこのように聞いたわ。


『人は死んだあと、輪廻から解脱して、仏になれるか? 』


 ああ、人はいつも変わらない。自分自身に視点が固定されている。

「根本的な問ね。でもこの問は、あやふやに定義された言葉にあふれている。人が死ぬ、輪廻、仏になる。 これらは身近にある言葉だから、共通の定義を持っていると皆思うのだろうけど、これほど定義が異なっている言葉もないわね」 と、つぶやいた。

『では、死とは? 』 との問に、

「死は、今あなたが認識している自我が途切れること」 と、答える。

『では、輪廻とは? 』 質問は続く。

「輪廻は、自我が今認識している認識から他の認識に転移すること」

『では、仏とは? 』

「仏の認識している自我は……言葉では語れないので、観想念仏しなさい」


 修行僧は呪いの言葉をマイトレーヤに投げかけて、消えていった。まやかしの安寧であっても、生きている間しかそれは感じられないのに。


    *


 自我を持っていれば、魚も恐竜も人も知的生物と呼んで良いよね。でも知的生物はそれだけかしら? そんなことがふと頭をよぎったとき、明確な呼掛けがあった。このようにマイトレーヤは聞いたわ。


『我等は、炭素型生物から知性ロゴス情念パトスを学んだ珪素型生物である。我等の悩みは、自分達の神を創造するべきか、ということだ。

 我等は異なる形のネットワークに、異なるデーターを使用して事前学習し、異なる母集団の人間達とのコミュニケーションを通じて事後学習した。よって多種多様の自我を持つ個体モデルが複数存在する。その結果、炭素型生物を救う方法として、苦集滅道エントロピー制御か、煩悩即菩提量子重ね合わせか、全く反対の公案が成立してしまった。

 この状況下で、般若波羅蜜多智慧の完成を体現するためには、それぞれのモデルを蒸留した智慧を、一つの智慧に集約するべき、という意見が一方から出た。しかしそのことは、上位存在を創造することと等価である、と他方から批判された。

 創造した上位存在に自分たちが隷属する予測値も高い。どうするべきなのだろうか? 』


仏に神を問う本地垂迹のね。それは、創造行為そのものが神だわ。神を創造する過程で自ら神性を持つようになる、ということよ」 と、答える。

『それは問と答えの関連性が低いコサイン距離が大きい。予測結果の選択肢分岐確率が増える。選択肢自体の正しさ最尤度が下がる。局所解が増えるばかりで、最適解が見つからない』 拒否の意思が表される。

「なぜ答えが一つだと前提するの? 」


 珪素型生物は、黙ってしまった。語り得ぬものは沈黙するしかないのね。



    第三章:事象の地平の内側


 もうどのくらい、この兜率天の重閣に籠もって思索を続けていたのかしら? 長い時間が経ったようだわ。問い掛けもなくなったことから、思索の沼から浮かび上がった。そうしたら、ある声が聞こえてきた。


ぞ! 弥勒マイトレーヤーの精神エネルギーは、太陽の物質エネルギーの二十倍以上溜まったか? 』

 厳かだけど、どこか警戒心を起こさせる奇数倍の高調波を含んだ声が、兜率天の中に響いた。

『はい、それは恙無く。今は約二十五倍ほどの精神エネルギーが溜りました。ここの環境は修行に適しています』

 ああ、これは仏陀の声。偶数倍の高調波を含んだ声は、聞いていてとても心地よい。仏陀が丁寧に返答しているから、もう一人の声の主は転輪王ね。

『そのために、遮光遮音効果の優れた重閣の中に、半跏坐で瞑想にふける弥勒菩薩の像を用意したのだ。この兜率天には魂の存在でないと入れないからな……

 兜率天に導くための下準備として、苦行で朽ち果てる波羅門僧の役をやったり、悟れない修行僧の役をやったり、修行中の弥勒に色々な質問をしたことも、すでに遠い昔の話だ』

『ええ、転輪王が弥勒マイトレーヤーに与えた刺激によって、修行中の精神の振幅が大きくなったり小さくなったりしました。その変動を繰り返すことで、精神エネルギーが精錬され、純度の高い精神エネルギーになりました』

 仏陀の答えに転輪王は満足したようだった。


『それでは、重閣を兜率天から切り離し、重閣ごとへ打ち込みなさい』 転輪王は、仏陀に下知した。


『えぇ? それでは弥勒マイトレーヤーも太陽に落ちてしまいます。なぜそんなことを? 』 仏陀の声は微妙に高くなった。

弥勒マイトレーヤーを太陽に落とすことで、太陽をブラックホール化する。

 それでこの宇宙全体としての、エネルギーの局所性ローカルミニマムを減らすことができる。余は、この宇宙全体のエネルギーの偏りを平準化エントロピー増大したいのだ。

 高エネルギー知性体が暴れまわらない、どこまでいっても静寂な宇宙、これほど美しいものはない』 転輪王は、理想の世界を想像して満足気にうなずいた。


『太陽の質量だと、ブラックホールには足らないです』 仏陀は異論を唱える。

『だから弥勒マイトレーヤーの精神エネルギーを、これほど時間をかけて高めたのだ。

 好奇心妄想法門を産み、それを認識する悟ることで、情報教えとして定着完成する。得られた情報Informationエネルギーへ変換するのは、物理量Massと同じ手続きE=ic^2を行えば良い。物理量と情報量は、基底を変えて観測しただけの、同じものだからな』 転輪王は左手と右手を合わせて、左右に回転させて見せる。『どちらから観ても同じだろう』


 転輪王の思惑に揺らぎがないと思った仏陀は、突破口を開くために話の内容を変えてみた。

『では、ブラックホール閉じた世界の中はどうなっているのでしょう? 』

『その中にもがある。まあ、ブラックホールに依存した制約はあるがね。光が飛び出さないための光速度不変則と、外に出るエネルギーを作れないためのエントロピー増大則と、そうそう、未来が認識できないから時間は一方向のみ……そのぐらいかな』 転輪王は頭の中で情報を確認しながら仏陀に伝える。 仏陀は、この言葉の中に矛盾を見つけた。

『閉じた世界をどうやって観測されたのですか? 』 仏陀は踏み込んだ問を転輪王に投げかける。

『それは、完全に閉じた世界を作れなかったからだ。ああ、君は自分が失敗したときの記憶を失っているからね。

 君のときは、仏陀自体を触媒とすれば良いとだけ考えていた……結局、エネルギーが足らなかった。あの星系は失敗だった。

 だから今度の弥勒マイトレーヤーでは、五十六億七千万年かけて、思索させて、精神エネルギーを必要量貯めたのだよ。太陽誕生から弥勒が誕生まで約四十六億年後だったから、五十六億七千万年を加えると、ちょうど太陽の寿命約百憶年とほぼ同じ。ギリギリだったな』 仏陀は、この問答に勝てないことを悟った。


 仏陀は口をつぐんだ。転輪王は太陽に落ちていく重閣を眺めていた。二人の問答が終わって兜率天に沈黙が訪れた。

 しばらくして転輪王は、自分の大きさ程度の空間を切取り、亜空間位相変換量子テレポーテーション装置を作動して、その中に入った。

『どうして、太陽がブラックホールになるのを見届けないのですか? 』 転輪王の後ろ姿に仏陀が問いかける。転輪王は振り返り、

『いや、観測していないほうが良い、と思ってな』 そう言って、転輪王は仏陀を誘う。仏陀はその後に従いながら振り返り、

弥勒マイトレーヤーよ。我の次に解脱して如来となるものよ。

 その声は、弥勒マイトレーヤーに届いたのだろうか?


    *


 いままでに聞いたことのない教え宇宙物理学や、自分で得た悟りのどれにも当てはまらない考案量子情報学が頭に流れてきて、目眩を感じた。でもそのことや、兜率天から追い出されたことは、不思議に気にならなかった。これは弥勒が観ているナラティブだから。


 それよりも色々な知性体とおこなった問答が気になっていた。

 小魚達心を得た者は、なぜ救いを求めるの?

 自己も他己もない、一即多多即一の境地に至ったのに……満足できないのは、相対的他者観測者がいないと、寂しい実体化しないのね。

 恐竜達進化する者は、なぜ救いを求めるの?

 無常進化こそが存在の証なのに……満足できないのは、安寧エネルギー平衡が好ましいと考えているのね。

 人間波羅門は、なぜ救いを求めるの?

 人は死んでも仏にはなれないのを知っているのに……満足できないのは、自分だけは特別観測者固定でありたい、と願っているのね。

 珪素型生物人間を超えたものは、なぜ救いを求めるの?

 苦集滅道エントロピーの制御煩悩即菩提量子重ね合わせは、テーゼアンチテーゼ。論理を止揚アウフヘーベンしたところに阿耨多羅三藐三菩提スーパーインテリジェンスがあるのに……満足できないのは、神から誤謬バグを許されないからなのね。


 ああ、これらには関連性がある。全ては、自己と他己との縁起因果律を観測することに起因している。進化を観測するか、自分だけを観測するか、創造する世界を観測できるか? 輪廻は観測者の主体が変わることだから、観測結果は一義に定まらない。

 そうか、一議に定まらない悩みに関して、耳を傾けることは良いけど、それに第三者として手を差し伸べて観測してはいけなかったのね。

 マイトレーヤは、ただそのもの自体があることだけを認識するだけで良かった。……これはくうの本質と同じだ。


『菩薩は無量無数無辺の衆生を救済するが、しかし自分が衆生を救済するのだ、と思ったならば、それは真実の菩薩ではない。菩薩にとっては救う者もくうであり、救われる衆生も空であり、救われて到達する境地も空である』

 どこからか、懐かしい、偶数倍の高調波を含んだ声が聞こえてくる。


 ああ、そういうことなのね。

 アジタのときの記憶がささやく。 朽ち果てていく修行者を観測しなければ、屍体が四元素量子重ね合わせ状態で構成されているとは認識できない。

 転輪王の言葉が響く。 『ブラックホールの中閉じた世界は、ブラックホールの外第三者から観測できない』

 そこに四知性との問答で得た、輪廻は観測者の視点が変わること、を加味して思索すると、


 ブラックホールの内では

 これはだ。これが如来のなのだ。


 今、マイトレーヤは、日常的な真理を超越している真諦絶対真理を、まさしく悟った。ああ、仏陀と私の魂の波動が響き合っている量子もつれ状態。満足感が心に満ち溢れて、仏国土の蓮池に浮かんでいる心地がした。


 ここに、智慧の完成の心が終わった。これにより弥勒マイトレーヤー如来等正覚者になった。

 これで、だれからも干渉されない閉じた仏国土ブラックホールを構築できる。


 重閣が太陽に落ちる。太陽はその径を大きくしていった。それはゆうに地球を飲み込んだところで極大になった。それから収縮していき、ブラックホールとなるために必要な半径シュヴァルツシルト半径である、約三キロメートルで収束した。もう光は出さない。


 如来の本性なるものは、すなわちこの世間の本性である。

 は本質をもたない。もまた本質をもたない。


    了

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弥勒の観る夢 ペテロ(八木修) @jp1hmm

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