「断罪の刃は、愛しき喉元へ」(1)
「おや?」 “ミューサ”は眉をひそめた。
「意外な反応だなぁ、坊主。少しも慌てず、逆にそんなことを聞いてくるとは……」
ザシュッ――!
彼への回答は、雷のごとき斬撃だった。
凍てつく刃の軌跡が鋏のように交差し、空気を切り裂く鋭利な悲鳴と共に、“ミューサ”の腹を十字に断ち切らんと迫る。
だが、“ミューサ”はわずかに上体を反らし、つま先でトン、と地面を叩いただけ。 その挙動は舞い散る木の葉のように無重力で、内臓をぶち撒けるはずだった必殺の斬撃を、紙一重の距離で優雅に躱してみせた。
「おやおや、せっかちな小僧だ。師匠の教えは最後まで聞くものだよ?」
“ミューサ”が手首を軽く震わせると、長剣が毒蛇のように鎌首をもたげた。
ヒュン、ヒュルル――。
鋭い風切り音と共に、その剣は極めて嫌らしい角度から繰り出され、暴風のごときエドの猛攻を事もなげに弾き返す。 直後、剣先が翻り、無数の寒々しい星となって、エドの喉元と両眼を同時に刺し貫かんと襲い来た。
ガギッ、ガガッ、ガギン!
三合も持たなかった。 エドは喉元を狙う毒牙を、鉈の分厚い腹で無理やり受け止めるしかなかった。凄まじい衝撃に歩法を乱され、平衡感覚を失い、背後へとたたらを踏む。
(こいつッ!!!)
追撃が来る――。 悟ったエドは、倒れる勢いを殺さず体をボールのように丸め、後方へと急速回転して転がった。 距離が開いた瞬間、片手で地面を弾き、バネのように跳ね起きると、二刀を胸の前で交差させ、油断のない防御の構えを取る。
「ハァッ……ハァ……ッ」エドは数メートル先に立つ男を睨みつけた。怒りの炎が理性を焼き尽くそうとしている。
「てめぇ……なんで……『七曜瞬身歩(セプテントリオン・ステップ)』が使えるんだ!!!」
「なんて言い草だ、馬鹿弟子め」
“ミューサ”は長剣をだらりと下げ、優雅に立ち尽くしたまま、ふざけた口調で言った。
「俺はお前の師匠だぞ? その技は俺が教えたもんだろうが」
「だが……」
彼は言葉を切り、その目に冷たい侮蔑の色を浮かべた。
「さっきみたいな、野良犬が泥の中でのたうち回るような無様な回避は、教えた覚えがねぇな」
「黙れ……化け物!」 エドは歯を食いしばり、両目を充血させた。
「よく聞け、お前はただの人皮を被った怪物だ!」
エドは重心を沈め、左手の鉈を逆手に持ち替える。その体は極限まで引き絞られた弓のようだ。
「お前がなんで、そんな胸糞悪い真似をするのかは知らない、だけど……!」
ドンッ――!
地面が爆ぜ、土煙が舞う。 エドの姿が瞬時に掻き消え、ブレる残像と化す。 わずか一呼吸の間に、彼は数十メートルの距離をゼロにし、“ミューサ”の懐へと飛び込んだ!
「俺の師匠を、タリア姉さんを……みんなをどうした! 答えろ、化け物ォ!」
ガギィィン――!
刃と刃が激突し、火花が散る。 今度は、エドは盲目的に攻めなかった。目の前の怪物が師匠以上の技巧を持っていることは理解している。一瞬の油断が死を招く。
彼は『七曜瞬身歩』を踏み、二刀と不規則な身のこなしを連動させ、怪物の剣の間合いの中で左へ右へと激しく明滅する。それはまるで刃の上で踊る舞踏。命懸けで、わずかな隙を探し続ける。
「ほぉ……言うことを聞かない悪い子だが、腕は確かに上げているな」
“ミューサ”は暴風雨のような連撃を涼しい顔で捌きながら、いっそう神経を逆撫でする称賛の目を向けた。
「だが、悪い子には……厳しいお仕置きが必要だなぁ」
シュン!
突如として、“ミューサ”の輪郭が陽炎のように揺らぎ、希薄になった。 エドの渾身の横薙ぎは、あろうことかその残像をすり抜け、空を切った。
!!!
(違う! まさか……これは……)
空を切った鉈を見て、エドの瞳孔が極限まで収縮する。 電光石火の思考の中で、彼は先程の攻防を再生した――相手の適当に見えた立ち回りは、実は誘導だったのだ……唯一にして、最も致命的な「処刑点」へと、エドを誘い込むための。
ヒュオオオオオ――
大気が悲鳴を上げるような高周波音が、蜂の大群のように右側から炸裂した。 エドの視界の隅で、恐怖と共に映ったのは、亡霊のように回転する“ミューサ”の姿と、銀白の嵐と化した長剣の輝き。
「月曜・朧影歩(ルナ・ヘイズ)――『幻朧剣(ファントム・エッジ)』!」
「――ッ!」
思考が空白になった一瞬、生存本能だけが体を動かした。 彼は死の嵐から抜け出そうと、渾身の力で体を後ろへと反らす。
刹那。 長剣の残像が、窒息しそうな冷気と共に、エドの小柄な体を完全に飲み込んだ。
キキキキキキキン――!
剣戟の音が一本の線になって繋がり、鼓膜を震わせ、脳を揺らす。 剣の軌道など見えない。彼はただ本能と直感だけを頼りに、二刀を振るい、押し寄せる津波のような攻勢を防ぎ続けるしかなかった。
エドは自分が挽肉機に放り込まれたような錯覚を覚えた。長剣の残像は密閉された牢獄となり、数ミリでも動けば、手足は瞬時に削ぎ落とされる。
一瞬の交錯が、数十合の攻防に感じられた。 心臓を穿とうとする一撃を寸前で回避した後、エドはようやく訪れた唯一の隙を掴んだ。
ダンッ!
彼は地面を強く蹴り、数十メートル後方へと飛び退き、その死の剣圏から完全に離脱した。
「はぁッ……はぁッ……はぁッ……」
エドは片膝をつき、貪るように空気を吸い込む。冷や汗が全身を濡らしていた。
彼は遠くに立つ“ミューサ”を睨み据えながら、死地を脱した安堵を覚える。
(防ぎきった……)
(危なかった……あと少しでも遅れていたら……)
だが。 体勢を立て直そうと立ち上がりかけた、その瞬間――。
ブシュッ! ブシュルルルッ!!!
「あ……れ……?」
奇妙に鈍い水音が、自分の体の至る所から聞こえた。
エドの視界が唐突に霞み、世界がぐるりと回転した。 強烈な吐き気と、目眩が全身を襲う。 膝から力が抜け、体の芯が泥のように溶けていく。
彼は呆然と視線を落とした。
自分の腕、太腿、そして脇腹までも……。 いつの間に斬られたのか、そこには無数の細密な切創が刻まれていた。
それはまるで、遅れて咲き誇る彼岸花のよう。 鮮紅の血液が、今の今まで皮膚の下で待っていたかのように、傷口から先を争うように噴き出し、一瞬にして彼の全身を赤く染め上げた。
「馬鹿な……? ぐぅっ!」
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