第6話 窮地に踏み出す一歩の価値は


 体力測定の結果を目にした永遠は、思わずその場で膝を折り、地面に突っ伏した。

 まさに「orz」の姿勢で。

 愕然とした気持ちがそのまま体に現れていた。


「博士も言ってたよ。谷底にいるなら、あとはノリシオしかないって。永遠はこれからの子なんだよ!」


 瑠璃乃は忌憚のない表情でそう言い、弾けるような笑顔を永遠に向ける。

 永遠はぽかんと口を開け、間抜けな顔で彼女を見上げた。


(……伸びしろしかない、か)


 しばらくして、永遠はふっと笑い声を漏らし、柔らかい笑みを返す。


「そうだね。もし次があったら、もう少しは“できる子”になっていたいね」


「うん! そ、それなら……わたしが永遠に金メダルをかけてあげなくもなくもないからね!」


 恥ずかしそうにそっぽを向きながらも、頬は赤く、口元は緩んでいる。


 励まされた永遠の胸に浮かぶのは、“なりたい自分”の姿だった。


 思い出すのは、巨凶に追い詰められて闇に沈んだときに見た、あの途方もなく大きな自分……理想像とすべき姿かどうかは分からないが、あの存在から力を分けてもらったような気がする。

 でなければ、あのとき再起できた理由が説明できない。


 だが彼のようなゴリマッチョに憧れているわけでもない。

 けれど、誰かを奮い立たせられる強さの一因が“あの筋肉”にあるのなら……。

 体力測定の散々な結果を思えば、少しは鍛えた方がいいのかもしれない。

 瑠璃乃との差を思い知らされた悔しさもあった。

 落ち込むだけじゃなく、一歩でも前へ。


 家に帰ったらスクワットでもやってみよう。

 永遠は、そう小さく決意した。




 ◆ ◆ ◆ ◆ 




 いろいろあって、なんやかんやで導き出された単純明快な結論は一つだった。


「瑠璃乃はすごいな~!」


「やった! 永遠、わたしすごいって! 勝利のブイだね! もうブイブイだね!」


 両手で作ったピースサインをかち合わせ、まるで幼い子供のように飛び跳ねる瑠璃乃。

 何をやっても結局「すごい」の一言で褒められてしまう彼女。

 だが同時に、自分との差を痛感し、不安も拭いきれない。


 今まで相手にしてきたエイオンベートを思えば、この程度では足りないと分かっているからだ。


 複雑な眼差しの奥に、永遠は思いを抱く。

 

(これも代償かな……)


 胸の奥に沈殿する、言葉にできない不安。

 エイオンベートを相手にしなければいけないと思うと、体力測定の結果なんて戯れにすぎないと痛感しているからこそ、複雑な思いが胸に渦巻く。


 そんな彼の顔を窺ってから、博士が水を向ける。


「……ふむ。永遠、驚かないで聞いてくれ。彼女は人智を超えた身体能力を持っている」


「……それは僕もこの目で見てますけど?」


「理解が早くて助かる。これを見てくれ」


 博士の端末には、数値と筋肉断面図のような専門画像が次々と映し出される。


「……数字と……筋肉の断面図? それぐらいしか分かりません……ね」


「ああ。詳しい説明は省くが、第一に筋肉を構成する組織の密度と性質が一般的なヒトとのそれに差違がみられるそれを考慮した上で生理学的断面積から絶対筋力を計算すると1平方メートルあたり100㎏を上回っている合わせて神経系の発達と発火と伝達速度も驚異的に速く同時に収縮させられる筋繊維は全身くまなくと言っても過言ではないミオスタチン関連筋肉肥大というギフトを持って生まれた友人すら遥かに凌駕する運動能力はとてもここにある器具では正確には計れない……というのが私の見解だ」

 

「……なるほど」

 

 永遠は、さも理解したように頷いた。

 

(うん、瑠璃乃はすごい! 偉いってことだな。うん、それでいいや)


 博士の説明の大半は分からない。

 けれど「すごい」という結論だけは、全身を使って理解できた。


「っていうか、そんな便利な機械があるなら体力測定しなくてもよかったんじゃ?」


「永遠よ。何事も様式美というものがあるのだ」


 博士は突然スイッチが入ったように胸を張る。


「例えば相撲。様式美を取り払ったら、太ましい男同士が汗を滴らせながら情熱的に触れ合う……とてもお茶の間で放送できないものになってしまう。様式美は本質と同じくらい大事なんだ。私だって白衣がなければ、ただの入院患者にしか見えないだろう?」


(むしろ普段からそうにしか見えてません)


「言い換えれば、白衣一つで威厳と権威を演出できるのだ。フハハッ!」


 永遠はその暴走を止めることもできず、曖昧にうなずくしかなかった。


「さて、話は変わるが、この場所に連れてきたのにはもう一つ理由がある」


「はい?」


「これを見てくれ」


 博士が新しいグラフを示し始めた……が、永遠には棒と円が並んでいる以外何もわからない。


(毎回ていねいに見せてくれるのは嬉しいけど、僕に分かると思ってるのかな……)


 そのときだった。


「あ、レジリエンス確認しました。柱が立ちます。同時に、震源域エネルギーに変換開始しました」


 弥生がそうやって報告を入れると同時に、光が立った。

 遠く。

 空まで貫く濃紫の光柱が突如として立ち上った。

 光柱はゆらぎ、風に揺れる炎のように艶めいている。


「きれいだね~」


 瑠璃乃の呟きに、博士も静かに頷く。


「相手にするものの源が、負の感情一色とは限らない。人の心は白と黒ではなく、曖昧なグレーのことが多い。だから嫉妬に祝福が混じれば、ああやって輝くこともある。人の心とは、かくも美しいものだ」


 美しい言葉。

 だが、その直後だった。


「アサーションを確認。L―コドン作用感知。自由度変換観測。エイオンベート・オーガナイザー予測確認。出現場所は……はい、目の前です」


 弥生がそう言うと同時に、グラウンドに、異形の“花”が咲いた。


 毒々しい色合いの葉牡丹のようなそれが、ゆっくりとうねりながら開いていく。


「な、何ですか……あれ?」


「君たちに対応してもらいたい相手だ」


「……もしかしなくても……エイオンベート……?」


「ああ」


 博士の言葉が落ちた瞬間、花が裂けるように開き、異形の怪物が姿を現した。


 ゴムのように黒光りする丸い胴体。

 そこから、赤ん坊のように柔らかい腕が三本、両横と背中に生えている。


 その腕で器用に立ち上がる姿は、あまりにも不気味だった。


 永遠の鼻水が本気で垂れた。


「き、聞いてませんよっ⁉」


「ああ、すまない。言ったら構えてしまうと思ってな」


「当たり前でしょう⁉」


 永遠の怒号をよそに、怪物の“声”が頭に響いた。



――ニクイ――



 低く、ねっとりとした怨嗟が全員の脳内を揺らす。


――わたしヨリ可愛クテリアジュウパリピッポイ女ハニクイ――


「なんか……ものすごい恨み節っぽいものが聞こえたんですけど?」


「アサーションレベル2……言葉を持つようだな」


「いや、それは分かりますけど、なんだか今までのエイオンベートと性格が違うというか、種類がおかしいというか……」


 永遠と博士がやり取りをしている間にも、怨嗟は続く。


 弥生が端末を見ながら淡々と説明する。


「今回のエイオンベートは、同性の友達が抜け駆けして、好きな男子を横取りしたと怒り狂い反応。変異してからは瑠璃乃ちゃんの、ぱりぴ? な外見が気に食わないから、八つ当たりしてやろうって思ってるみたいです」


「そんなんでもエイオンベートになっちゃうんですか⁉」


「女の嫉妬には人種も国境もないから♪」


「そういうことじゃなく!」


――顔ガイイノガ偉イノカッ‼――


 空洞の眼がぎょろりと光る。

 怒りと妬みに塗れた感情が、直接脳に叩きつけられる。

 エイオンベートの問いの意味が分からず、瑠璃乃が小首を傾げていると、


――仕草ガ媚ビスギ、マイナス100テンッ!――


「採点した⁉」


――ダサオキモメンダガ彼氏持ち、ウラヤマシイッ!――


 永遠の胸がえぐれた。


「永遠は一反木綿みたいな妖怪じゃないよ! 優しい人だよ!」


――イタダキマシタのろけアピールッ! ソンナニ好キカ、ゴチソウサンッ!――


「す、好きだなんてそんな……えへへ♪」


――……わたし以上ノ幸セハ許サナイ――


 瑠璃乃の笑顔を見た瞬間、怪物は怒りを爆発させる。


「さあ、ここからは、アザレアージュとしての体力測定となる! やれるかな、瑠璃乃?」


「がんばる!」


 袖をまくる瑠璃乃。その気合いを受けて、博士が永遠に叫ぶ。


「永遠も機嫌を直して応援してやってくれ!」


「べつに怒ってなんかいませんけど……」


 永遠はひょいと瑠璃乃を見やり、気まずそうに声を絞る。


「が……がんばれー……」


「べ、別に永遠に応援されたって、すっごく嬉しい訳ない訳ないんだからね!」


 ツンデレを装う瑠璃乃の背後で――


――わたし以上ノ幸せハ許サナイトリエアズ死ネーーーーッ‼――


 地面を踏み砕くほどの凶声が響き、大地を揺らす。


(まごう事なき八つ当たりだーー‼)


 エイオンベートが爆発的な加速で踏み込んだ。


 腕が膨れ、武器のような鉤突きが唸りを上げる。


「新しい君と同様、ドロレスもカスタムした! 時間が掛かるかもしれないがこれからを通して慣らしていこう!」


 博士の声が飛ぶが、次の瞬間には衝撃が全てを吹き飛ばした。


 瑠璃乃の身体が、弾かれたように宙を舞う。


 地面に叩きつけられ、転がり、また叩きつけられ、激しい土煙を伴って止まったのはグラウンドの外、さらにその外だった。


「ッ⁉」


 永遠と博士の顔が同時に引き攣った。


「な……なんで……?」


 博士の声に、弥生が端末を走らせる。


「……昨日の夜、観測機の電源が落ちて、復旧したときの電圧差でエラーが残ってたみたいです。博士、コンセント付け替えましたよね?」


「コンセント? ……はっ⁉」


 博士の脳裏に、昨日の“ジュース作りのためのタコ足配線いじり”が蘇る。


 永遠が青ざめ、博士は固まった。


「ど、どどどどうしよう⁉」


「お、おおおおう落ち着け……! こんなこともあろうかと緊急時のホットラインは設置済みだ」

 

「もしかして赤木さん達が来てくれてるんですか⁉」

「ああ、今から電源を入れるからな!」

 

 博士の声はすでに錯乱気味だ。

 

「そっちもですか⁉」

 

 弥生が博士に、とある画面を見せる。

 

「ちなみにチーム赤木の皆さん、前回のお仕事でたいへんな被害と損失を出して、たいへん社長に怒られて、たいへん反省した後、たいへんな所に飛ばされてしまったので今回は来られません」

 

 ほぼ死亡通告のような報告を耳にした永遠は息をするのを忘れ去るほど肝を冷やす。

 

 そのとき。

 砂煙が突如、竜巻のように巻き上がり、空へと消えた。

 

 ナグハートを両手で構え、傷だらけの体操服に土まみれの瑠璃乃が払いのけたのだった。

 

「……なんだか、わたし、へん……」

 

「へん⁉」

 

「体の全部のあちこちがジンジン熱くて、力を入れてないと目から涙が出てきちゃうそうなくらいつらいの……これは……痛い?」

 

「そうだよ、痛いってことだよ!」


 痛み。

 その感覚を思い知ってしまうほど、瑠璃乃は追い詰められてしまっている。

 

 その事実に永遠は焦り、博士に問う。

 

「どうするんですか、博士! このままじゃ瑠璃乃が!」

 

「こうなったら私が出よう!」

 

 博士は息を荒げながら言い放つ。

 

「こんなこともあろうかと用意していた、出費だらけの自転車操業でろくに整備も出来ないまま埃を被ったまま今の今まで存在を忘れていたパワードスーツを使うときが遂に来たようだ」

 

「それは用意してたってことにはなりませんよ⁉」

 

「ちなみにそれ、小型でも特殊車両扱いなのに車検にも出してないから、使ったら、おまわりさん来ます」

 

 弥生にそう言われた途端、博士はビクッとなってから動かなくなった。

 しかし、次第にさび付いてしまった機械のようなぎこちなさで首を動かし、永遠の方を向くと、

 

「……あ、あわわ……永遠、どうしよう?」

「こっちが聞きたいですよ!」

 

 こんな情けない人間サイドのやりとりを見届ける気もなく、エイオンベートが重い足音を響かせ、突進する。

 

 永遠の呼吸が止まりそうになる。

 

 三本脚の異形が迫る。

 

 血は出ていない。

 死にはしない。

 そうやって窮地ではないと思い込みたくもなる。

 

 だが、瑠璃乃は痛みに耐え、苦しんでいる事実。

 

 永遠の胸が軋む。

 

 歯を食いしばり、気づけば足は動き出していた。

 

 エイオンベートの腕が大きく振りかぶられる。

 

 間に合わない。

 

 永遠は堪らず瑠璃乃の名を叫ぶ。

 

 が、次の瞬間――





「幾星霜を重ねて紡いだ全ての人智、どれも通さぬ貫けぬ……凶将水神、矛盾を拒否する王の盾……玄武≪イージス・オブ・アダマンタイト≫‼」


 高らかな詠唱が空気を震わせた。


 何もなかった空間に、唐突に“それ”が出現した。




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