第8話
東京での大学生活が始まって数週間。富士見大太は、神崎タケルという名の陽キャに声をかけられ、大学内での「透明な存在」という完璧なカモフラージュに、小さな綻びが生まれ始めていた。タケルは、大太の無口で地味な姿の裏にある「異質な美意識」に気づいており、大太の隣にいることを面白がっているようだった。
大太の頭の中は、風花の活動計画で埋め尽くされていた。美咲、そして上京を控える弟の悠斗との協力体制を整えるには、東京に活動拠点が必要だ。
しかし、大太が入学した「底辺大学」には、彼の望むような本格的なコスプレサークルが存在しなかった。あるのは、飲み会とレジャーがメインの薄っぺらいサークルばかりだ。
「このままでは、衣装の保管場所も、大がかりな撮影場所も、確保できない…」
大太は、自分のアパートを衣装と機材で埋め尽くすわけにはいかない。そこで彼は、大学の制度を最大限に利用することを決意した。サークルを創立するのだ。
ただし、**『コスプレサークル』として立ち上げれば、確実に目立ち、大太の秘密が大学内で拡散するリスクが高まる。大太が必要としていたのは、「目立たず、活動時間と場所を確保できる秘密基地」**だった。
大太は、サークル創立の相談を、意外な人物に持ちかけた。神崎タケルだ。
講義後、タケルが大太に話しかけてきたとき、大太は意を決して、いつもの地声で、しかし早口で言った。
「…神崎君。サークル、を、作りたい」
タケルは目を丸くした。あの無口な大太が、自分から何かを提案すること自体が奇跡だ。
「サークル?マジかよ、富士見!面白そうじゃん!何作るんだよ?アニメ研究会?ボードゲーム?」
タケルは前のめりになる。
「…いや。**『文化財と景観保全研究会』**だ」
タケルは、そのあまりにも地味で、お堅い名前に、吹き出しそうになった。
「は?文化財?富士見、お前、そんな真面目な趣味があったのかよ!地味すぎんだろ!誰も来ねぇって!」
大太は、タケルのツッコミを無視し、冷静にロジックを説明した。
「この名前なら、誰も注目しない。活動内容は『地域の文化財や景観の視察』と申請すれば、活動場所として大学の会議室や、倉庫を申請できる。そして、景観保全という名目で、カメラ機材の購入費を申請する口実にもなる」
タケルは、その冷徹なまでの戦略的な思考に、背筋がゾッとした。この男は、地味な仮面の下で、とんでもないことを企んでいる。
「待てよ、景観保全?それ、富士見がやりたいこととどう繋がんだよ?」
大太は、パーカーの袖からわずかに覗く、完璧に手入れされた指先を見つめた。
「…景観保全のために、**『風景に溶け込む衣装や道具』を研究する。これが、裏のテーマだ。サークルを運営するには、陽キャの『顔』**が必要だ。神崎君、力を貸してくれないか」
大太の地声は頼りなく、細いが、その中に込められた真剣な熱意と、恐ろしいほどの計算高さに、タケルの陽キャセンサーは最高潮に達した。
「マジかよ!最高のカモフラージュじゃねぇか! 面白すぎんだろ、富士見!よっしゃ、乗った!俺が代表になって、面倒な手続き全部やってやるよ!」
タケルは、この「無口なオタク」が仕掛けた、秘密のアイドルプロデュースゲームに、面白半分で参戦することを決めた。
その後、大太は美咲と悠斗にも連絡を取り、チーム結成の準備を進めた。
表向きの代表: 神崎タケル(陽キャの「顔」と交渉役)
裏のプロデューサー: 桜井美咲(メイク・衣装・SNS戦略担当)
裏のマネージャー: 富士見悠斗(データ分析・イベント管理担当)
裏の偶像(アイドル): 富士見大太(衣装制作・声・モデル担当)
こうして、東京の底辺大学で、「文化財と景観保全研究会」という名の、匿名アイドル『風花』の秘密プロデュース基地が、静かに誕生したのだった。その活動場所は、大学の隅にひっそりと与えられた、誰にも使われない会議室となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます