第二話:白狐と小鳥と、面倒な夜

 喧騒が渦巻く講堂を、典堂てんどう悠真ゆうまはまるで他人事のように眺めていた。

 先ほどまで自分に突き刺さっていた嘲笑と侮蔑の視線は、隣に立つ少女の氷のような一喝によって霧散している。

 それでもなお、ひそひそと交わされる囁き声は、彼の耳に届いていた。


『おい、見たかよ、あのDランクの鳥』

『白神さん、なんであんな奴を庇うんだ?』

『不釣り合いにもほどがあるだろ……』


(面倒くさい)

 それが、悠真の思考の大半を占める感想だった。

 規格外のエラー。未登録種。戦闘力皆無の小鳥型エーテルギア『ピリカ』。

 そんなものを授かってしまった事実よりも、それによって周囲から向けられる感情の奔流の方が、よほど彼を億劫にさせた。


「行きましょう、悠真」


 隣から、凛とした声がかけられる。声の主――白神しらかみ氷華ひょうかは、その雪のように白い横顔に一切の感情を浮かべることなく、悠真の腕を軽く引いた。

 その仕草はあまりに自然で、まるで周囲の視線など存在しないかのようだった。

 彼女の美しい白銀の髪が、悠真の鼻先をふわりと掠める。


「ああ……」


 気のない返事を返し、悠真は氷華に導かれるまま講堂を後にした。

 旧時代の大学キャンパスを利用して建てられた兼六学園の敷地は、春の陽光に満ちている。

 しかし、悠真の心はどこか曇ったままだった。



「今夜は、うちで入学祝いのパーティーです。父も母も、悠真が来てくれるのを待っていますから」

「……別に、いいのに。そんな気遣い」

「気遣いではありません。当然のことです。あなたは家族同然なのですから」


 有無を言わせぬ口調。これもまた、彼の日常だった。

 悠真が一人になってからずっと、隣家に住むこの完璧な幼馴染とその家族に世話になり続けている。

 論理的に考えれば異常なほどの過保護と過干渉だが、それを撥ね退けるだけのエネルギーすら、今の悠真にはなかった。


 ◇ ◇ ◇


 かつて大きな公園があった奥臥竜山。そのほとんどが白神家の敷地である。

 旧時代の名残を留めるその地に、白神家の屋敷は静かに佇んでいた。


 黒瓦の塀がどこまでも続く壮大な敷地。その一角に、悠真の両親が眠る小さな墓がある。

 氷華の家に来たときは、そこへ立ち寄るのが二人の間の暗黙の了解となっている。


 真新しい墓石に、氷華が持参した季節の花を手向け、清らかな水をかける。

 悠真はただ、その隣で静かに手を合わせた。


 瞼の裏に浮かぶのは、六年前の記憶。

 圧倒的な絶望の象徴である竜型のメタキメラ『ナイトフォール・ドラゴン』と、自分を庇ってその牙に倒れた両親の姿。


 理不尽で、非論理的な出来事。

 あの日から、悠真の世界は色褪せてしまった。

 この世界は分析する価値もない、バグだらけの欠陥システムなのだと、彼は心を閉ざした。



(父さん、母さん……)


 心の中で、両親に語りかける。



(今日、入学式があった。兼六学園の。それで……エーテルギアっていうのを貰ったんだ。ピリカっていう、小さな鳥。攻撃力も防御力も最低で、正直、どうしろっていうのか分からない)


 言葉の代わりに、深いため息が漏れる。


(また、面倒なことになったみたいだ。そっちの世界は、理不尽なバグは無いか?)


 答えが返ってくるはずもない問いを胸にしまい込み、悠真はゆっくりと目を開けた。

 隣では、氷華が心配そうにこちらを見つめている。

 その蒼氷色の瞳に宿る深い情を、彼は気づかないふりをした。


 ◇ ◇ ◇


「まあまあ、悠真くん! 氷華! よく帰ってきたわね!」


 屋敷の玄関を開けると、割烹着姿の美しい女性が満面の笑みで二人を迎えた。

 氷華の母、白神しらかみ冬華とうか

 悠真の母、六花りっかの親友でもあった彼女は、悠真のことを実の息子のように溺愛している。


「さあさあ、上がって! 今日は腕によりをかけて、ご馳走をたくさん作ったんだから!」

「ただいま戻りました、母様」

「……お邪魔します、冬華さん」


 案内されたリビングには、すでに豪華な料理が並んでいた。

 テーブルの中央には、旧時代のレシピを再現したという特製のローストビーフが鎮座している。


 上座には、厳格な雰囲気を漂わせる壮年の男性――氷華の父、白神しらかみ創真そうまが座っていた。

 彼もまた、悠真の父、陽翔はるとの親友であり、悠真にとってはもう一人の父親のような存在だ。


「うむ。二人とも、入学おめでとう」

 創真の低い声に、悠真は小さく頭を下げる。

 食事が始まりしばらくすると、今日の主役である氷華が、やや興奮した面持ちで入学式の様子を報告し始めた。


「――それで、私の『白妙しろたえ』はAランクと判定されました。ですが、それよりも悠真のエーテルギアが……!」

「ああ、聞いたぞ。Dプラスだったそうだな」


 創真の言葉に、氷華が「ですが!」と反論しようとするのを、冬華が「まあまあと」宥める。


「いいじゃない、Dプラスでも! ねえ、悠真くん。無理して戦う必要なんてないのよ。あなたはただ、元気で、笑っていてくれれば、それでいいんだから」

「そうだとも。悠真。お前は、お前のペースで学園生活を送ればいい。危険なことからは、我々や氷華が守ってやる」


 二人の言葉は、紛れもない本心からの優しさだった。

 彼らは、目の前で親友夫婦――悠真の両親が命を落とすのを、ただ見ていることしかできなかった。

 あの日の絶望と後悔は、今も夫妻の胸に深く刻み込まれている。


 だからこそ、その忘れ形見である悠真にまで、同じ道を歩んでほしくなかったのだ。

 悠真の戦闘力が低いという事実は、不謹慎ながらも、彼らにとって一種の安堵ですらあった。



「……はい。ありがとうございます」

 悠真は、その心遣いをありがたいと思う反面、どうしようもない息苦しさを感じていた。


「そうだ、氷華。せっかくだから、お前のエーテルギアを見せてみろ。この目でその『白妙』とやらを拝んでみたい」


 創真が楽しそうに提案すると、冬華も「見たいわ!」と目を輝かせる。


「え……ここで、ですか?」

「ああ。いい機会だ。実体化のプロセスもレクチャーしてやろう」


 創真はそう言うと、自身の腕につけられたゴツい腕時計型の『ギアバイザー』を操作してみせた。


「いいか、二人とも。ギアバイザーで実体化させたい『ギア・ライセンス』を選択する。するとエーテルギアのカードが目の前に浮かび上がる。そして、召喚キーである『ギア・リベレイション』の掛け声で承認する。それだけだ。やってみろ、氷華」


「は、はい……!」


 氷華は少し頬を赤らめながら、自分の席の横に立ち、すぅっと息を吸い込んだ。

 その姿は、まるで舞台に立つ女優のように凛として美しい。


「――ギア・リベレイション!」


 澄んだ声が響くと、彼女の掲げたカードが眩い蒼氷色の光を放った。

 光は収束し、やがて一匹の小さな生き物の姿を形作る。


 リビングの床にふわりと着地したのは、カードのイラストそのままの、純白の子狐だった。

 春の綿毛のように軽やかな毛並み、澄んだ水色の瞳。

 神話から抜け出してきたかのような、幻想的な美しさだ。


「まあ……! なんて愛らしい……!」


 冬華がうっとりと声を漏らす。

 子狐――白妙は、きょとんとした様子で周りを見回すと、なぜかまっすぐに悠真の元へと駆け寄ってきた。

 そして、彼の足元にすり寄ると、愛らしく「ミャー」と鳴いた。


「……コンコン、じゃないんだな」


 思わず呟いた悠真の言葉に、冬華がくすくすと笑う。


「あら、悠真くん。狐が『コンコン』って鳴くのはね、発情期……つまり、求愛の時だけなのよ?」


「えっ」

「母様!」


 冬華の爆弾発言に、氷華が顔を真っ赤にして狼狽える。その様子を見て、創真は豪快に笑った。


「はっはっは! 悠真、どうだ。お前もその『ピリカ』とやらを出してみるか?」


 創真に促され、悠真は腕に巻かれた、ギアバイザーに触れる。

 しかし、クラス中の嘲笑を浴びたあの小鳥を、この和やかな雰囲気の中で披露する気にはなれなかった。


「……いえ。今日はもう疲れました。そろそろ、帰ります」


 悠真がそう言って席を立つと、氷華が名残惜しそうな、寂しそうな顔で彼を見つめた。


 ◇ ◇ ◇


 白神家を出て、すぐ近くにある自宅に戻る。

 シャワーを浴びて、ベッドに倒れ込む。天井をぼんやりと眺めながら、悠真はギアバイザー操作し一枚のカードを選択する。

 『ギア・ライセンス』。そこに描かれているのは、翼を持つ小さな白い鳥。


「ピリカ……か」


 攻撃力F、防御力F。だが、速度は規格外のSSS。

 あまりにも歪で、非論理的なパラメータ。


「面倒なことになった……本当に」


 手のひらの上のイレギュラーな存在を見つめながら、悠真の意識はゆっくりと沈んでいく。

 規格外の少年が足を踏み入れた非日常は、まだ始まったばかりだった。

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