5 休息と教育の費用対効果
そんなわけで、今日も今日とて喋りながら、梅鈴は読書、小春は刺繍に明け暮れている。この刺繍も、梅鈴様のお召し物は無地ばかりで勿体無いですと息巻いた小春に、半ば押し切られる形で任せることになったものだ。
「……私はいいのだけど、他の女官と話したりしなくていいの?」
一応気を使って聞いてみる。後から過剰労働だとかで揉めたくはないし。
「んー、仲のいい女官は、どうせ昼間はそれぞれの仕事がありますし」
「そう。あと、前にも言ったけど休憩とかしていいからね。怒ったりしないわ」
これも、後から休憩なしに働かされてました!なんて言われては堪らないので言っておく。他の妃の元では少し手を留めただけで叱り飛ばされることもあるらしい(と小春から聞いた)が、梅鈴からしてみればそんなことはあり得ない。
(休憩しないと労働効率が下がるしね)
手を留めただけで叱るなんてもってのほか。体調が悪いなら休むべきだし、そうでなくてもすぐに叱ったり罰を与えるようなやり方では、常に緊張してしまってむしろ生産性が下がってしまう。
「ありがとうございます。でも、どうせすることもないですし」
「私のじゃなくて、自分の服への刺繍とか、読書だって。書庫には文学作品もあったわよ?」
立場の関係で本を借りてくることができないなら、梅鈴が借りて来て読めばいい。
なんとはなしに言っただけだったのだが、小春は困ったように笑う。
「いえ…、女官の服は刺繍なんてしたら悪目立ちしますから。それに、読書はちょっと」
「文字が読めないの?」
小春は恥ずかしそうに頷く。失言だった。
何も恥ずかしがることではない。実家の影響で梅鈴は幼い頃から文字の読み書きを教えられていたが、当然ながら読み書きなんて全ての家で教わるようなことではない。女官のほとんどは文字が読めないだろうし、下級妃でも最低限の読み書きしかできない娘は多いだろう。
「……読みたいとは思わない?」
文字が読める妃の間では、詩や小説はもっぱら人気の娯楽だった。彼女たちとて、いつもいつも皇帝のお目通りを待っているわけではない。とはいえ身の回りの世話は全て女官がやってしまうので、端的に言うと暇なのである。
小春も梅鈴に懐いてはいるものの、噂話が好きで流行にも敏感な年頃の娘。妃に憧れる女官にとって、妃たちが夢中になっている書物が気にならないなんてことはないと思うのだけど。
「多少は。ですけど、そんなに賢くもないし」
「いいえ、関係ないわ」
賢くないと読み書きができないなんてそんなことは決してない。梅鈴は力強く言った。
「読み書きは賢い人間にしかできないなんて思っては駄目よ。小春さえ良ければ読み書きを教えてあげる」
「そんな! 恐れ多いですよ」
「何よ、今さらでしょう? それにこれは投資でもあるのよ!」
投資? きょとんとした顔で小春が首を傾げた。
「ええそうよ。あなたが読み書きができるようになったら、任せられる仕事も増えるでしょう?」
(計算まで覚えてくれたらかなり幅は広がるわ!)
というのも。梅鈴は現状に全く満足していなかった。
才人として後宮に入ったはいいものの、今後の計画もうまくいくとは限らない。俸給だって才人ではたかが知れている。倹約家な梅鈴が暮らすには十分すぎるくらい貰ってはいるが、なにせ借金持ちの娘なので。
そんな事情もあり、梅鈴は後宮内でなにかしらの方法で稼ぐつもりだった。
が、そもそも稼ぐったってどんな商売をするか決めなくてはならない。不器用な梅鈴でもできる何か。
後宮で過ごす期間は半年そこらじゃない。どんなに短く見積もっても年単位だ。そこで、梅鈴はこの1年は情報収集に徹するつもりだった。どんな需要があるのか、顧客になりそうなのは誰か、そして人手や技術が必要になったときに誰に頼むか?
その上で、文字の読み書きができる人間は非常に便利だ。顧客情報や商品在庫の管理を任せることができる。
とはいえ信頼できる人間であることも重要。その点、小春はぴったりだ。
(口が軽いのが玉に瑕かしら。まあ、重要な情報はもともと自分で管理するつもりだったし)
とはいえ、半ば押し切るように決めてしまった。本当に良いかと小春にも一応聞いた。やる気のない仕事をさせても効率は悪いし主人に不信感が溜まるだけだし。
小春は気にしてたんですねと驚いてみせる。それから、本当は、ずっと話題の恋愛物語を読んでみたかったんですと少し照れたように笑った。
そんなわけで。小春の業務に「読み書きの練習」が追加されることになった。
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