「断罪の刃は、愛しき喉元へ」(2)

ドスッ!


二本の刃が地面に深く突き刺さり、今にも崩れ落ちそうなボロボロの体を辛うじて支える。 エドは片膝をつき、激しく喘いだ。荒ぶる呼吸を無理やりコントロールし、大量出血による深海のような目眩を必死に押し殺す。


(あの野郎……)


(意図的に頸動脈と心臓を外しやがった……表層の筋肉と血管しか切ってない……)


霞む視界の先、“ミューサ”が優雅な足取りで近づいてくる。 その口から吐き出されるのは、反吐が出るような「心配」の言葉。その一言一句が、エドの傷口に塩を塗り込む。


(クソが……あいつ、完全に遊んでやがる……)


「ふぅ……」

最後の一息を吸い込み、目眩の泥沼から這い上がる。彼は地面から二刀を引き抜き、ゆらりと立ち上がった。


「なんで殺さない……」 エドは冷ややかに相手を凝視する。


“ミューサ”は足を止め、顎の無精髭を面白そうに撫でた。


「最初に言っただろう? これは悪い子への『お仕置き』だと。殺してしまっては、お仕置きにならないじゃないか」



「そうか……」


エドは静かに目を閉じた。 呼吸を整える。 心拍を制御する。 血はまだ流れているが、皮下の筋肉は不気味なほど脈打ち、引き締まっていく。瀕死の脱力感は、彼の意志の力によって体の奥底へと封じ込められた。


「なら……その『殺さない』という慈悲に報いて……」


エドがカッ、と目を見開く。 月光の下、失血で蒼白になったその幼い顔に、心臓が凍るほど静謐な笑みが浮かんだ。 暗赤色の瞳が僅かに伏せられる。そこに絶望の色はなく、あるのは底知れぬ自信のみ。


「お返しに、俺が必ずお前を殺してやる!」


「ほう!?」“ミューサ”の瞳に、遊悦の色が濃くなる。


「今のボロボロのお前が? できるのかね?」


「できるさ。安心しろ」


ヒュン、ヒュン、ヒュン――


エドは手慣れた様子で二刀を回転させ、手首を返すと、「ガチッ」と身の前で交差させた。 その刃の交点越しに視線を飛ばし、“ミューサ”が持つ刃こぼれした長剣をロックオンする。


彼は目を細め、手の中の武器を値踏みした。 左手には反りのある鉈。右手には刀身の分厚い山刀。 長剣を持つ達人を相手にするには、あまりに間合いが不利だ。 勝つには懐に飛び込むしかない。だがそれは、相手の「処刑圏内」に入ることを意味する。


(あいつが本気なら、さっきの数秒で俺は数十回は死んでいた)


(だったら……)



ギィィ――!


ギガガガガガガッ――!


歯の根が浮くような金属音が、唐突に響き渡った。


「ん?」

“ミューサ”は驚いたように眉を上げ、頬をポリポリと掻いた。

「おや……そんな刀の手入れ方法は、教えた覚えがないんだがねぇ……」


エドは答えない。 重い足取りで“ミューサ”へ歩み寄りながら、二本の刃を死ぬほど強く噛み合わせる。 両手に力を込め、互いを削り、研磨する。

火花が散る。 鋭利だった刃が乱暴な摩擦で捲れ、崩壊していく。その音は黒板を爪で引っ掻くようで、極めて耳障りだ。


「ふふ……俺のオリジナルだよ」エドは冷笑し、手元の動作を加速させる。


「ククッ……そんなことをすれば、刀が廃品になっちまうぞ、馬鹿弟子」


「構わない……」エドは、あえて刃を潰し、先端のわずか一指分だけ鋭利さを残した双刀を見つめた。

「お前のその偽物の首を落とすには、これで十分だ!」



互いの距離が、十メートルを切った時――。


ザッ――


何の前触れもなく、風が草を揺らした。 エドの姿が瞬時に消え、次に現れた時には、“ミューサ”の目前わずか二歩の距離!


左手を猛然と振り抜く! 凄まじい風切り音を纏った黒い影が、暗器のごとく“ミューサ”の顔面を襲う!


キンッ――!


“ミューサ”の反応は神速だった。軽やかにバックステップを踏み、長剣を跳ね上げ、飛来した鉈を正確に弾き飛ばす。


その勢いのまま剣先を返し、隙だらけになったエドの喉元を軽く薙ぎ払おうと――。


しかし。


ガギン! ダンッ!


予想された斬首は起こらなかった。 エドは左手の鉈を投擲した瞬間、体を猛烈に回転させていたのだ。右手にあった山刀を瞬時に左手に持ち替え、逆手に構え、喉元への致命的な一撃を正確にガードする!


それと同時に、彼の右手は側面へと伸ばされていた――。


パシッ。


“ミューサ”に弾かれ、空中で一回転したあの鉈が、吸い込まれるようにエドの掌へと戻っていた。



ガギッ、ガガガッ――!


二人の顔の間で火花が炸裂する。 エドは嵐のような連撃を叩き込み、長剣と激しく数合打ち合った。 そして、相手が技を変えようとした瞬間、「シュッ」という音と共に、エドは瞬時にバックステップで十メートルの距離を取った。


彼は止まらない。 着地するやいなや、つま先で地面を蹴り、再び突っ込む。 また数回の凶険な激突。そして未練なく離脱。


そんな攻防を五回ほど繰り返した後、エドは“ミウサ”への直線的な突撃をやめた。 『七曜瞬身歩』の機動力を活かし、疲れ知らずの野狼のように、獲物の周囲を絶え間なく遊撃し始める。


右手で突き出した鉈で突きや斬撃のフェイントをかけ、左手の山刀と交互に入れ替える。 “ミューサ”が防御の構えをとった隙を見ては、突然踏み込んで二連撃を叩き込み、即座にまた距離を取る。



「クソガキが!」

数度の必殺の突きを滑るように躱され、“ミューサ”の張り付けたような余裕の笑みに、ついに焦燥の色が浮かんだ。


「ハエみたいに飛び回りやがって……やるのかやらないのか!」


「やらない」


エドは十メートル離れた位置で止まり、あの苛立たしいリズムを維持する――二歩進み、三歩下がる。まるで刃の上で踊る亡霊のように。


「言ったはずだ……お前のその偽物の首を、切り落としてやるって!」

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