第31話 再び広場へ

 カーテンの降りた馬車の中からは、外の景色をうかがい知ることはできない。

 それでも、先ほどまでよりはぐんぐんと進んでいるのが何となく分かった。


「でもどうして突然魔樹まじゅが」

「以前にもこのようなことはあったのだ。都市部ではまれではあるが、農村地帯では前日まで何もなかったところに魔樹まじゅが現れるなど日常茶飯事だ」

「そうなのね……」


 聖騎士団の団長であるターラル様にとっては過去にあった出来事なのかもしれない。

 これは彼にとって大事な仕事なのだろう。


 揺れる馬車の中、ターラル様が椅子を降りたかと思えば。

 はたして、彼は私に臣従礼しんじゅうれいを披露した。


「え、まって」

「もちろん、何があっても君を守ると誓おう」

「⁉」


 正直、以前襲われたあの場所にまた行くのに少しのためらいもないと言えば嘘になる。

 それでもターラル様のお役に立てるなら私は何だってしたい。


「わかりました。行きましょう」


 馬車が停止してから広場までは、ほとんど時間はかからなかった。

 ターラル様に続いて馬車を降りると、先日は街路樹が植わっていたところに不気味な紫色の植物が鎮座ちんざしているのが目に入る。


 先日ターラル様のお屋敷の庭に生えていたものに比べたら、幾分小ぶりだ。

 それでも少々蛇行だこうしながらも青空に向かっていくその見た目は異様で、例によって同じ植え込みのところだけ草も花も枯れ果てていた。


 広場にいる皆は困惑していて、雰囲気からしてこの魔樹まじゅはつい先ほどここに現れたようだ。


「先の報告で聞いてはいたが……。これはさすがに切り倒すわけにもいかないな」

魔樹まじゅって切り倒せるものなのですか?」

「ああ。先日我が家の庭に生えていたものは、他の場所から運んだものだったが。……あの魔樹まじゅも隣町から運んできたものだった」

「まあ」


 再び魔樹まじゅを視界にとらえる。

 以前のようにこれを消すことができたら、私もターラル様のお役に立てるのかしら?


 ……って、ターラル様にとっては知ったことでもないわよね。ええ。

 気持ちを切り替えて、紫の植物のもとまで足を進めようとしたそのとき。


「──危ない!」

「へっ?」


 突然、ターラル様は私のもとまで駆け寄ってきたかと思えば、私の背中に腕を回してそのまま自身が下になるように倒れ込んだ。


 少し遅れて、突風とともにビュンと鋭い何かが私たちの上を何かが飛んでいく音が耳に届く。


「やはり時計塔か」

「上から狙われているということ……で……?」


 ターラル様の言葉の意図を確認しようとしたところで、私は彼を押し倒すような体勢になっていることに思い至る。

 「今はそんなことを考えている暇はないわ!」と頭では理解していても、至近距離の推しというのはこう、ね。心臓への負担が重いというか。


「アビー? しっかりしろ」

「はい大丈夫ですっ! 時計塔をどうにかすれば──」


 私たちは立ち上がると今度は時計塔の上をにらむ。

 よくよく見てみれば、ぶら下がっている大きな鐘に黒いもやのようなものがかかっているような気がするのは、気のせいかしら。


「アビー? どうかしたか?」

「あの塔の頂上の鐘のところに、黒いもやというか──」

「……やはりそういうことか」

「え……って、へあっ⁉」


 ターラル様は不敵ふてきな笑みを浮かべたかと思えば、さっと私の背中と膝裏に腕を回して抱き上げる。


「このまま駆け抜けるから、アビーは俺の首に腕を回しておけ」

「えちょっと近すぎませんターラル様⁉」

「君はそのまま走るつもりなのか? 流石さすがに婚約者を命の危険のある場に一人で置いていくわけにはいかないからな」


 彼の言うことはごもっともだ。それはそうと、心臓に悪いものは悪い。


 ターラル様の首に腕を回すとか、そんなことがあってよいのだろうか。

 私には推しのお願いを断るなんて考えられないことだけれど、心臓がものすごくうるさい。


 しかもそれは、同じ状況だった先日のようにまた命を狙われたという危険に対するものではなくて。

 ほぼ間違いなく、推しとの距離が近すぎるせいなのだ。まだ偽の婚約者を始めて一か月も経っていないはずなのに、何度心臓が止まると思ったことか。


 そんなことを思っている間にも、時計塔は目の前に迫っていた。

 ターラル様が立ち止まったのでさっと降りると、彼は目の前の扉を見て舌打ちする。


 ……彼も舌打ちをするのね。

 私が物陰からひっそり見ていた聖騎士の白い服を纏ったターラル様はこのようなことをしていなかっただけに、新鮮だ。


 けれど胸が満たされた私とは反対に、ターラル様は悔しさをにじませる。


「くっ……鍵が」

「そんな」


 それでは、このまま管理者の方が来るまで時計塔の周辺の皆が怪我をしてしまうリスクを放置するしかないのかしら。

 矢のような突風に、禍々しい魔樹まじゅ。この場の人々が恐慌状態に陥る可能性だってあるわけで。


 何か、上る方法は本当にない? 鐘の方を見上げながら考えていると、ふと黒いもやが再び目に入る。


「ターラル様! 上からです!」

「! 避けろ!」


 今にも落ちてこようとしている紫色の矢が目に入った私たちは、その場を離れる。

 時計塔から左右に分かれたのに、矢──というかサイズ的には針かもしれない──は直下ではなく、どちらかというと私の方に向けて飛んできた。


 地面に大ぶりな紫色の針が突き刺さったのを目視すると、私はふたたびターラル様のもとへと駆け寄った。


「ターラル様っ。分かったことがあるかもしれません」

「狙われているのは君のようだな」

「はい。なので──」


 私たちは頷くと、時計塔からあえて距離を取る。

 向かう先は、時計塔から見えない魔樹まじゅの後ろ側だ。二人で木の後ろに隠れると、時計塔から鳥が飛び立ったような羽ばたきが聞こえてくる。


 「魔物もまた魔樹まじゅを増やす」と言っていたのはターラル様だ。

 つまり、魔物にとってこの植物は大切なものなのではないかしら。


 そして、私の方を狙っているのも魔樹まじゅを浄化してしまう力があるから。

 そう考えると、この前何の前触れもなく私たちが襲われたのも説明がつく。


 青空を見ていると、時計塔の方から飛んできた何かが視界に入る。

 ──紫のもやをまとった、鳩のような小鳥だった。


 ターラル様が挑戦的な笑みを浮かべる。


「──魔物か。あの矢らしきものの出どころに気づくとはさすがはアビーだ。だがなぜここに」


 オルドー様はまだ魔物は発生していないと言っていたはず。

 でも実際は見つかっていなかっただけで、もう魔物が発生している──?


 また上空から攻撃されるかと思いきや、鳩は私たちの方めがけてまっすぐと急降下してきた。


「、アビー⁉」

「この木が大切なのでしょう?」


 私は左の手のひらを魔樹まじゅに押し付ける。

 怖いという感覚がまったくないわけではない。それでも、隣に推しがいるというだけで「彼の役に立ちたい」という気持ちが大きくなってしまう。


 左手からすぐに消えていく押さえている感覚に、無事魔樹まじゅ浄化できたことを理解する。


 そして急降下してきた魔物は浄化された光の泡に触れると──こちらも同じく光の泡のようになって消えていく。

 魔樹まじゅが植わっていたところに穴があいている以外、街はまったくの元通りだった。


「アビー!」

「ターラル様っ、私、私──」

「今は何も言うな。よく頑張ったな」


 彼も町の皆も無事だったのだと思うと、ぐったりと力が抜けて彼の胸に身体を預けてしまう。

 頭を撫でられるのが、ここまで心地よく感じてしまうなんて。セッティングしてくれたリズたちには申し訳ないけれど、少しぐらいご褒美があってもいいわよね。


 そんなことを考えながらも身体は完全に疲れ切っていたようで。

 私は彼の腕の中ですっと意識を手放した。

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