第38話 弱者に刻まれる印


 永遠は、博士たちと別れてからの出来事を、ひとつずつ探り当てるように語り始めた。


「……博士達と別れた後、二人でショッピングモールに行って……そこでも、びっくりさせられるようなことがあったけど、楽しかったです。瑠璃乃と一緒にいると、やっぱり緊張もするけど、安心と楽しさを貰えました……」


 弥生は穏やかに頬を緩め、博士は真顔で重々しく相づちを打つ。

 そのどちらも、永遠を急かさないための、深い配慮だった。


「それで、いろいろあって、散歩しながら駄菓子屋さんに行くことになったんです。駄菓子屋さんって言っても、僕が小さい頃からある個人の人がやってるコンビニみたいなお店なんですけど。で、そこで梅子ちゃんに……あっ⁉ フォルティスさんが梅子ちゃんだってこと、言ってよかったんでしたっけ⁉」


 永遠が慌てて身を固くする。

 梅子が彼らの前で見せていたのは“フォルティス”としての姿だけだった。

 その境界を踏み越えてしまったかもしれない、と永遠は血の気を失う。


 二人は意外なほど素直に驚いた。


「……という事は、土井中商店に行ったのね?」


「え、ええ……はいっ」


「怒られた?」


「怒られて……は無いですっ」


「追い出された?」


「いえいえそんな! むしろ歓迎してくれました。晩ごはんもご馳走になる予定だったぐらいで……」


 博士と弥生が顔を見合わせたまま固まる。

 永遠はその反応に、ますますアワアワと狼狽する。


 やがて、弥生がぷつりと堰を切ったように、はにかんだ笑みを浮かべた。


「うふふっ♪ 安心して。“まな”? がフォルティスちゃんで、“とおりな”が梅子ちゃん。ここぞっていう時に変身するのよね?」


 軽やかな声だった。

 永遠の不安をほどくためだけの、絶妙に柔らかい声音。


「……あ、はい。その解釈で合ってると思います……」


 博士も低く笑う。


「いやはや、思わぬ形で良好な関係を築いていたようで何よりだ」


 その穏やかな眼差しに、永遠は胸を撫で下ろす。


「ほっ……安心しました……。……あっ、それから何やかんやで家に上げてもらえて、すごく仲良くしてもらって。瑠璃乃もすっかりお友達になってました……」


 永遠がほっこりと嬉しそうに言った瞬間、博士の両目がギョッと大きく見開かれた。


「友達……だと……?」


 唸るように、腹の底から搾り出すような声。

 永遠は訝しげに身を引きながら答える。


「ええ、はい……友達……です……ね?」


 その瞬間だった。

 博士は永遠がびくつくほど勢いよく涙をあふれさせた。


 まるで蛇口を全開にしたように、床に滴り落ちる涙。

 永遠は完全に戸惑い、一歩引く。


 弥生が淡々とハンカチを差し出し、博士は“チーン”と大きな音を立てて鼻をかみ、多少スッキリした顔つきで戻ってきた。


「……いや、すまない。この子に友達ができ……くゥッッ!」


 再び感極まり、言葉を継げなくなって肩を震わせる博士。


「もう、博士。いちいち泣いてたら、これから先もちませんよ? 干からびちゃってもジュースは節約なんですからガマンしてください」


 新しいハンカチを弥生が淡々と渡し、博士はもう一度鼻をかむ。

 ようやく落ち着きを取り戻すと、真剣に頷いた。


「……度々すまない。どうか続けてくれ。梅子君に会ったということは、加藍君とも?」


「ええ、はい。久しぶりに歳の近い同性の人と怖がらずに仲良くできて、うれしかったです。あははっ……」


 その笑みは、照れの奥に確かな喜びが滲んでいた。


「じゃあ、永遠くんと加藍くんも友達ね」


「……友達……ですかね?」


「きっと加藍くんはそう思ってるはずよ」


「いや……あははっ……」


 後頭部を掻きながら照れ隠しをする永遠。その表情は明るい。


「……ああ、えっと……それからですね、それも梅子ちゃんが瑠璃乃のために選んでくれたお土産なんですよ」


 永遠は机の上に置かれた綿アメの袋へ視線をやった。

 倒れた時に擦れて少し土がついてしまっている。


「まあ、そうなの?」


「ならば綺麗にして後で渡してやらねばな。……ぐすっ……」


「……そうですね。……ふふっ、それから瑠璃乃が売り物のコロッケをつい全部食べちゃって、みんなで山盛りのコロッケ作ったんですよ」


 永遠の語りは、淡い光をまとって続く。


「美味しくて懐かしいコーラを一緒に飲んで……」


 控えめな身振り手振りを交えながら。


「お昼の新喜劇みたいなことしたり……」


 博士も弥生も素直に笑い、大きく頷きながら聞いてくれるその姿に、永遠もまた温かくなる。


「ちょっとした早とちりと勘違いで加藍さんの逆鱗に触れちゃって……」


 だが、その瞬間に自分の声がわずかに沈んだことに、永遠自身が気づいた。

 笑って話しているつもりなのに、胸の奥の何かがざわめく。


 博士たちの表情の変化が、それを雄弁に示していた。


 永遠は口を閉ざし、膝の上でぎゅっと拳を握る。

 視線が徐々に下へ下がり、肩が縮こまっていく。


 静かだが確かな待つ時間が流れた。


 10秒。


 20秒。


 博士も弥生も、焦らない。

 永遠が自分で自分の言葉にたどり着けるよう、ただ寄り添って待った。


 やがて永遠は、呟きにもならないほど小さな声で口を開いた。


「……みんな……すいかミルクが好きなのに……」


 意味の取りづらい独白だった。

 けれど博士も弥生も、続きを急かさず、彼の心が開くまでは静かに耳を澄ませた。


「……納得はできません」


 はっきりとした言葉だった。

 出だしは震えていたが、その震えの奥には、押し殺してきた怒りがあった。


 卑下や恐怖ではなく、倫理としての怒り。

 弱者の立場を利用して抑え込まれてきた声が、ようやく漏れ出したのだ。


 永遠は視線を合わせられないまま、二人の温度を探るように息を吸った。


 否定されるのではないか。

 甘えていると思われるのではないか。


 恐怖が喉の奥に張り付いていた。


 しかし、返ってきた空気は真逆だった。

 二人は穏やかで、寛容で、まるで、ここにいていいと示すような柔らかな表情を浮かべていた。


 永遠は、それでようやく覚悟を決める。


「……梅子ちゃんが……ペネトレーターが弱い存在だからって、あんなに酷い言葉を投げつけることは許されないと僕は思います」


 俯いたままの永遠の声は、かすかに震え、しかし芯が通っていた。


 博士と弥生の胸の奥に、静かな感動が広がる。

 永遠が“助走を止めなかった”ことが、本当に嬉しかった。


 たとえどんなに弱っていても。

 酷い目に遭っても。

 永遠は自分の道を自分で歩こうとしている。


 博士は姿勢を少し前に傾け、耳を傾ける態勢を整えた。

 メガネに表示された社長からのメッセージに最低限の返答をし、その後は永遠に集中する。


「……在宅のこと、僕なりですけど調べてみました。頭わるいから、細かいことまで理解できませんでした。けど、赤木さんの言うとおりだったんだなって事ぐらいは分かりました」


 永遠の語る言葉は、重く、しかし確かに前へ進んでいた。

 自分がどう見られているのか。

 自分のいる社会構造がどうなっているのか。

 知ることは痛みを伴う。

 それでも永遠は目を逸らさなかった。


 ペネトレーターの道を選び、瑠璃乃と歩く今。

 もとの世界よりはるかに楽になった。

 安心して笑える日も増えた。


 けれど、同時に知ってしまったのだ。


 自分たちが社会にどう扱われているのかを。


「……ハルジオンっていう世界一大きな力を持った企業が、弱った国の代わりに、障害や個性と共存して生きていくことを選んだ人達と、僕みたいな2b8患者を支える……ってことですよね?」


「……ええ」


「……ハルジオンは、現代文明の担い手だって。それで、国より強い力を持ってて、だから国も自分達の手からこぼれてしまう弱者を助けるのをハルジオンに許した……ですよね?」


「……その通りだ」


 永遠はさらに続けた。

 声は低く、痛みが滲む。


「……でも、無条件じゃなかった。好きにさせる代わりに、ハルジオンが決めた弱者には監視システムへの強制登録を義務づけた……。普通の人は監視カメラに映っても、個人情報は表示されないけど、僕達は違う。目印が付けられる。……この人は“ハルジオンの弱者”ですよって分かり易い表示で……。指名手配犯と同じように……」


 正確だった。

 そして痛ましいほどの理解の深さだった。


 博士も弥生も否定できない。

 沈黙が、それを証明していた。


「……僕等のシルエットの横には、逮捕歴とほとんど同じって扱われる情報が刻まれてしまう……。比喩らしいですけど、普通の人が持ってるイメージは、ほとんどそれと同じだってありました。自分の端末としてスマートコンタクトを選ぶ人は多いんですよね? 僕は目に物入れるのが怖いし、必要も無かったから違いますけど、最新の調査だと、僕ら世代の人の半分以上が着けてるってありました……」


 永遠の胸が音を立てて縮む。


「だから、僕、目立つようになってたんですね。前は被害妄想で他人の視線を頭の中で作って集めてました。でも、今は妄想なんかじゃなくなってて……。馬鹿にして嘲笑ってる人は本当に嘲笑ってて……。見下されてて、目が合っちゃったら睨まれて……」


 俯いた永遠の拳が震える。


 博士は、無意識に座る角度を永遠の方へ向けた。

 ここにいると示すように。


「……もう、僕は普通の人として見てもらえなくなった……。緊急地震速報とかテロ情報とかといっしょで、受診拒否できなくて、無理矢理にコンタクトの視界に表示される情報……それと僕等は同じなんですね……」


 博士は痛みに眉を寄せる。

 言葉を探すが、どれも薄っぺらく感じて口に出せない。


 そして、変化が起きた。


 永遠の震えが、不自然なほどすっと止まったのだ。


 博士は気づいた。

 見えなくても、永遠の中に瑠璃乃がいる。


 眠っているのに、彼を支える何かが、確かに寄り添っている。


 永遠の口元が、ふわりと緩んだ。

 そして、強い意思を宿すように表情を引き締めた。

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