第32話 起床

「ん……」


 温もりの中、ゆっくりと意識が浮上する。

 まだ重いまぶたをゆっくりと開いてみれば、横から一筋の光が差し込む以外あたりは薄暗い。


「もしかして、天蓋てんがいつきのベッド?」


 口に出してみたそれは、私も存在自体は知っているけれど、家計が大変な我が家にはまったく縁のない家具だ。

 布団はふかふかだし、目をこらして見れば上の布はきめ細かな模様が刺繍ししゅうされているみたいで、お値段を考えただけで眩暈めまいがしそうだ。


 でも、繰り返すようだけれどカトラ子爵家にある私のベッドはこんなに豪華ではない。

 天蓋てんがいがないどころの話ではなくて、もっと硬い。


 何なら、いつの間にかよそ行きの服が清潔なネグリジェに変わっているのも気になるわね。


 横の布を開けようとして、ふと自分の手に光が戻っているのが目に入る。

 私の記憶が正しければ意識を失う直前、ターラル様のお屋敷の魔樹まじゅを浄化した時と同様に光が消えていたはず。


 ターラル様の婚約者になる口実のひとつになっているから、それがもとに戻ってほっとしたような……ってダメダメ。


 自分を叱咤しったして、布をめくる。

 窓の外には、最近よく見慣れるようになってきた光景が広がっていた。


「大聖堂だったのね」

「! お目覚めですか──!」


 少し離れたところからリズの声が届く。

 バタバタと足音を立てて隣室から入室する中でも、むせび泣いているように聞こえるのは気のせいかしら。


 などと思っていたら、ベッドの影から姿を現したリズは、声のとおり顔がぐしゃぐしゃになってしまっていた。


「リ、リズ⁉」

「三日間も! もう目を覚まされないかと──」


 ものすごく心配させてしまったみたいね。

 さすがに私もターラル様が三日も眠っていたら気が気でないので、その相手が私なのを虫するとリズの気持ちが分かってしまう。


「ご主人様も目を覚ましたらお会いしたいと心配されていらっしゃいました。……が、お嬢様の体調が一番ですのでもしお疲れでしたら──」

「! もちろん今すぐ会いに行くわ」

「左様で」


 私が「着替えたい」と言ったらすぐにお願いを聞いてくれるリズはさすがね。

 用意してくれたドレスに袖を通し、彼の執務室に向かう。


 ノックしたリズに続いて私も入室すれば、たくさんの書類に囲まれながら執務机に向かうターラル様の姿があった。


 こうしてターラル様が机に向かっているところは今まで見たことがないものだから、とても新鮮に映る。

 彼を物陰からひっそりと追いかけていた頃は、ほとんどが外だったから机がないのも当然なのだけれどね。


「お嬢様をお連れしました」

「アビー? 起きたとの報告は聞いていなかったが、起きたばかりなのだろう? もう歩いても大丈夫なのか」

「ええ。たくさん寝たからか、すっかり元気よ」


 リズの呼びかけに、ターラル様がこちらに顔を上げる。

 彼の顔に浮かんでいた不安を払拭ふっしょくできるように、私は彼の真っ赤な瞳を見つめながら、笑顔でしっかりと頷いた。


 ベッドで眠っているよりも、推しの顔を見た方が元気が出てくるのは当然よね。

 特に今は、肉体的に疲れているわけでもない。というわけで、なおさらターラル様の補給は私の身体と心の栄養源になってくれた。


「……そんなに信じられない?」

「疑っているわけではないが、君は他者を救うためなら多少の危険はいとわないと知ってしまったからな」


 ターラル様は椅子から立ち上がったかと思えば私たちのもとまでやって来る。

 何をされるのかと思っていると、私の額やら手やらに自身の手を重ねて検分を始めた。


「本当に体調は問題ないようだな」

「ターラル様に移してしまっては一大事ですから」

「俺は気にしない。むしろ、大聖女の君が病にかかった方が一大事だろう」

「そうかしら?」


 ターラル様の言っていることが、いまいちピンと来ない。

 いつの間にか部屋の隅にひかえていたリズが何度も首肯していたのはいつものことね。


「だが、これは面倒なことになったな」

「私が眠っている間に何かあったのですか?」


 ターラル様があまりに意味深なことをおっしゃるので、思わず聞き返してしまう。

 彼は首を横に振ったので、どうやら私の予想は外れみたい。


 でも私が起きている間に一大事なんてあったかしら?


「……招待状のこと、覚えているか?」

「もしかしてクウェンク殿下がくださった」

「ああ。君が眠っていたら参加しなくて済んだのだが。……いや、今からでも君が本調子でないと言っておけば休めるか」

「悪いお顔になっていますよ⁉」


 笑う姿が何だか楽しそうに見えるのは、私の気のせいかしら。

 ターラル様がまるで、いたずらを思いついた子供みたいな顔をしていらっしゃるわ。


 いつもクウェンク殿下に辛辣しんらつな彼だけれど、こんなお茶目な一面──殿下にとってはどちらも変わらないかもだけれど──も持っているなんて。


 でもクウェンク殿下のことを話す彼はどこか楽しそうで。

 彼との噂が立ってしまう理由も、理解できてしまった気がした。


「そういえば、そのパーティーって何日後でし──」

「三日後だ。体力も落ちているだろうから、今ならまだ不参加も」

「もう一度言いますが、それだけは冗談でも駄目ですからねっ⁉」


 突然、啖呵たんかを切った私に、ターラル様が目をしばたたく。

 私が強い言葉を使うと思っていなかったのかしら。


 でも駄目なものは駄目なのだ。


「あのクウェンク殿下ですよ? 私が起きているのにもし断ったら、次は絶対に断れないように、もっと高度な要求をしてくるかと思うのです。私たちの婚約を祝いたいという気持ちは、嘘ではなさそうですから」

「一理あるな」

「それに……せっかくダンスの練習をしたのに」

「そうだな」

「えっ」


 俯きながら、自分の願いに正直なことを口にすると、予想外に肯定されてびっくりしてしまった。


 それにクウェンク殿下もターラル様のことが好きなのだろう。人間的に。

 そんな彼だからこそ、数週間も前に招待状を渡しに来たのだ。


「意外か?」

「は……はいかいいえだとはい……?」

「ならば、また久しぶりにダンスを練習しておいた方がいい。それで無理があるようなら今回は不参加だ。いいな?」


 彼は私の手を取ると、もう片方の手を私の腰に回す。

 まるで「今からダンスの練習でもしておくか」と言わんばかりだ。


「ええ。当日、ターラル様が行かないと言っても私が会場まで引っ張っていくわ」

「それは頼もしいばかりだ」


 ターラル様の明るい笑い声が朝の室内に響く。


 ターラル様の本音としては「不参加」が希望なのかもしれない。

 でも私の意見も尊重しようとしてくれているのが分かって、ものすごく嬉しい。


 いずれにしても参加しないと次期筆頭公爵様の名が泣くので、私は彼に憂いなくパーティーに参加してもらえるように全力をつくすだけだ。


「では帰ったらみっちり練習をしようか」

「受けて立つわ。舞踏会に欠席なんて絶対させるつもりはないもの」


 私たちは互いに挑戦的な笑みを浮かべる。


 その日の夜。

 空からはもうすぐ再び満月を迎える月が、私たちの練習を見守っていた。

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