第8話 「竜の頸の五色の玉」前編

海に出れば瑤姫に会える。

行けばわかる。

そう徐福は言っていた。


海辺に出た。

そこに、あり得ないほど透明な階段があった。

波の底へと続く光の道。

これか。


僕とKAGUYAは息を合わせて一歩を踏み出した。

その瞬間、世界から音が消えた。

光だけが揺れて、僕らの影が溶けるように沈んでいく。

……水の抵抗はない。息も苦しくない。

ただ、海そのものが“こちらを通すかどうか”を選んでいるような静けさがあった。


やがて、海底にきらびやかな楼閣が見えた。

――ここは、竜宮城……?


その楼閣の入り口に辿り着くと、扉が自動で左右に開いた。

ウィーン。


僕は扉の奥を覗き、思わず口にしていた。

「こんにちは〜、徐福さんの……紹介で来たんスけど……」


中は、漆黒の大理石のような床材が敷き詰められた何もない広い円形の空間。

天井はガラス張りのドーム状になっており、ここが深海であることが分かる。

その中央に、海の青を反射する椅子が一脚。

そこに、目元を覆う薄い光のゴーグルをつけた女性が足を組み、背もたれに身を委ねる姿勢で座っていた。


「海は……全てを記録する」


ゴーグルの縁が淡く光り、数式のような模様が宙に流れている。

流れた模様は、部屋の壁面に透けて見える海流に重なるように消えていく。

彼女はゆっくりとそれを額にずらし、僕を見下すように言った。


「奥菜……と言ったわね」


その声は、水面に響く残響のようだった。

部屋に反響しているのか、何重にも重なって聞こえる。


「徐福から、そなたのことは聞いている。」


柔らかいのに、逃げ場のない深さ。

彼女の瞳には、海とデータの両方が映っていた。


さすが徐福、本当に電話してくれたのか。

しかし、もっとフランクな人だと想像してたよ……。


そして足を組み直し、言葉を続けた。

足先が床に着くと、そこから水紋が床に広がる。

床の下の海が反応しているのか、それとも空間の歪みなのか。


「歓迎してやれとのことだったが、私流の歓迎でいいのかしら?」

口角がわずかに上がる。

意地悪そうな笑み。


――あ、これはヤバいやつだ。どことなく、あの池の女神の雰囲気……。


その時、瑤姫――であろう女性は、KAGUYAに目を留めた。

ハッとしたように大きく目を見開く。


「おお、何と見事な造形美!」


……分かる人には分かるのか。


ゴーグルを脱ぎ捨て、這うようにKAGUYAに近寄ってくる。


「そなたは……そなたは何と言う……」


KAGUYAはちょっと腰が引けていたが、いつものように丁寧に答えた。


「はじめまして。わたしは、Kinetic Apocalypse Guardian Ultimate Yearn Automata Mark II。略してKAGUYA Mk-IIです」


瑤姫の肩が、かすかに揺れた。

一瞬、息を飲んだ気配がする。


「KAGUYAと言うのか。しかし、何と雅な曲線美」


KAGUYAは褒められて照れる。

何故か僕も嬉しくなって照れる。


瑤姫はどこからかメガネを取り出し、何やら手帳に数式を書いては解いている。

KAGUYAの腕を撫で、数式を解く。

物差しを取り出して首のラインを測っては、数式を解く。

一瞬考え、少し遠くから眺めては、数式を解く。


KAGUYAは、なされるがまま、ただ立っている。

時折、くすぐったそうに身体を縮めている。


そして僕は完全に取り残されている。


「おお、これは流体の粘性と乱流理論を考慮に入れた美しき非線形偏微分方程式の妙。コリオリの力の前提はどの座標でも最適解を導く」


何を言っているのかさっぱり分からない。

もう、どの単語も頭に入ってこない……。


「素晴らしい! どこを取ってもパーフェクト! これ程までに理にかなった造形が、かつてあったであろうか!」


KAGUYAは余りに褒められ、気持ちが舞い上がってしまったのか、着物を脱ごうとしだした。


『待て、待て、待てーい』


慌てて止める僕と瑤姫。

何でまた脱ぐ? デジャヴか?


すると、KAGUYAの右肩に文字が記されているのが目に入った。


〝TSUKINOKUNIYA

    ✕

   O.T.F.〟


✕は竹を掛け合わせたようなデザインになっている。

焼印のような、それでいて薄っすらと光を帯びているような。

前回は気のせいだと思っていたが……。

出会ったときからずっと着物を着せていたので、全く気付いてなかった。


僕はKAGUYAに尋ねた。


「あれ? 前からこんな文字あったっけ?」


「あ、これは弊社のロゴマークです」


「……弊社?」


「はい、TSUKINOKUNIYAです」


「……あの、都紀ノ國屋?」


「ああ、そう言えばそうですね。忘れてました」


でしょうね。忘れるよね。もう驚かないよ。

いや、思い出せて偉いぞ、KAGUYA。

そうか、僕は将来、都紀ノ國屋の社員になるのか……あのツンデレオヤジの……。


そこで瑤姫が立ち上がり、メガネのズレを直しながら僕に尋ねてきた。

このやり取りの中、KAGUYAのふくらはぎの曲率を測っていたようだ。


「ところで、奥菜とやら。徐福の話では、私と同じく政中摂津工科村塾の卒業生との話だったが……歴代卒業者名簿には名前が見当たらぬようだが……」


まさかの卒業生。

あそこを出ているとは、こいつ……ほんとの天才か!


「あぁ、僕は学園祭で竹細工の露店を出したことがあるだけで、実は縁もゆかりも無いんだよね。訂正するのが面倒だったんで……」


僕は少し申し訳ない気持ちになって、正直に答えた。


それを聞いた瑤姫は、驚いたように両手で口元を隠した。

瞳孔が少し開いている。


「えっ、まさかあのタケトリーの? 私、あの竹細工の大ファンなんです!!」


おっと、急展開。


過去に一度だけ露店を出した学園祭。

その時の客の中に彼女がいたとは。


瑤姫は別室から壊れかけの竹細工を持って出てきた。


彼女はその竹細工の背びれを指先でそっとなぞり、

すこしだけ表紙を叩くように手帳を指先で軽く触れた。

迷うような間があって——それから僕に視線を戻した。


Oracleオラクル Tidalタイダル Obsidianオブシディアン Harmonicハーモニック Infiniteインフィニット Marianマリアン Eclipticエクリプティック Dragonドラゴン


――確かにいた。


これを片手に海流や深海の話をややこしい数式を絡めて熱く語る少女。

済まし顔で露店を一瞥して通り過ぎたかと思ったら、慌てたように戻ってきて買ってくれたんだった。


「この背びれの曲線と深海の海流方程式が」とか何とか。

話の内容は全く理解できなかったが……。


そして、ひとしきり話し終えると涼しい顔で立ち去っていったな。

まあ、帰りはスキップしていたけど。


彼女だったか。

まあ、思い出してみると……あの頃から変わってないような。


瑤姫は僕とKAGUYAを交互に舐めるように眺めて言った。


「それにしても、見事な造形美。製作者はさぞかし……」


「はい。わたしは月で人柱となるために完全な造形で作られていますから」


小さなざわめきが胸の奥をかすめた。

聞き流せない言葉だった。

人柱? それって、どういう……。

月に行っても戻って来てくれるんじゃ……。


そこで瑤姫は少し目を伏せ、僕の方に目線を投げた。

目の奥が静かに青く光る。

それは深海のようで、データの海のようでもあった。


「竜の頸の五色の玉を求めていると言ったな……話を聞かせてもらおうか……」

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