第1話 嵐の開幕と最初の犠牲
1.1 霧に閉ざされた黄昏館
――その夜、霧が世界を飲み込んだ。
まるで誰かが「観測」を拒んでいるかのように。
黒崎の黒いセダンが、
山を縫うように続く細道を登っていた。
ヘッドライトが切り裂く白い霧の向こうには、
道と呼ぶにはあまりに不確かな影が揺れている。
「所長、これ……道路っすか?
もはや崖っすよ! 岩が牙みたいに突き出してる!」
後部座席の松原が声を上げる。
運転席の黒崎は無言でハンドルを握り続け、
助手席の美咲が淡々と返した。
「もう、松原君……文句言うなら、
最初から来なければよかったのでは?」
「いや、不満じゃないっす!
僕の好奇心と恐怖センサーが殴り合ってるだけっす!」
美咲はタブレットを見つめ、冷静に言う。
「位置情報、やはり乱れてるわ。GPSが揺らいでる。
現実の座標が歪んでるみたいね……。
でも、地図上では――
この先に『黄昏館』があるはずよ」
黒崎がブレーキを踏んだ。
霧の奥から、突然、巨大な影が現れたのだ。
「……あれが、黄昏館か」
山の骨をそのまま掘り出して、組み上げたような、異様な建築。
外壁は黒ずみ、窓は砕け落ち、
だが正面玄関だけが奇妙に暖かい光を放っていた。
まるで、異界が人を迎える『口』を開けているように。
車を降りた瞬間、松原は身を震わせた。
「うわっ……寒いっす! 冷たいっていうより、
『生き物がいない』空気っすよこれ!」
美咲は霧の向こうを見つめた。
「自然の冷気じゃないわ。……この空気、
何かが『満たされ過ぎている』の」
黒崎は黙って招待状を取り出し、
封蝋の紋章を指でなぞる。そして、玄関の扉を押し開けた。
中は、朽ち果てた廃墟。カビと鉄錆の臭気が鼻を刺し、
壁紙は湿気で剥がれ落ちていた。
しかし、奥の大広間だけは、
まるで時間が止まったかのように整っていた。
磨き上げられた長テーブル、銀食器、暖かな照明。
まるで「今この瞬間」だけが、
異なる現実に属しているかのように。
テーブルにはすでに六人の客がいた。
1.2 謎の招待客たち
黒崎たちが入ると、六人の視線が一斉に向けられる。
最初に口を開いたのは、恰幅の良い男だった。
「遅かったな、探偵殿。私は赤城豪だ。
古美術商をやっている。夜の主催者とやらが、
探偵を呼ぶ意味、理解しかねるね」
その声には傲慢と自負が混じっている。
隣の神経質そうな女が微笑した。
「月影紗代。ミステリー作家です。
……現実の推理劇なんて、滅多にない題材ね」
対面の席で、黒縁眼鏡の男が穏やかに頷いた。
「私は水元雅人。 古代言語と儀式の研究をしています。
こういう『異界的舞台』には、胸が躍ります」
松原が小声で呟いた。
「この人、絶対やばい系の学者っすね……
情報そのものが毒ってタイプっす」
次に、厳つい男が重い声を発した。
「新庄剛。元刑事だ。この招待状には、
俺が追っていた『未解決事件』の符号があった。
……あんた、正義を信じるか?」
黒崎はその瞳を見つめた。正義という言葉が、
すでに彼を蝕んでいることを感じ取る。
派手な服装の若い女性が、
無関心にスマホをいじりながら名乗った。
「白鷺サヤ。モデル兼インフルエンサー。
ネット繋がらないとかマジで無理。
……もし、主催者とやらがフォロワーを、
一億人くれるなら話は別だけど」
そして最後の男。
フードを深くかぶり、顔の輪郭すら曖昧な人物。
「……灰原、蓮。」
その声は低く、空気を震わせるようだった。
松原は無意識に一歩下がった。
(ノイズ……この人、存在がデータ的に『揺れてる』っす)
黒崎は全員を見渡し、静かに言う。
「黒崎探偵事務所の黒崎だ。こちらは美咲、
そして松原。推理劇とやらに呼ばれた以上、
観測者として参加しよう」
赤城が鼻を鳴らす。
「茶番だな。富豪の悪趣味に付き合わされているだけだ」
「……それを決めるのは、まだ早いわ」
月影が挑発的に微笑む。
「この『主催者』は、私たちの欲望も罪も、
すべて把握しているようよ。偶然じゃない。」
1.3 嵐の閉鎖と推理劇の提示
その瞬間、外から轟音が響いた。
ゴオオオオオ――ッ!
それは風ではない。深海の獣が呻くような低周波。
ホテル全体が震え、シャンデリアが揺れた。
「何だ!? 地震か!?」赤城が叫ぶ。
美咲が窓に駆け寄る。
「いいえ……吹雪よ。でも普通じゃない。
空間そのものが歪んでる」
松原がスマホを確認する。
「圏外っす! 衛星通信まで遮断されてる!
ノイズレベルが『無限大』……!」
ドシン――!
建物全体が揺れ、遠くで崩落の音がした。
黒崎が静かに言う。
「山道が落ちた。……閉じ込められたな」
その時、館内の古びたスピーカーが唸りを上げた。
ノイズを挟み、無機質な声が響く。
『――ゲストの皆様、ようこそ。夜の主催者です』
『外界との接続は断たれました。こ
れより一夜限りの推理劇を始めます』
『この中に、罪を犯した者がいる。
真相を暴けなければ――代償を支払ってもらいます』
「ふざけるな!」赤城が怒鳴る。
「誰だ貴様は!」
『あなた方の過去、罪、そして望み――
すべて観測済みです。
朝までに真実を見つけなさい。さもなくば、
「深淵の落書き」があなた方の魂を刻むでしょう。』
声が途切れた。静寂。誰も息をしなかった。
1.4 第一の犠牲
その後、叫び声が響いた。
「誰か! 誰か来てくれ!」
駆けつけた先は赤城の部屋。
ベッドの上で、彼は仰向けに倒れ、見開いた瞳で虚空を見ていた。
黒崎が脈を確認する。
「……死んでいる。心停止だ。外傷はない」
美咲が冷静に分析する。
「放送直後の死。恐怖によるショック……
それだけで人は死なないはず。」
松原が室内を照らす。
「鍵、内側から。完全な密室っす!
これは……『物理的な殺人』じゃない!」
新庄が叫ぶ。
「そんなバカな! 超常現象だと言いたいのか!?」
黒崎は答えず、壁を見つめていた。
煤のような跡で描かれた――奇妙な文様。
脳が理解を拒む形。ねじれたルーン、脈動する幾何。
それは、生きているように見えた。
「……これが、『深淵の落書き』か」
水元が震える声で呟く。
「古代アステカの象形文字と、
エーテルの数式が混ざっている……
いや、もっと古い。地球外の理だ!」
松原が顔を青くして後ずさる。
「つまり、見ちゃいけない文字ってことっすか……?
脳に直接書き込まれるウイルスみたいな?」
美咲が撮影を終え、険しい顔になる。
「この図形、見るだけで脳波が乱れるわ。
赤城は、これを『理解しようとした』、
瞬間に死んだのかもしれない」
黒崎は目を細めた。
「これは殺人ではなく、契約だ。
主催者の言う『代償』――魂を媒介にした儀式だ」
月影が青ざめた声で言った。
「じゃあこの推理劇は……犯人探しじゃなく、
『次の犠牲者』を決める儀式なのね」
黒崎は短く息を吐く。「そういうことだ」
彼は振り返り、指示を飛ばす。
「美咲、ゲスト全員のアリバイを確認しろ。
松原、あの落書きの解析を急げ。赤城豪の『罪』が鍵だ」
外では嵐が吠え、
館の奥から、低い『何か』の呼吸が聞こえた気がした。
それは、この世の言葉では形容できぬ音。
黒崎の耳の奥に、囁きが届いた。
――観測者よ、覗くな。覗けば、見返される。
黒崎は唇の端だけで微かに笑った。
「覗かないで、探偵が務まるか」
1.5 深淵の座標
数時間後。
松原の叫びが沈黙を破った。
「所長! これ、ただの落書きじゃないっす!
解析結果、出ました!」
彼のノートPCには、
落書きの図形が館の地下構造と重なって表示されている。
中心部には、赤いルーンで記された文字。
『第一の供物、完了』
「『井戸』の座標と一致してるっす。
……地下に何かある!」
美咲が息を呑む。
「供物……つまり、これは儀式の始まり」
黒崎は静かに立ち上がった。
「松原。美咲。地下へ行くぞ」
嵐が咆哮し、床下から『水が笑う』ような音がした。
それは、千年の眠りから目覚めた、非人間的な『何か』の初めての呼吸。
第2話「深まる疑惑と異界の兆候」へ続く
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